「仙台小唄」 = 「ミス仙台」?
2006/8/15

学生時代覚えた歌に、「仙台小唄」なる曲がある。

森の都の花乙女
月に棹さす廣瀬川
若きひと夜の戀ごころ
仙臺、仙臺、なつかしや。

夏の祭は七夕に
星も逢瀬の笹の露
君と歩みし想ひ出や
仙臺、仙臺、なつかしや。

青葉城下に秋立てば
ネオン色めく一番町
三味の音いろも泣きぬれて
仙臺、仙臺、なつかしや。

戀も涙も想ひ出も
雪に埋もるる北の国
枝垂櫻の春を待つ
仙臺、仙臺、なつかしや。

この歌についての本が出版されたと友人が教えててくれた。

この歌は、昭和11年二葉あき子の歌うレコードで世に出たという。曲名は、「仙台小唄」ではなく、「ミス仙台」だったそうだ。作詞は西條八十、作曲が古関祐而。

一説によると、戦前の敵性語廃止で、『ミス・仙台』が自然発生的に『仙台小唄』と改称され、その後昭和26年に二葉あき子が再び『ミス・仙台』でレコードを出し、以後『ミス・仙台』に落ち着いた由。

だが、学生のころ、「ミス仙台」という曲名は聞いたことがない。

この曲、戦後何回か復刻され、二葉あき子以外の歌手も歌っていて、一番新しいのは、島倉千代子が昭和49年にレコードを出しているという。

学生時代この曲のレコードを聴いたことがある。歌っていたのは、奈良光枝という歌手だとずっと思ってきた。

所が友人の情報には、奈良光枝の名前は出てこない。もしかして奈良光枝もレコードを出しているのではないかと、インターネットで情報をさがしてみたが、見あたらない。どうも勘違いであったらしい。

何故、奈良光枝に拘るかというと、美人歌手だったからである。

美人だから映画にも出た。歌など一切歌わない映画にも主演したというから、役者としても、認められていたのだろう。

中学生のころ、彼女が新聞に書いたものを読んだ覚えがある。接吻女優といわれたと書いていた。日本映画で最初にキスシーンを撮った女優だと言っていた。

歌手としても本格的で、音楽大学でクラシックをやっていたが、健康を損ねて、体力が必要なクラシックを諦め、流行歌に転じたという。

藤山一郎とデュエットで歌って大ヒットしたのが「青い山脈」。

てな訳で、好きな歌手だったのである。

二葉あき子とは声も違うから、何故、奈良光枝だと思いこんだのか不思議な気がする。もしかすると、二葉あき子以外にもレコードがでているというから、他の歌手が歌ったものを聞きそれが奈良光枝の声に似ていたのだろうか。ともあれ、奈良光枝だと思いこんでいた。

学友の話では、曲が同じで、歌詞だけ違って、「水戸小唄」として今も水戸一高同窓会では歌われるという。

また、替え歌として、歌詞は異なるがメロディが同じ流行歌「乙女十九」がある」とのこという。、この「乙女十九」について、面白い記事をインターネットで見つけた。

「乙女十九」は昭和14年、奥野椰子夫作詞、仁木他喜雄作曲で二葉あき子が歌いました。

最近のある日ラジオを聴いていると、島倉千代子の歌唱で『ミス仙台』として 紹介されていました。

どこかで聴いた曲だと思ったけど中々思い出せずにいたのが、やっと二葉の「乙女十九」だと気づきました。

「ミス仙台」は「乙女十九」に比べてかなりゆったりした曲になっています。どうしてこの曲が「ミス仙台」と云うような「ご当地ソ ング」になってしまったのか...

とある。

作詞者も作曲者も上記の西條八十、古関祐而の名とは全く異なるのが奇妙だが、他のインターネット記事を見ると、「乙女十九」はやはり、西條八十作詞、古関祐而作曲となっている。

もし、西條八十作詞、古関祐而作曲が正しいとすれば、作詞者、作曲者、歌手が全く同じで、同じ曲に、2種類のレコードが出されたことになる。

レコード会社の商魂なのだろうとは思うが、西條八十も、古関祐而も知ってのことなのだろうか。全く別人の作詞者、作曲者の名前が出て来る背景には、何か訳ありと勘ぐりたくなる。

ところで、仙台が「杜の都」といわれ始めたのはそう古いことではないらしい。文献での初見は、大正13年だという。「杜の都仙台」を全国に広めたのは、この「ミス仙台」(仙台小唄)による所大とのことである。これもインターネットからの情報。