49年ぶりの高校同窓会
2007/6/16
3月に50余年ぶりに小学校・中学校の同期会に出たことを書いた。その時、旧交を温めることができた友人から、高校の関東支部同窓会があるけど出ないかとの案内があり、小・中学校の同期会の時と同様、今でなければ、もうでる機会はないという気持ちで、出席した。
小・中学校の時よりも思い出せる人が少なく、30名近く出席した同期の中で思い出せたのは片手に満たなかった。
小・中学校の同期連中の方が付き合いは長いこと、高校時代の同期は、クラブ活動等が一緒だった連中との付き合いが主で交際の幅がやや狭まっていたことが背景にあるとは思うが、それにも増して、卒業以来、49年もあってない人が殆どというのが主たる理由だろう。
高校卒業と、浪人生活と、家庭の引越というのが重なり、大学は高校の所在地から遠く離れたところに行き、高校のあった沼津から足が遠ざかり、結果として49年の空白を作ってしまったことの記憶への影響の大きさに改めて驚いている。
同窓会の後、同期だけ集まっての2次会に出たが、まるで初対面の人との会話である。どうも相手も、こちらの高校時代のイメジとの乖離の大きさに、思い出せないでいるように見える。
予備校が一緒だったという人がいたが、こちらが全く自信がないことはさておいて、相手もそれほど確信があるわけでもないように見える。
旧交を暖めることができた人はなしという結果ではあったが、同じ高校で同期だったよしみで気安く語れることが救いであった。こうして改めて知り合った付き合いを大切にしていくほかないと思う。
二次会に先立ち、同窓会がお開きになる際、校歌の斉唱があったが、斉唱といわれたとき、どんな校歌だったか思い出せなかった。
歌詞を印刷したものが配られたが、これを見て読んでいる内、メロディーが朧気ながら胸に浮かんできた。これで合っているのだろうかと自信はなかったが、斉唱が始まって、胸に浮かんだメロディーが正しかったことが分かったとき何とも言えぬ熱いものがが湧いてきた。
歌いながら、格調の高い歌詞だなと感じつつ、この語は一体どういう意味なのかとやたらに疑問が浮かんできた。
家に帰り、その歌詞を改めて眺めながら、意味を確認していった。
格調高き、校歌は下記のようなものである。沼津中学創立(1901年…何と20世紀の始まりの年である!)20周年を記念して作られたものだそうだ。つまり大正時代に作られた(詩)歌。
校歌 作詞 橋爪 健
作曲 原田 彦四郎
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鳴呼昧爽(まいそう)の星の影
函嶺(かんれい)赤く映ゆる時
東瀛(とうえい)の波清らかに
八朶(はちだ)の冠(かむり)湛(たた)ふれば
見よ明け初むる南(みんなみ)の
我が同胞(はらから)の自治の里
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水ぬるみ行く狩野の辺に
地平の春は湿ひて
若草萌ゆる香陵(こうりょう)の
胸にまどろむ此の土を
濁世(じょくせ)に離(か)るる若き日の
我が揺藍の庭として
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よし岳南に三年の
短き夢は醒むるとも
霊の樹蔭に巣立ちたる
鵬の翼を双(もろ)張(は)りて
理想の空に翔り行く 心願の道遙かなり
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妖雲とざす渾沌の
流転の浪をよそに見て
しばし安けき学舎(まなびや)に
学びの草を培ひつ
道を求むる我等こそ
将来(ゆくて)を担ふ運命(さだめ)あれ
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さらば我が友相寄りて
太平洋の曙に
染むる久遠(くおん)の眼指(まなざし)を
望みに赤く輝かし
欣求(ごんぐ)の腕(かいな)かざしつつ
高歌はずや栄(はえ)の歌
高歌はずや栄の歌
というものである。
まず1番の「昧爽(まいそう)」とは、夜明けのこと。函嶺(かんれい)とは箱根の別名。東瀛(とうえい)とは東方の大海、転じて、日本のこと。八朶(はちだ)とは富士山のことを芙蓉八朶ともいうことから富士山のこと。
だそうである。
高校時代いろいろな機会に唄っていたものではあるが、その意味を理解せぬまま唄っていたことになる。
因みに、狩野とは狩野川のこと。香陵(こうりょう)とは香貫山(かぬきやま)のことである。
友を想い出すことはできなかったが、校歌を想い出せ、その格調の高い詩を理解できたことを喜びたい。