詩(古歌詩風)

筆者が終戦直後、シベリア抑留の途中脱走し、哈爾浜の親戚に逃れた時に作ったもの
「横道河子」と同じ頃、20歳の作品

1 プロローグ

思えば遠く 過ぎし日に
異国にありて 兵となり
いくさ敗れて 捕らわれて
シベリア送りの 道すがら
闇にまぎれて 脱けのがれ
三百キロの 道のりを
昼は野山に 伏しかくれ
(よ)に夜(よ)をついで ひた歩き
たどり着いたる 哈爾浜で
出会いし君の 面影が
胸内ふかく よみがえる

2 春の朝

北の都の 朝ぼらけ
ロンアと紛う 街並みに
楡の梢の 芽吹く季(とき)
若き血潮の やるせなく
河岸(かし)にたたずむ 君と我
君 哀しみを おしこらえ
(わらべ)のうたを 歌いな
風はさやかに ほほを撫(な)
花は園生(そのう)を 飾れども
我 敗残の 民なれば
心は枯れし 花のごと

3 夏の昼

銀のさざなみ しずまりて
鏡と冴ゆる 松花江(スンガリー)
河の真中(まなか)に 横たわる
太陽島に 遊ばんと
渡しの舟に 身をゆだね
君 つかのまの 安らぎに
憂さを忘れて ほほえめば
日は河の面(も)に たわむれて
水はきらめき 躍れども
我 抑留の 民なれば
胸のきらめく よしもなし

4 秋の夕

街の広場に そびえ立つ
あな美しき 中央寺院(サポーロー)
胸の愁えを いやさんと
オルガンの音に いざなわれ
異教の神を 仰ぎ見て
帰らぬ父の こと無きを
君 ひたすらに 祈りなば
晩鐘(かね)ははるかに 鳴りわたり
雲は深紅に 映ゆれども
我 忍従の 民なれば
心に映ゆる ものはなし

5 冬の夜
窓の明りも 凍りつく
キタイスカヤの 石だたみ
そり引く馬の 鈴の音も
道行く人の 影も絶え
襲わるるやと おびえつつ
家路を急ぐ 二人づれ
君 ひたむきに 歩みなば
月は行手を さし照らす
家にペチカは 燃ゆれども
我 放却の 民なれば
燃ゆる想いも 凍てつきぬ

6 新年

年あらたまる 夜は明けて
新たなる年 めぐりくる
東の空を 望むれば
日はおごそかに たちのぼる
引揚げの日の 早かれと
のぼる朝日に 手を合わせ
君 もろともに 願いなば
空は黄金に いろどられ
鳥は自由に 羽ばたけど
我 逼塞(ひっそく)の 民なれば
はるかに故国(くに)を 偲ぶのみ

7 エピローグ

君は十五の 乙女にて
我は二十の おぼこ者
縁者の家に 身を寄せて
共に暮して 居たれども
愛を語らう すべもなく
いとしき想い 秘めしまま
籠に捕らわる 鳥のごと
自由の翼 のびざれど
我 日本の 民なれば
誇りを捨てず 生きてゆく
祖国に帰る 時を待つ

注 記

哈爾浜(ハルビン): 帝政ロシアが満州支配の拠点として建設した旧満州北部の中心郡市。当時の人口七十万人、現在人口七百万人。
松花江(スンガリー): スンガリーはロシア語名。河幅1kmを超える大河。冬の結氷期を除き水運が盛ん。夏はボートやヨットでにぎわう。
太陽島: スンガリーの中洲。ロシア人の別荘が建ち並ぶリゾート地。
中央寺院(サボーロー): サボーローははロシア語名。ロシア正教会の旧満州地区の総本山。哈爾浜を代表する美建築であったが、文化大革命で紅衛兵に破壊された。
キタイスカヤ: ロココ調の家が建ち並ぶ哈爾浜一の繁華街。現中央大街。キタイスカヤを直訳すると、中国人街となるが、これは都市造成時に中国人労働者が、多く通ったことに由来する。