43年ぶりの交友再開
2007/3/16

先日夜、電話がかかってきた。「NYです、覚えてますか」「???」「沼津のNYです」。NYの部分は、良く聞き取れなかったが。「沼津の...」で、小学校・中学校の同級会の件だなと想像し、名前も確認せぬまま、応対した。

というのは、その数日前、沼津市立第5小学校・第5中学校の合同同級会を3月に伊豆長岡温泉でやるとの案内が届いたからである。

同級会の幹事からだろうと想像し、電話を聞いていたのだが、相手は同級会には出席しないという。同窓会の名簿が届き小生の名前と電話番号が掲載されていたので懐かしくなり電話したという。

何かおかしいと思い、念のため、再度名前を訊いてみた。NY SSRだと言う。えっ?!と声が詰まった。小学校から中学校、高校に掛け、ずっと付き合っていたいわば親友だった相手だ。

高校卒業とほぼ同時に、沼津から横須賀に引っ越し、大学受験に失敗して、浪人生活となったことが重なりり疎遠になったのだが、大学合格したときに遊びに来てくれたし、大学を卒業し就職が決まったときも遊びに来てくれた。

所が、彼も余り筆まめでないこともあって、以来付き合いが途絶えていた。つまり、43年ぶりの接触である。何とも懐かしい。

親友であった彼との交際がこのような具合だから、小中学校時代の他のともだちは、もっと疎遠になってしまっている。完全に音信不通になっていた。

話が前後するが、今年の初め、覚えのない人からメールが入った。大勢の人に送ったメールで、写真が添付されていたが、誰だかわからない。迷惑メールと思い削除しようとしたが何気なく、大勢の宛先の名前を見た。聞いたような名前がある。

はっと気が付いた、小学校から中学校に掛け一緒だった人の名、今でも覚えている女性の名前や、高も一緒だった学友の名がいくつか見つかったのである。

驚き、喜び、そのメールの宛先にある人達に写しを入れ、メールの差出人に返信を送った。何十年もの音信不通をあれこれ書く訳にも行かず、近況報告を兼ねてということで、己のホームページを紹介した。

直接の返信相手からは返事が来たが他からは何の反応もなく、こちら同様余り覚えている人が少ないのだなと感じていた。このとき、住所や電話番号を返信したのかも知れない。おそらくその時に送った住所等が、同級会名簿に載ったのだろう。

しかし、少々不可解なのは、小生に突然メールをくれた人が、どうやって小生のメールアドレスを見つけたのか(質問したのだが、回答がない)、喜んで、そのメールにあった人達全員にメールの写しを入れたのだが、直接の返信相手しか反応がない。

同級会名簿を作ったのなら、小生にも送ってくれて良さそうなものだがそれもない。同級会の案内が届いたのだから住所がわからないと言うこともないはずだ。

ともあれ、来年3月の同級会には、出席してみようと思う。そこで、これらの疑問を解決し、できれば旧交を回復したいと願う。

難聴で、大勢の場所は、会話を聞き取るのが難しく、失礼なことになりかねないのと、何せ小学校卒業後55年、中学校卒業後52年、高校卒業後でも、49年の無沙汰の後の同級会である。

名前も顔も思い出せず、ここでも失礼する羽目になるのではないかという懸念で、迷っていたのだが、NY SSR君が電話をくれたことでやはり行ってみようと言う気になった。

NY SSR君は出席しないらしいが、それなら、同級会の後彼に会いに行こうと思う。
来年3月のことではあるが、何か興奮する。.