明治33年 (641首)
前年末虚子らのはからいで、子規の臥室の庭に面してガラス戸が入った。
いたつきの閏(ねや)のガラス戸影透きて小松が枝に雀飛ぶ見ゆ
朝な夕なガラスの窓によこたはる上野の森は見れど飽かぬかも
ガラス張りて雪待ち居ればあるあした雪ふりしきて木につもる見ゆ
4年前子規は「いくたびも雪の深さを尋ねけり」と作句したが、もう人に尋ねなくてもよくなったのだ。当時のガラスは貴重品で高価だった。子規はいたく喜び、虚子達に次の歌を贈っている。
常臥(つねぷし)に臥せる足なへわがためにガラス戸張りし人よさちあれ
この年は子規短歌の成熟期を迎え、作例も多く名歌満載の年になった。4月子規は「庭前即景」10首連作を発表した。その代表作が次の歌である。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
これほど流麗かつ具体的に生命力張る春の季節感を詠んだ歌はない。この歌を写生歌の極致として子規の最高作に推す論者もいる。私の最も好きな歌の一つである。
5月に「雨中庭前の松」10首連作がある。この連作も写生歌の極致といわれる秀歌が並ぶがこのうち3首を揚げる。
松の葉の細き葉毎に置く露の千露もゆらに玉もこぼれず
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
庭中の松の葉におく白露の今か落ちんと見れども落ちず
この微細な観察力と集中力は尋常ではない。この連作のほかにも次のような秀歌がある。