降りしきる雨の中
日本兵捕虜の隊列が行く
足並みは乱れ ぞろぞろと
藤原義江の歌に
「どこまで続くぬかるみぞ
三日二夜食もなく
雨降りしぶく鉄兜」 という一節がある
状況は似ているけれど
捕虜の兵には
鉄兜もなければ雨具もない
全身 ずぶぬれになって 歩いて行く
行先は わからない
哈爾浜[ハルビン]を発[た]って 幾日か
歩いた道程[みちのり]は 如何ほどか
平坦[たいら]な道ばかりではない
起伏の激しい山道や
道なき道も越えてきた
それにも増して こたえたのは
ソ連軍の進攻を 阻止するために
日本軍が 樹を切り倒して塞いだ道
跨[また]ぎ越えたり 潜[くぐ」り抜けたり
幾度も幾度もくり返えす
そうしたなかで
力尽きた者もいる けれど
助ける者はいない 誰も
皆 己が身を守るのに
精一杯なのだ
夕方 隊列が停った
此処で一泊するのだという
此処は何処だ
「オードーカシだ」 という声がした
横道河子 知らぬ地名だ
左側には山が連なり
右側には 川が流れている
見渡しても家はない
どこで寝るのか
野営せよというのか この雨の中で
八月も半ば過ぎると 北満は秋
夜は 冬のように寒い
雨の中では 寝ることはおろか
焚き火もできない
寒気が濡れた体に襲いかかる
全身が わなわなと震え
石のように硬直する
もう駄目だ これ以上怺[こら]えきれない
その時 何人か 川の中に飛び込んだ
そして叫んだ 「川の中のほうがぬくい」
大勢が それに倣って飛び込んだ
私も一緒に
外よりはぬくいとはいえ
水の中は冷たい
冷感が 体の中に浸み込んでゆく
骨の髄まで凍てついてゆく
涙が止まらない
鼻水も垂れる
それを雨が洗い流す
私は思わず 心の中で叫んだ
「神様 お助けください」
願いも空しく 状況はさらに悪化する
もう 神にも見放されたのか
私は 天に向かって唾を吐いた
地獄は あの世にではなく
この世にあったのだ
戦争に負けるということは
このようなことなのか
次第に意識が朦朧としてくる
このまま死んでしまうのだろうか
死ぬのなら 死ねばいい
そのほうが楽だ
それにしても まだ二十歳
人生 これからだというのに
もう 死ななければならないのか
こんな惨めな姿で
父母の顔が浮かんでは消える
暗闇のスクリーン
いつの間に 雨が止んだのか
せせらぎの音が聞こえてくる
そのせせらぎの中に
意識が溶け込んでいった
どれほどの時が流れたのだろうか
まわりの騒[ざわ]めきに
意識が醒めた
なんと 私は川の中で一晩中
寝ていたのだ うとうとと
よくもまあ 命があつたものだ
流されもしないで
朝 食もなく
濡れた衣服を干す間もなく
また 行進が始まった
のっそりと 隊列が動きだす
足並みは さらに乱れ だらだらと
雨後の道は歩きにくい 殊更に
空腹と疲労が体力を蝕んでゆく
落伍したら もうそれまでだ
気力と惰性で歩いて行く
行先は わからない
山麓に 野菊の花が咲いている
紫色の可憐な花が
野には 名も知れぬ草花が
山には 赤い実をつけた樹が 点々と
目に映るものは
美しいものばかりではない
道端には 日本軍車柄の残骸が
一台 また一台
行く先々に転がっている
林には 日本兵の屍が
あたりに腐臭を放っている
獣や鳥にまで見捨てられて
これは 他人ごとではない
明日は 我が身か
そんな思いが 脳裏を過[よ]ぎる
思えば 日本軍の兵士となつて
まだ三月[みつき]
戦の庭に立つこともなく
一発の銃弾を撃つこともなく
今 ソ連軍の捕虜となり
知らざる道を引かれて行く
一体 どこに行くのか
どんな運命[さだめ]が待っているのか
行先は わからない
皆 黙々と歩いて行く
重い足を引きずりながら
|