パソコン嫌い
2006/4/10

世はIT時代。パソコンはいじらなくても、e-メールをやらないという人が珍しくなっている時代かと思う。

しかし、それでも、e-メールもパソコンもやらないという御仁が結構居る。しかもこれが男性に多いように感ずる。何故やらないのかと訊くと、余り納得できる返事は返ってこない。

「仕事でやっているので十分」とか、「家に帰ってまでいじりたくない」というのを何回か聞いた。仕事でやむなく使ってはいるが必要最小限のことしか使わずそれ以上はやりたくないということらしい。この辺りは分からないではない。

しかし、どうにも理解できないタイプの人がいる。パソコンをやらないことを自慢げにいう人である。きちんとした理由を持っているのかも知れぬが、なるほどと納得できる理由を聞いたことがない。

「ああいうものはやらない」とか「嫌いだ」という言い方をするのである。どうも、パソコンをある種の流行と見ているようで、「そのような流行には俺は乗らないのだ。時流に流されるような軽薄なことはしないのだ」と息巻いているように見える。

不思議なのは、こういう人が、昔のいわゆるワープロ機械を使っていたりするのである。

ワープロが使えるのなら、パソコンをいじるのは簡単に慣れるし、むしろもっと便利だと思うのだが、それをやらない。やらないことを自慢げにいう。

個人の自由だから、こちらがとやかくいうことではないが、何も自慢げにいうことでもないだろうと思うのである。

宮仕えの頃、何事にもひとと違うことを言いたいという一言居士が居た。この御仁が、電卓のキーの位置がメーカによって微妙に違うことに「この電卓のキーの位置はおかしい、使いにくい」とけちを付けていた。

「その程度の違いに慣れられないのは老化の兆候ですよ」と冷やかしたが、案外、本当の理由はそんなところではないのかと穿ったりしている。