1970年に開催された大阪万国博覧会は、6400万人の入場者を集めた。これほどの人数を集めたイベントはこれより先にも後にもない。

 

これは日本経済の繁栄が頂点に達し、1億総中流といわれた時代を象徴する出来事であった。

 

この万博会場のマスタープランをまとめ、お祭り広場を始め、基幹施設造りのプロデュースをしたのが丹下である。

 

しかし、繁栄を謳歌していた日本経済も、1973年に始まる石油高騰(オイルショック) によって、大きな打撃を受け、停滞を余儀なくされた。それに伴って建築のマーケットも、急速に縮小していった。

 

こうした情勢のなか、多数のスタッフを抱える丹下は、主たる活動の場を海外に移した。


ナイジェリア新首都都心計画
TANGE ASSOCIATESのページより

 

丹下の海外での活動は、単体の建築ばかりではなく、都市計画など大規模なプロジェクトにも照準を当て、既に設計競技で1等当選を果たしていた、旧ユーゴスラビアのスコピエ市の震災復興計画を始め、ボローニア新開発地域計画、ナイジェリア新首都計画、ナポリ新都心計画などのほか、数々の巨大プロジュクトの設計競技に勝ち抜いて、都市計画においても傑出した才能を示した。

 

しかし、これら大規模プロジェクトの多くが、予算不足や権力者の交代によって、未完に終わったことは、彼が畏敬していたルネサンスの巨匠、ミケランジェロの場合とよく似ている。

 

こうした挫折があったにもかかわらず、丹下の活動範囲は、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、アメリカ、東南アジアなど30箇国を超え、スタッフの数も100人に達していた。

 

このような丹下の目覚しい活躍は、世界各国で高く評価され、多くの国々のアカデミー会員に推挙され、多くの大学の名誉博士号を授与され、多くの国々から賞を得ている。彼は生涯に20件以上受賞しているが、その内7割が海外からの受賞である。

 

この中には西ドイツ・ル・メリット勲章、フランス芸術文化勲章、イタリア有功勲章、ユーゴスラビア星条勲章、イギリス・ロイヤルゴールドメダル、ローマ法王庁サングレオリオ賞など重要なものが含まれており、彼は最も多く外国の勲章を受章した日本人でもある。

 

このことは丹下が海外で、極めて高く評価されていることの証左にほかならない。現在日本の優れた建築家が、海外で目覚しい活躍をしているが、その先鞭をつけたのが丹下である。

 

【7】

 

1957年に丹下設計による旧東京都庁舎が、職員増などにより狭隘になったため、新都庁舎を建設することになり、場所をめぐって激しい論争の末、西新宿の元淀橋浄水場跡に決定した。

 

実施案は当時日本を代表する設計事務所9社による、指名設計競技によって決定することになり、丹下も指名者に選ばれた。

 

 

丹下はこのとき既に70歳を超えており、新都庁舎の設計を、自分の建築人生の集大成にしようと、海外に展開していたスタッフ60人を、日本に呼び戻し、総力をあげて実施案作りに取り組んだ。

 

その結果、丹下案が10人の審査委貞の過半数を得て、設計者に選ばれた。

 

1991年に丹下案による新都庁舎が完成した。庁舎は第1と第2の2棟から成り、第1庁舎は幅約100m、高さ243mの塔を建物の両側に戴き、複雑に凹凸をつけた外壁には石を貼りつけ、建物の中央部分は垂直性を、両側は水平性を強調しており、極めて象徴性の高い造形美を、ポストモダンスタイルで表現している。

 

未だかつて日本にこれほど壮麗で、圧倒的スケールを誇る建築はなかった。

 

しかし、完成後の評判はすこぶる悪かった。一般のマスメディアや巷の声まで巻き込んで、社会現象という程の激しい批判が、設計者丹下に集中した。

 

そうした批判を要約すると、

(1)  1250億円もかけた、庶民感覚を無視した贅沢な建物だ。

(2)  丹下は鈴木都知事とのゆ着によって、設計者に選ばれたのではないか。

(3)  デザインが気に喰わない。これはノートルダム寺院の模倣ではないか。

 

ということになる。

 

だが、このような批判は妥当ではない。

 

(1)  については、工事費の予算を議決したのは、都議会であって丹下ではない。
しかも建物の図体が大きければ、工事費が嵩むのは当然であって、1坪当りの単価は約100万円で、最新設備を備えたハイテク超高層建築としては特に高額であるとはいえない。

(2)  については、実施案の決定は、10人の審査委員の投票によるものである。なお、「新建築」誌の1986年5月号に、指名9社の応募案が特集されているが、私のような素人が見ても、丹下案と他案との差は歴然としていた。

(3)  について丹下は、「幅100mもある建物で、高さが200mもあると、見る人に圧迫感を与えるので、中央部分を150mに抑え、両側を243mの塔状にしたのだ」といっている。

 

こうした批判とは別に、専門家の中には、・モダニズムの旗頭と目されていた丹下が、ポストモダンに転じたことについて、それを変節と批判する向きもあった。

 

確かに丹下は社会情勢の変化に対応して、その都度設計スタイルを変えてきた。それは丹下が時代の先頭を走り続けるためには、一つのスタイルに固執してはおられないからである。

 

進化論のダーウィンはいった。「最後に生き残るのは、力の強い者でもなければ頭のいい者でもなく、環境の変化に適応する能力を持つ者である」と。

 

完成直後あれほど激しいブーイングを浴びた都庁舎は、今ではすっかり都民にもなじんで、日本の首都東京のシンボルとして、都民の誇りとなっている。

 

ちなみに東京を訪れる外国人に、最も好感度のある建築は東京都庁舎であるという。

 

【8】

丹下は、このほかにも多くの名建築を残している。

愛媛県内にも郷里の今治市に、市庁舎、公会堂、市民会館、地場産業振興センター・今治商工会議所、愛媛信用金庫今治支店などがあり、松山市にも愛媛県民文化会館があるが、日本建築学会作品賞を受賞した、堀の内にあった愛媛県民館(撤去)以外に話題作がないのは残念である。

 

丹下が偉大なのは、建築、都市計画に優れた業績を残しただけでなく、多くの優秀な建築家を育てたことにもよる。

 

先年日経BP社が実施した、20世紀日本建築家ランキング調査によると、

(1)  丹下健三

(2)  安藤忠雄

(3) 槇 文彦

(4)  村野藤吾

(5) 谷口吉生

(6) 磯崎 新

(7)  吉村順三

(8)  前川国男

(9)  原 広司

(10)   宮脇 檀

(11) 黒川紀章

(12)   白井晟一

 

となっており、丹下を除く11人中4人(太字)が、丹下の門下生である。

 

なお名建築ランキングでは、

(1)  国立代々木競技場

(2)  東京都庁舎

 

となっていて、丹下作品が1、2位を占めている。

 

この調査結果によらずとも、丹下が日本近代建築の第一人者であることは、論をまたないが、彼は日本的尺度では測り得ないスケールを持った、世界のTANGEなのである。

 

20世紀の世界建築史において、世紀の前半をリードしたのは、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエら近代建築を切り開いた巨匠たちである。

 

丹下は彼らに続く、世紀の後半を代表するトップランナーとして、1964年にドイツの、1967年にアメリカの芸術アカデミーの名誉会員に推挙されていたが、1983年には、フランス芸術アカデミー建築部門の終身会員に、外国人で唯一人丹下が推挙された。

 

これは丹下が世界の頂点に立った証である。

 

21世紀の今日丹下の門下生を始め、多くの日本人建築家が世界に雄飛しているが、その中から第2第3の丹下が出現することを期待するのである。

 

丹下が数々の名建築を生み出L、日本の建築水準を世界レベルに向上させた功績に対して、国は文化勲章、勲一等瑞宝章を、愛媛県は功労賞を授与し、今治市は名誉市民に推挙した。

 

しかし、この世界的巨人には、記念館はおろか銅像の一つもないのだ。かつて今治市に丹下記念館を造ろうという機運もあったが、実現には至らなかった。

 

それもよし、そのようなものを造らなくても、丹下の作品そのものが、彼自身のモニュメントなのである。

 

だが、丹下の代表作であり、かつ日本近代建築の金字塔でもある、国立代々木体育舘が、永年にわたる不十分な維持管理によって、劣化が進行し、内部設備も旧式化して、この体育館本来の目的である、水泳競技には利用されない状態である。

 

このままの状態が続くと、やがて国宝に指定されるべき名建築が、遠からず失われかねないと危惧するのである。1日も早く、抜本的改修を行い、代々木体育館本来の姿を取り戻して、丹下健三の名とともに、いつまでも輝き続けることを念願とするものである。

 

丹下は80歳を過ぎても、なお精力的には活動していたが、2005年3月、91年の生涯を終えた。

 

彼の生涯は表面的には、輝かしい栄光につつまれていたが、その華やかな成功を讃える者もいる反面、ライバル達とその激しい競争の中で、羨望、妬み、作品や政治行動への批判など、毀誉褒貶の渦中を生き抜いてきた。

 

こうした丹下の強烈な個性に対する評価は人それぞれだろうが、丹下が日本近代建築の発展向上に最も貢献した人物であることを、否定できるものは居ないだろう。

 

【参考文献】

1.           世界大百科辞典 平凡社 1965.8

2.           丹下健三 日経BP 2005.4

3.           近代日本の作家達 黒田智子編 学芸出版社 2006.1 

4.           現代建築 同時代建築研究会 新曜社 1991.5

5.           戦時下日本の建築家 井上章一 朝日選書 1991.7

6.           ル・コルビュジェ 加藤道夫 丸善 2008.2

7.           建築文化 建築文化社 1960.1

8.           新建築 新建築社 1975.12

  〃   〃    1979.1

  〃   〃    1986.5

  〃   〃    1990.8

  〃   〃    1991.1
  〃   〃    1991.5