寒かった冬も峠を越えて、やゝ春めいてきましたが、オキテルさんには、地域のお世話やらパソコンやら勉学やら、まめまめしくお過ごしのご様子お喜びします。

当方愚妻の状態は相変わらずですが、我が家の狭庭には、梅、椿、わび助、木瓜などが一斉に咲き出し、気分も少しは和らいできましたが、その一方で除草や庭木の消毒などもしなければなりません。

自慢めきますが、毎秋庭木の剪定に来てくれる庭師が、「この地区で此所の庭が一番手入れがいい」というので、なるべくその状態を維持したいと思っていますが、加齢とともになかなか作業が進みません。そんなわけで、お返事が遅れてばかりでご免なさい。

オキテルさんは新年早々名品を沢山見られて良かったですね。東博も正月だから目玉作品を大番振舞をしたのでしょう。

前回のお手紙で等伯の「松林図」についての佐藤康宏氏の論説をご紹介いただきましたが、このような論説を見たのは初めてではありません。「松林図」に限らず美術作品の評価は、それぞれの人にそれぞれの見方があって当然です。

佐藤氏が等伯と対比していた牧谿は、中国宋末元初の禅僧で杭州西湖近くの六通寺の開山で余技に水墨画を描いていました。

室町時代の上層の人々の間では、中国画を賞玩していて、中国から数多くの書画が招来され、それを飾るために作られたのが床の間です。

室町末期から桃山期には茶の湯の流行などと共に、四角ばった格調高い書画よりも、自由闊達な画僧の余技的な水墨画が珍重されるようになり、その中で牧谿画が第1位にランクされました。

等伯も牧谿に私淑していて、これらの絵を「盤上玉を転ずるが如き自由三昧の筆」と絶賛しています。技法についても多分に学んでいます。「松林図」の松の枝をワラ筆で荒々しくタッチしているのも牧谿の絵から学んだものです。しかし完成した絵の印象は、牧谿の絵とは全く別種のものです。

佐藤氏が指摘された「三次元的空間を作り出さない」というのもその通りです。しかし、あの濃霧の中で三次元を表現するのは不可能です。「松林図」は単なる風景画ではなく湿潤な日本の気候風土の「気」を表現したものです。

とはいえ技術的には牧谿が優れていることは、等伯自身も認めていることで、それに異論はありませんが、「松林図」のような絵は古今東西どこにもありません。近年のテクニックよりオリジナリティを重視する風潮に鑑みれば、「松林図」は生新な日本の水墨画として、第一級の作品であると私は固く信じています。

私は牧谿も好きです。と言っても彼の真筆を見たことがありません。私が見たのはすべて伝・牧谿です。牧谿筆と伝えられる作品は多数ありますが、その多くは模作、偽作であって、真筆はきわめて少数であるといわれています。

そうしたなか、伝・牧谿でありながら国宝に指定されて居る作品が、東京に2点あります





1点は「煙寺晩鐘図」(畠山美術館)、もう1点は「漁村夕照図」(根津美術館)、どちらも「瀟湘八景図」から切り取ったものです。(「瀟湘八景図」は一景ずつ切り取られた。)

根津にはもう一点伝・牧谿の名品竹雀(ぬれすずめ)があります。私が見たのは、以上3点だけです。

ところで、牧谿は本国中国でどのように評価されているのでしょうか。記録によると「牧谿は粗悪にして古法なく、まことに雅玩にあらず」と酷評されています。その後も評価は変わらず、現在中国には牧谿の遺品すらありません。

これは画然としたものを好む中国人と、漠然としたものを好む日本人との国民性の違いだと思いますが、その差異の大きさには違和感があります。

永徳については、彼の作品と他の画家の作品を比較する場合は、永徳にハンディを付けてやるべきだと思っています。何故ならば、戦国時代は兵乱によって、文化財が大量に失われましたが、画家で最も被害を受けたのは永徳です。

彼が一門の総力をあげて描きあげた安土城、大坂城、聚楽第の金碧障壁画のすべてを失ったため、それ以外の残存作品で他者との比較に応じなければならないからです。私は、狩野派よりも長谷川派や海北派贔屓ですが、永徳には少なからず同情心があります。

火炎土器 ハート型土偶

縄文土器については私の「日本美術私論」で、縄文土器を世界に誇る原始美術であると書いています。縄文土器は岡本太郎氏が激賞したので、その価値が認められたと広く報道されていますが、その前に既に国宝に指定されています。

私は東博に行く度に、表慶館に展示されていた日本の古代美術を見ていました。ネオバロック風の西洋建築に縄文土器や弥生土器が展示されているのは、何とも異様な光景でした。

京都の美術探訪について、オキテルさんは、私が紹介した3院にも行かれるとのこと、私も嬉んでいましたが、実は聚光院は非公開で、特別拝観のとき以外は公開しないことを忘れていました。今年特別公開があるかないかはわかりません。大徳寺の庭園は撮影禁止でした。

南禅寺には一度行かれたとのことですが、当寺には、伝・永徳が数点あり、その内「廿四考」(金碧)は真筆と認める論者も居ます。

聚光院の代わりというわけではありませんが、河井寛次郎記念館は如何でしょうか、民芸陶器の最高峰寛次郎の住居兼工房で、自作品を展示している野趣あふれる独特の京町家です。

なお、来年4月に京博の平常展示館が完成したら、館蔵の雪舟、宗達、友松らを始め京都の名宝が、オールスターキャストで展示されるのではないかと予想しています。

テレビの美術関連番組の件ですが、前回は最も参考になりそうな番組をご紹介しましたが、私はそれ以外の番組も見ていました。

「美の壺」は以前谷啓さんが案内役をしていたときは、美術工芸品を主として取り上げていましたが、近年は種が尽きて、「美の壺」というタイトルから次第に遠ざかっています。

「欧州美の浪漫紀行」は二度見ましたが、あまり参考にならないので、今は見ていません。

「世界の名画」は日本人には馴染みのないものが多いので、興味のあるものだけを見ています。2月13日はモローが主題だったので最後まで見ました。

美の巨人はよく見ています。小林薫さんのナレーションが番組に良く馴染んでいます。

私の趣味は美術だけでなく、短歌、俳句、囲碁、将棋、クラシック音楽など種々ありますので、それらの番組や、スポーツ番組や良質のドラマもよく見ております。そのため見たい番組の時間がよくダブルので、居間にテレビを2台置いています。一人住まいの私にはテレビが何よりもの友達です。

しかし、会話をしていないと呆けるというので、(もうかなり呆けましたが)これ以上呆けないように、友人と週に2,3回カフェでコーヒーを啜りながら、政治・経済や下世話ばなしまでして楽しんでいます。

所属していた6団体のうち3団体を退会して、知的会話をする機会も減った現在、こうしてオキテルさんと文通していただくのも呆け防止には大いに役立っていると感謝しています。

また、2月には私の返事が遅いので2度もお手紙を頂きましたが、それには私の安否を気遣ってのことと存じますが、私は至って健康ですのでご安心下さい。

2月22日

追伸

テレビの美術番組について、書き漏らしたので追加します。

テレビ東京(火曜日8.54pm)に「開運なんでも鑑定団」という娯楽番組があります。人気番組ですから見て居られるかと思いますが、番組のタイトルのとおり美術品、骨董品だけでなく、スポーツ用品やおもちゃも出品され、それに評価額がつけられます。

出品物は優れたものもありますが、駄作や贋物も多くあります。それは本物と思って出品したものが、真っ赤な偽物だったということで笑いをとるのが売り物だからです。

出品物の鑑定は放送する前に入念に吟味していて、放送ではその結果を各分野の権威ある鑑定者が、評価額を発表してその理由を説明します。

これは美術品等の真贋を見極めるのと作品が現在どのように評価されているか、時代の趨勢を知るためにも大いに役立っています。