咏老狂歌
2007/4/6

先日友人が、

「江戸時代に、世間の老人の自戒のために尾張藩の重臣横井也有が詠んだ狂歌を下記します。

『くどうふなる 気短になる 愚痴になる 思いつくこと みな古くなる』

私自身の自戒として、若い人をけなす年寄りでなく、応援する熟年でいたいと反省しています。」

とメールしてきた。

実は、この狂歌、小生も気に入り、備忘録に書きとどめていたものである。1997年退職した直後の2年間、暇になったら早く呆けると思いやたらに本を読んだ。その中で、この狂歌みつけた。

作者は、横井也有 (1702-83) という元尾張藩士の俳諧師。70歳の時に作ったものだそうだ。小生が読んだ本には、俳文集『鶉衣』の著者として紹介されていた。

この狂歌を送ってきた友人同様、小生も大変気に入り、親しい友人に送った。友人から誰の作かどんな本に出ているのかと質問され、作者横井也有とその著作『鶉衣』を紹介した。

自分自身、原文を見たいと思い図書館に行き、『鶉衣』を見つけ、この狂歌を探したが見つからなった。そのまま、忘れていたが、今回の友人からのメールで改めて、インターネットで情報を探してみた。

この狂歌は「咏老狂歌」として松浦静山『甲子夜話』に記録され、他に幕臣宮崎成身『視聴草』、編者未詳『続淡海』にも記録されており、18世紀後半から19世紀にかけて「老い」をテーマにした狂歌としてかなり知られていたと思われる。

という記事を見つけた。

この詩、横井也有の作には間違いないらしいが、『鶉衣』に載っている訳ではないようだ。

小生の備忘録には、横井也有の咏老狂歌として、このほかにも下記のものがある。

  • しわがよるほくろができる背がかがむ頭がはげる毛が白くなる

  •  手はふるう足はよろつく歯は抜ける耳は聞こえず目はうとくなる

  •  またしても同じ話に孫自慢達者自慢に古きシャレ言う

  •  くどくなる気短かになるぐちになる思いつくことみな古くなる

  •  身にそうは頭巾えり巻きつえめがね湯婆(たんぽ)温石(おんじゃく)しびんまごの手

  •  聞きたがる死にともながるさびしがるでしゃばりたがる世話やきたがる

「くどくなる...」もそうだが、「またしても...」や「ききたがる...」も、自分自身を含め、思い当たるところが多く、自嘲、自戒させられるものである。

先のメールの友人にこれらを送ったところ、自分のところにもそれらはあるということで、彼の方の狂歌も改めて送ってきた。

所が、友人が送ってきたもの(友人も別の友人から紹介されたらしい)、そしてインターネットで見つけたものも小生の備忘録のものと少々異なるところがある。

またまた、原文を見て確かめたいという気になった。しかし記録されているのが、横井也有本人の著作ではなく、『甲子夜話』、『視聴草』、『続淡海』などの他人の著作とすると、この三つの本でも違いがあるのかも知れない。

ともあれ、違いを挙げると下記のようになる。以下、下線部が異なる部分、ユは友人が送ってきたもの、イはインターネットで見つけたものを示す。

  •  しわが(「は」ユ)よるほくろが(「は」イ・ユ)できる背が(「は」ユ)かがむ頭が(「は」イ・ユ)はげる毛が(「は」イ・ユ)白くなる

  •  またしても同じ話に孫自慢(「ほめる」イ・ユ)達者自慢に古きシャレ言う(「人をあなどる」イ・ユ)

  •  くどく(「ふ」イ)なる気短かになるぐちになる思いつくことみな古くなる

  •  身にそう(「あふ」イ)は頭巾えり巻きつえ([つえなし]ユ)めがね湯婆温石しびん(「しゅびん」ユ)まごの手

「しわ...」の詩では、「は」に統一、「が」に統一、前半「が」で後半「は」という違い。

どうでも良いようだが、ニュアンスが若干違う。小生は、前半と後半の使い分けを好ましく思う。

「またしても...」では、「自慢」の繰り返しを避けるという意味で、「ほめる」が正しいのかなと思うが、読む上での調子から、「自慢」の方が好みである。

また、「人をあなどる」よりも「古きしゃれいう」の方が、実感があるし、面白いと思う。

しかし、横井也有は、老人の特性を下記十項目にまとめているというデータもあるので「あなどる」の方が正しいのかも知れない

1、 くどくなる
2、 気短かになる
3、 愚痴を言う
4、 淋しがる
5、 出しゃばりたがる
6、 世話やきたがる
7、 同じ話ばかりしゃべる
8、 人をあなどる
9、 死にたがる
10、昔のことばかり思い出す

「くどく(「ふ」イ)なる...」は、音便にするかどうかの違いで大差ない。現代風には、「く」の方が言葉としては聞き易いし、分かり易い。

「身にそう(「あふ」イ)...」は、身について離れないの意なら「添う」、似合うの意なら「あう」だろうが、どちらが本当か分からない。「添う」の方が良いように感ずるのだが...

「しびん」か「しゅびん」かは「尿瓶」か「溲瓶」かの違いであり、意味は同じ。也有本人はどちらの文字を使ったのか気になるが、しびんの方が分かり易い。

友人からのものに、「杖」が抜けているのは、多分間違いであろう。

このほか友人からのものには、下記の詩が追加されている。

  •  よだたらす 目汁をたらす 鼻たらす とりはずしては 小便ももる

  •  宵寝、朝寝、昼寝、物ぐさ、物忘れ、それこそよけれ 世にたたぬ身は

老人の性癖としては否定しようないかも知れぬが、余り楽しめるものでもない。

もう一度気に入った3首を並べ、改めて自戒のネタとしよう。

  •  またしても同じ話に孫自慢達者自慢に古きシャレ言う

  •  くどくなる気短かになるぐちになる思いつくことみな古くなる

  •  聞きたがる死にともながるさびしがるでしゃばりたがる世話やきたがる