野口英世
2008/3/13

野口英世を知らない日本人は殆ど居ないだろう。

貧しい農家に生まれ、小児時代に大火傷をし、長じてアメリカに渡り多くの学問的成果を上げ、最後は、アフリカで黄熱病研究中に自ら羅漢し死亡した。

というのが小生の知っている野口英世である、大方の人も同じだろうと思う。

小学校、3年か4年の時、学校で野口英世の伝記映画を見に行った。担任の女性教師の膝に抱かれて見たこと、その膝が柔らかく温かかったこと、主演が森雅之だったこと、やけどのシーンくらいしか覚えていない。

小学生の頃故、映画のなかで野口英世の学問的業績があったとしても理解できなかったであろうし、記憶にも残らなかっただろうと思う。

しかし、彼が学問的にどのよう業績を上げたのかというかとについて、その後何十年たった今も何も知らない。

ある本で、野口英世について興味深い記述を見つけた。

この本(「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著)の野口英世に関する記事をかいつまんで言うと以下のようなものだ。

野口英世の銅像が、ニューヨークのロックフェラー大学にある。2004年、新千円札に野口英世の肖像が印刷されたことから、この銅像を見に来る日本人観光客が急に増えた。

このことについて、大学の広報紙が、解説記事を載せている。新千円札に野口英世の肖像画が印刷されること、日本人にとって、野口英世が如何に立志伝中の人物かを紹介した後、一転して、米国での彼の評価を述べる。

20世紀初頭の23年間をロックフェラー大学で過ごした野口英世の名を、今日、この大学で、記憶する人は殆どいない。

彼の業績といわれる、梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病の研究成果は、当時こそ賞賛を得たが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたもので、その後間違いだったことが判明したものもある。

彼はむしろ、ヘビードリンカー、プレイボーイとして評判だった。結局野口の名は、大学の歴史に於いて、脚注に相当するものでしかない。

研究業績で今日意味有るものはないにせよ、当時は、かなり名声を馳せたのは事実で、ノーベル賞候補にも一度ならず名が上がったらしい。であればこそ、彼の死後直ぐに銅像が大学に飾られたのだろう。

その名声が、実際の業績とは関係なく今も日本では神話のように生きていると言うことらしい。

それにしても、もし、彼の業績で今日見るべきものがないとしたら、どういう事情で、千円札の肖像画に選ばれることになったのだろう。

この本の著者は、樋口一葉が5千円札の肖像画になっていることについても、

樋口一葉も最もお札から遠く離れた人物であるといえる

といっているが同感である。