前略 お返事が遅れてごめんなさい。丁度季節の変わり目で施設にいる愚妻の衣替え、庭や畑の樹木の剪定その他家の内外の雑用に追われて、落ち着いて机の前にすわる機会がありませんでした。

オキテルさんは今後奈良・京都にも行きたいとのことですが、それは非常に良いお考えだと思います。何といっても奈良・京都は日本人の心の故里ですから。

また、オキテルさんは日本画は岩絵の具という語感から劣化に強いと思っていたとのことですが、確かに岩絵の具(鉱物性絵の具)は植物性絵の具に比べれば劣化しにくいけれど劣化はします。

その一例ですが、琳派の巨匠尾形光琳の「紅白梅図」の画面の中央部の水流は、今は黒色になっていますが、元の色は紺系統だったのが、いつの間にか黒色に変色したのです。

銀や鉛も時を経れば黒くなります。

鉱物性絵の具は植物性絵の具に比べて高価なので、収入の少ない画家は植物性絵の具も使用しています。特に浮世絵などは安値な植物性絵の具を使用しているので、変色、褪色が激しく紫色が黄色になったりするので、海外の美術館・博物館では保存しているだけでほとんど展示していません。

劣化の原因は絵の具だけではありません。西洋画は、丈夫なキャンバスや板に画いていますが、日本画は主に紙や絹布に画いているので、耐久性が乏しいのです。

さて、オキテルさんが奈良・京都方面に行かれるときのご参考までに、その見どころを私の独断と偏見でご案内しましょう。

よく、

奈良は仏像 京都は庭園

と云われます。それくらい奈良には優れた仏像・人物像が集中していて、国宝・重文だらけです。

           

その中の一番は仏像では西の京(元は平城京の中心部)の薬師寺の「薬師三尊像」と「聖観音像」、法隆寺の「百済観音像」です。この2点は日本の古代仏教美術の終着点です。ただ、「百済観音像」を日本製とすることには疑問が残ります。

   

人物像の一番は、唐招提寺の「鑑真像」と兵火に焼かれた東大寺の再建に尽くした東大寺・俊乗堂の「重源上人像」(作運慶)です。この像はギリシャ彫刻にも匹敵する写実に徹した鎌倉彫刻の代表作でもあります。

西の京には他にも有名古寺が多数ありますが、西の京めぐりの観光バスが出ているので、それを利用するのが効率的です。

ただ、薬師寺の国宝三重の塔(フランスの文化人政治家アンドレマルローが凍れる音楽と絶賛した日本一の三重塔)は、現在修復中で見ることはできません。その代わりに西塔が創建当時と同様に復元されています。

なお奈良の仏像彫刻については、私の拙文「日本美術私論」にもう少し詳しく書いています。

なお書き漏らしましたが、東大寺の大仏の頭部は江戸時代に復元されたものでお世辞にも良いとはいえません。

また奈良国立博物館の本館は仏像主体の展示ですが、必見というほどのものはありません。新館では毎年秋に正倉院展が開催されます。これは必見です。

次は京都です。(順路が逆になりましたね)

京都も名所だらけです。私は京都に20回以上行っていますが、未だ見ていないところが多数あります。東京に比べるとずっと小さい街ですが、名所の数では東京の比ではありません。それは登録世界遺産の場所を見ても分かるように、街全体が美術館のようなものです。

ただ街並みは気にいりません。古い街並みが醜悪なコンクリート造の建物に浸食されて、雑然たる状況です。日本に帰化したアメリカ人の文学者ドナルド・キーンさんは、かつて祇園界隈の街並みを見て「昔は幻想的だったが今は幻滅的だ」と云いました。雅びな京都人が何故このような状況を許したのでしょうか、残念でなりません。
  • 京都国立博物館(以下京博)

    京都を代表する博物館です。収蔵品は約一万二千点、京都にゆかりのある作品が多く、その中に雪舟の「天の橋立図」「慧可断臂図」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」など超一級の国宝がありますが、それらの多くは寺社からの寄託品で京博はいわば借り物博物館のようです。

    京博の平常展示館は現在建替中で2014年春まで閉館しています。なお京博は京都駅から1kmあまりで入り口の前には三十三間堂、東側には智積院と妙法院の両門跡寺院があり、散策にはいいロケーションです。智積院には長谷川等伯、久蔵の代表作「楓図」「桜図があり、必見です。

  • 京都国立近代美術館(左京区岡崎円勝寺町)(平安神宮参道)

    上村松園など京都画壇の日本画、洋画、工芸その他一万点を所蔵。特筆するほどのものは見当たりません。私は当館でピカソ展を観ました。

  • 相国寺承天閣美術館(上京区今出川通、同志社大学の北側)

    相国寺は三代将軍義満が創建した京都五山の一つ。本山を始め金閣、銀閣など末寺の文化財を収蔵、伊藤若冲の障壁画がある。

  • 河井寛次郎記念館(東山区五条坂、東山五条の交差点から南に一寸下った横道)

    民芸陶芸の第一人者寛次郎が自ら設計した町屋風の住居と工房に自作品を展示している。

    住居の家具や調度品も全て民芸品で、寛次郎独自の空間が展開している。

    焼き物好きの私は当館が好きで行く度に刺激を受けていました。

さて、京都で一番の絵画といえば⑴京博の雪舟作「天の橋立図」、⑵智積院の長谷川等伯作「楓図」、⑶建仁寺(京博に寄託)の「風神雷神図」でしょう。⑴は室町時代を、⑵は桃山時代を、⑶は江戸時代を代表する絵画です

   

京都で一番の彫像といへば、仏像では広隆寺の国宝第1号「弥勒菩薩像」です。この仏像は朝鮮製とする説と、朝鮮半島に無い木材を用いているので日本製だとする説と両論あるが、私はアルカイック微笑の表情や、肢体が半島製と酷似しているので、半島製だと思っています。もし日本製であっても半島からの渡来人の作だと信じています。

人物像の一番は、オリジナリティーの点から六波羅密寺の康勝(運慶の四男)作「空也上人像」だと思います。この細部に至るまで写実に徹した鎌倉彫刻に南無阿弥陀仏の念仏を口から六体の小阿弥陀仏像を出して表現している。このような手法は他に例がありません。

奈良の仏像に対して京都は庭園といわれるからには、庭園についてもふれなければ片手落ちになります。京都は八百八寺といいますが、実際には千以上の寺があります。その寺のほとんどに庭園が付属しています。

そもそも日本における庭の原流は七世紀飛鳥時代まで遡るといわれます。当初は王朝貴族の主屋の前庭に祭祀的な庭が造られ、その後築山を築き池泉を掘って、自然の風景を模した風雅な池泉庭園が現れ、さらに禅寺に石を山に、白砂を水に見立てた枯山水の庭が造られ、又茶の湯の流行とともに、茶室の回りに茶庭(露地庭)ができました。

これらの庭の中から一番を選ぶのは不可能なので、庭の種別ごとに有名な庭園を揚げると、祭祀的な庭は京都御所紫宸殿の前庭、池泉庭園では、鹿苑寺(金閣)と慈照寺(銀閣)の庭園、枯山水の庭では大徳寺の塔頭(たっちゅう)大仙院と、竜安寺の庭園、茶庭では大徳寺の塔頭孤篷庵の露地庭と表千家の不審庵の露地庭でしょうか。

なお、別格の名園中の名園、桂離宮と修学院離宮の庭園は予約しなければ入園できません。

さて、余談になりますが、日本三名園といわれている庭園(水戸の偕楽園、金沢の兼六公園、岡山の後楽園)がありますが、この中に京都の庭園が入っていないのは何故でしょうか。理由はわかりませんが、私が思うには民衆は格調は高いけれどもただ座って観賞するだけの京都の庭園よりも、広くて自由に回遊できる大名庭園を好んだのだと思います。

ただ私は三名園の中に偕楽園が選ばれたことには異論があります。同園は梅の名所として有名ですが、庭園の出来栄へとしては、さほどのものではありません。

それよりも四国高松の栗林公園や九州熊本の水前寺公園の方がはるかに勝れています。多分三名園の選者は四国、九州の庭園を観ていないのだと思います。

それでは日本一の名園は何処なのでしょうか。ある団体が外国人を対象に日本一の庭園は何処かとアンケートをしたら、何と5年連続で島根県安来市の足立美術館の庭園が選ばれました。

当美術館は私も2度行きましたが、ここは敷地面積5万坪という日本では桁外れの広い空間に雄大な枯山水の庭を始め、各種の庭園が造成されているスケールの大きい庭園で、外国人が日本一だと認めたことには驚きませんでしたが、東京から遠く離れた本州西端の町にそれがあることを多くの外国人が知っていて、それを見に行っていたことに驚きました。

足立美術館は近代日本画主体の美術館ですが、横山大観の作品が120点もあります。当美術館は日本一の庭園と日本一の大観コレクションの二つの日本一を誇っています。

奈良、京都の文化財をご案内しようと思っていたら、知らぬまに中国地方まで来てしまいました。ここまで来たら倉敷の大原美術館を無視することは出来ません。

大原美術館は日本の西洋美術館の草分けで、地方にありながらその人気は全国屈指です。私事ですが、私が若い頃は西洋美術館は当館だけで、安月給の中から月々の小遣いを貯めては何度も当美術館に行き、写真でしか見たことの無い西洋美術の魅力に浸っていました。

現在は質の高い近代日本美術を始め、各種の分館も出来収蔵品は3千点、その内1500点を常設展示をしていますが、等美術館の一番はエル・グレコの傑作「受胎告知」です。この一作によって、当美術館は日本最古の西洋美術館としての存在感を高から占めているのです。(エル・グレコは日本にもう一作ありますが、当美術館とは質がちがいます。)

ここまで来たら、ついでに九州に行ってみましょう。

九州での一押しは、福岡県久留米市の石橋美術館です。当美術館は東京のブリジストン美術館の姉妹館で、主として日本美術中心の展示をしています。この中で私が一番好きなのは、明治ロマンを代表する青木繁の「海の幸」です。

奈良・京都のことより蛇足の方が長くなってご免なさい。

話は変わりますが、オキテルさんはエルミタージュに行きたいとのこと。羨ましい限りです。私も20年ほど前に行こうと思って旅行会社に申し込んだのですが、希望者が少なく中止になりました。

私はエルミタージュの展示品には是非見たいというものはなく、贅を尽くしたエカテリーナ女帝の宮殿を見たかったのです。私はそのうちに何時かと思っている内に年齢的に行く機会を失ってしまいました。

私が是非観たいと思っていて果たせなかったのはエルミタージュのほかレンブラントの「夜警」、ピカソの「ゲルニカ」インドの「タージ・マハール」です。このことは今でも残念に思っていますが、それ以外は一応希望を満たしましたのでよしとしています。

なお、オキテルさんは前回の私の手紙をホームページ転載したいとのことですが、あの手紙はろくに推敲もせず、取り急ぎ書きなぐったので人様にお見せするのは恥ずかしいのですが、それでもよろしければオキテルさんにお任せします。もし、転載されるのであれば、誤字脱漏があれば修正してください。

今回も乱筆で読みにくいと思いますが、お許しください。
末筆ながら向寒の折からご自愛のほど

2012・11・12