半世紀ぶりの小学校・中学校の同級会
2007/3/17

小学校・中学校の同級会に行ってきた。小学校卒業以来55年、中学校卒業後52年、高校卒業後でも49年振りの同級会である。

受付に着いたら、50余年ぶりの再会とあって、皆が声を掛けてくれる。しかし、心配したとおり、顔も名前も思い出せない。

ともあれ、部屋に入って着替える。相部屋の人達が、何人か居たが、どの顔も名前も思い出せない。

受付にいた男性が、部屋に入ってきて、「覚えてませんか、君とは大分親しくした仲なんだけど...」。名札を見ると「IK」と書いてある。思い出せず困惑していると、旧姓「UM」です。「えっ、UM君?!」と驚く。

当時背が高く痩せていて、ひどくのっぽだった記憶があるのだが、今はそれほどのっぽには感じない。あの頃に背が伸びきってしまったのだろう。ともあれ、思い出せて嬉しくなる。

同室のUSM君はは、名前を見て思い出した。も一人、同室の人が、「ED君ですか? 僕もEDです」「はて」と首をかしげていると、「同じアパート団地にいたものですよ、NY君と一緒に登下校したものですよ」という。「ああ、高校でやり投げをやってたED君ですね」とこちらも思い出せた。

宴会場に行って、IM君、TG君、そして、KT君を顔を見ただけで思い出せた。

女性も出席者の半数居たのだが、残念なことに、思い出せたのはたった一人であった。この人は、矢張り同じアパート団地にいた人で高校も一緒だったから、旧姓KSを覚えていた。

彼女もこちらを覚えていてくれ、「あの頃気取って澄ましてたわね」といわれた。「気取ってたのではなく、女性が怖かったのですよ」と応えた。実際あの頃の中学生は、今とは違って、男女交際は殆どしなかった。

何人か、可愛いなと思っていた人がおり、名前も覚えているのだが、その人達は出席していなかった。

思い出せないとはいえ、出席者の半数が女性なので、宴会や2次会の席で話をする機会もある。上品な雰囲気の人、なお色気を感じさせる人等魅力的な人が何人もいた。どうしてこういう人を覚えてないのかと思う。

単に年数が経っているばかりでなく、女性とはおよそ付き合いがない学校生活であったから、思い出すきっかけがないのだと思う。

大学時代の友人が、憧れた女性に会えると期待してこの種の同級会に出て、「行かねば良かった同級会?」と言っていたが、小生の場合は、「来て良かった同級会」であった。

結局、43名の出席者の中で、思い出せたのは、8名に過ぎなかった。全て、半世紀に亘り、音信不通だった人なので、それだけでも出席した甲斐があると思う。

こちらが思い出せたのはわずかだが、こちらの名前が珍しいもの故、覚えてくれている人はなりいたようだ。

翌日、KT君の車で沼津駅まで送ってもらい、同級会には出席しなかったNY_SSR君に会う。駅の喫茶店で、お茶を飲みながら話す。彼とは43年振りの再会だが、矢張り、それなりに面影はあるものの、かなり太ったなという印象。彼も、こちらに対し、「あの頃は頬がこけて痩せていたのに...」と言っていた。

「もう少ししたら、向かいのビルのビヤホールが開くのでそこへ行こう」という。「昼間から飲むの?」と訊いたら、「朝から飲んでいるよ」という。「朝から飲むと依存症になるよ」と言ったら、「もうなってるのよ」との応え。心なし、カップを持つ手がふるえているように見える。

11時にビヤホールへ行ったが、未だ開いていない。昨晩の宴会や二次会でかなり飲み、多少二日酔い気味なことと、朝飯を腹一杯食べてしまったこともあり食欲がないので、今日はこの程度にしよう、また来年来るからと言い、帰ることにする。

三島駅まで彼は送ってくれた。

43年の空白が、共通の話題を昔話に限ってしまっているのが寂しかったが、ともあれ懐かしい出会いであった。

NY君とは親しかったし、懐かしく思い出を話し合えたが、同級会では、2割に満たない人しか思い出せなかった。半世紀の空白は大きいなと実感した。