1. モーツァルト

 

昨年(2006年)はヴオルフガング・アマデウス・モーツァルトの生誕250年ということでクラシック音楽界はモーツァルト一色に染まっていた。


彼の生誕250年を記念するコンサートは、日本を含め世界各地で通年盛大に開催された。

東京丸の内の国際フォーラムで開催された記念コンサートには一週間で70万人もの人々が集ったという。これはクラシック音楽のみならず、日本音楽史上空前の出来事であった。

NHKも総合、教育、BSの各番組で幾度もモーツァルトの音楽を流していた。

また通常ならばクラシック音楽のCDは、2〜3万枚も売れたら大ヒットだというのに、昨年は120万枚も売れたCDがあったという。さらにモーツァルトのCDは、合計140万枚、出版物は50万部に達したというから驚いた。

このように、クラシック音楽に関心を寄せる人々が増えることは、クラシック音楽ファンの私にとっては誠に喜ばしいことであり、これもひとえにモーツァルトのお陰だと感謝している。

ただ昨年は、19世紀ドイツ浪漫派の巨匠シューマンの没後150年であり、20世紀最高の作曲家の一人である、ロシア(旧ソ連)のショスタコーヴィチの生誕100年でもあったが、モーツァルトの陰にかくれて、あまり話題にならなかったのは、二人には気の毒であり、二人のファンである私にとっても残念なことであった。

これと同じような現象が、16年前のモーツァルト没後200年のときにもあった。同年はチェコの大作曲家ドヴォルザークの生誕150年でもあったが、モーツァルトの陰に霞んでしまった。これをもってしてもモーツァルトの人気が如何に高いかがわかるだろう。

それでは彼がどうしてこれほど世界の人々に愛されているのだろうか。それは彼の音楽が他の誰の作品よりも優しく楽しく美しいからである。

クラシックファンでなくても彼の作品であるキラキラ星、子守歌、トルコ行進曲、アイネ・クライネ・ナハトムジーク (セレナード)などを知らない人は少ないだろう。

先年、加藤登紀子が唄って大ヒットした「知床旅情」も、そのルーツをたどるとモーツァルトにまで遡るのだ。

「知床旅情」は、別の作曲家の手になる「早春賦」とテンポが違うだけでメロディはほとんど同じで、これは盗作ではないかと問題視された。

ところが「早春賦」もまたモーツァルトの「春の歌」に酷似しているのだ。つまりモーツァルトの曲から「早春賦」、「知床旅情」と盗作と紙一重のところで受け継がれているのだ。

ことほど左様に、彼の音楽は現代に至るまで、人々の心に深く浸透しているのである。

古来神童といわれた人は何千何万といるが、唯一神童中の神童を選ぶとすれば、疑いもなくモーツァルトであろう。

1756年にオーストリアのザルソブルグで生まれた彼は、3歳のときには誰に教わるともなく、見よう見まねでピアノを上手にひいたという。

ザルツブルグの宮廷楽士をしていた彼の父親は、それを見て驚嘆し、早速ピアノ、ヴァイオリン、作曲法などの英才教育を始めた。

 


 

5歳のときには作曲をしている。私は5歳の子供の作品なんて、文字どおり、児戯に等しいものだろうと思っていた。だが、その曲を聴いて驚いた。

それは譜面数行の短い曲であったが、なんとそれによく似たメロディーが、30年後彼の死の直前に完成した彼の歌劇の最高傑作「魔笛」の主役の一人、パパゲーノのアリヤの中で歌われているのである。

 

6歳になると父親に連れられて、ヨーロッパの各地に演奏旅行に出かけ、各国の王侯貴族や市民の絶賛を博している。

その間にも8歳で交響曲、14歳で歌劇まで作曲しており、35歳で死亡するまでに、600曲とも800曲ともいわれる膨大な作品を残している。

 

といえば、日本の演歌の作曲家の中には、5000曲も作曲した人も居るが、演歌は一節約一分、譜面一頁ほどで、それもメロディーだけで、編曲は別の人がしているのに対して、クラシック音楽は短い歌曲を除くと、1曲20分から1時間、歌劇では3時間を超えるものもあり、メロディだけでなく、10数種類から20数種類もある楽器の各パートも自作編曲しており、1曲当たりの頭脳的肉体的労力は、演歌の百倍以上にもなるだろう。

では彼は何故わずか35年の生涯で、これほど多くの曲を作曲することができたのだろうか。

彼はピアノを用いることもなく、頭の中で既に出来上がっている楽想を譜面に書き写すだけで、他人と雑談しながらでも作曲できたという。

それでいて彼の譜面には推敲のあとがなく、まるで印刷されたように椅麗なのだ。(最近の研究で彼の若い頃の譜面に僅かながら推敲しているものが発見されている)。


レクイエムの自筆譜(部分)


ある人が彼に、「貴方はどうしてそのような作曲ができるのか」と聞いたら、彼は 「私にはこのようにしか作曲できないのだ」と答えたという。

それにしても他の作曲家なら、交響曲や協奏曲を作曲するには、数カ月から数年を要するのに、彼は大交響曲といわれる39番、40番、41番「ジュビター」を小品10曲とともに、わずか46日で作曲している。これは正に神技というほかない。

しかし、彼が偉大なのは、数多くの作曲をしたからではなく、それらの作品が250年後の今日まで、世界中で演奏され続けているからである。

彼の曲を乳牛に聞かせると乳の出がよくなる。鶏に聞かせると卵をよく産む、ハウス栽培の野菜に聞かせると成育がよくなる、といわれている。

真偽のほどは判らないが、人にそう思わせるほど、すべてのものに安らぎを与える音楽なのだ。

彼の曲は暗い感じの短調の曲は少なく、明るい感じの長調の曲が多い。

それは依頼主の注文に合わせて、明るく楽しい曲を作ったからであって、彼自身が常に明るく楽しかったわけではない。

表面的には陽気に振舞っていても、彼にも悲しいときやつらい時もあっただろう。その悲しみやつらい想いが長調の曲の中に伏流していて、それが曲をより感銘深いものにしている。

しかし、彼の真情は数少ない短調の曲の中にあるのではないだろうか。短調の曲には彼の心の奥底の悲しみが汪溢していて、聴く者の胸を打つ。

中でも交響曲40番、ピアノ協奏曲20番、同24番、レクイエム (鎮魂曲) などは、彼の真髄ではないかと思うのである。彼が晩年生活苦のため、誰彼なしに借金をしていたのは有名だが、決して収入が少なかったわけではない。

むしろ一般人よりははるかに高収入を得ていたが、彼は金銭感覚のまるでない浪費家だった。


そのため生活は常に逼迫していたが、そうした中でも美しい曲を書き続けていた。

そして最後に依頼されたレクイエムを作曲中に、病に倒れてこの比類なき神童は、父なる神のもとへと召されたのである。


葬儀に参列したのは数人の弟子と友人だけで、遺体は立会人もなく人夫によって、貧民達の共同の墓穴にほうり込まれた。

そのため埋葬場所も不明で、不世出の天才作曲家モーツァルトには、その墓もないのである。当時の人々は、彼の死に関心さえ持たなかったのだ。

しかし、人々は彼の音楽を忘れてはいなかった。彼の音楽は今もなお、世界中の人々に愛され演奏され続けている。

250年前に生まれた人の音楽が現代に至るまで、これほど盛大に持てはやされている例があっただろうか。


かの大バッハの没後250年(2000年)のときでも、これほど話題にはならなかった。彼が古今東西で最も傑出した作曲家の一人であることに異論はないだろう。