近現代の焼物
19世紀後半以後、明治時代の焼物は、殖産興業、輸出振興策によって産業窯業の時代を迎えた。
そうしたなかでも宮川香山、諏訪蘇山らが陶芸作品を作っており、特に宮川はウィーン、パリ、シカゴ万国博覧会で金牌を得ている。ただ、それは美術品としての評価ではなく、工芸品としての評価であつた。
大正時代になると板谷波山、清水[きよみず]六和、楠部禰弌[やいち]らによって、焼物を造形芸術の域に高めようとする模索が始まり、昭和時代の近現代陶芸へと発展していった。
さらに第二次大戦後は衰退していた各地の伝統的窯場と、その陶芸を復興しようとする運動も興り、日本の焼物は再び黄金時代を迎えるのである。
こうしたなか代表的な陶芸家を、マーケットの評価の高い順に揚げると、
中国製にも劣らない端正な色絵磁器の上に、さらにやや不透明な釉薬をかける彩磁という技法をあみだした板谷波山、
羊歯の葉を組み合わせた模様など、極めて日本的な洗練された色絵磁器の富本憲吉、
料理人から日本古陶を近代化した陶芸家北大路魯山人、
古い陶芸を改革し、彩埏という技法を生んだ楠部禰弌、
美濃焼を復興し、さらに発展させた加藤唐九郎と荒川豊三、
無釉陶器備前焼を造形芸術の域に高めた金重陶陽、
民芸陶器の旗頭、河井寛次郎、
鉄彩磁器の石黒宗磨、
金襴手磁器の加藤土師萌、
清水焼六代清水六兵衛、
楽焼十四代楽吉左衛門、
萩焼茶陶の三輪休和、
益子焼民芸陶器の浜田庄司、
唐津焼茶陶の中里無庵、
現代的九谷焼の浅蔵五十吉、
前衛陶芸の八木一夫、
平成の第一人者絵画的色絵磁器の藤本能道、
有田柿右衛門手十三代酒井田柿右衛門(下図右)、
同鍋島の十三代今泉今右衛門(下図左)などである。
日本の焼物文化の特徴的なことは、種類の幅が広いことである。外国では下から順に無釉陶器、施釉陶器、磁器とランクが上がっていくのに対して、日本ではこれらが同格に並び、茶陶ではむしろ楽、萩、唐津、備前焼など陶器のほうが優位に立っているぐらいである。
なお、外国では磁器は高級品として大切にされているが、日本では磁器は国内に氾檻していて、どのような家庭でも磁器の食器を利用している。のみならず、品質の優れた日本の焼物は、世界中に輸出されているのである。
このように、今や日本は質量共に世界最高最大の焼物生産国になった。
しかし、経済成長著しい中国が、焼物の生産量も急速に増大させているものと予想されるが、その生産量はデータがないのでわからない。だが、両国の人口差からいずれは中国の生産量が日本を上回るだろう。
元々中国は1200年以上前から、世界に冠絶する焼物大国で、その製品は世界の隅々まで輸出されていた。それ故英語で陶磁器のことをCHINAという。(ちなみに漆器はJAPANという)。
日本も奈良時代から中国の焼物を輸入して、日本の焼物作りの手本にしてきたのだ。
その結果現在の地位を築き上げたのであるが、今後は量の競争ではなく、質の競争、それも技術的な面ではなく、より芸術性を高めることが要求されると思うが、日本の陶芸作家達の健闘を、切に念願するものである。