YZ君の他界
2005/6
2005年4月某日、タイに長期滞在しているはずの学生時代の友人の奥様より電話があった。一時帰国したのかとお思い、会う機会が得られるのかなとの期待に反し、「主人が亡くなりました」との言葉。「えっ?!」と声を詰まらせた。

体調がおかしいと帰国し、病院で見てもらったら、末期大腸癌、手の施しようないとの判定。本人は、従容とその通告を受け止め、子供達に色々と話をし、臨終の床では笑顔を浮かべていたとのこと。

通夜と告別式の予定を知らされ、学生時代の同級生に伝えて欲しいとのことであった。

同級会の仲間にメールをおくり、通夜、告別式に出席した。大学の同じ学科の卒業生約60名のうち、既に二人亡くなっているが、一人は交通事故で、若くしてなくなり、一人は実のところは行方不明というもの。いわゆる病気で亡くなるのは、彼が初めてである。

在職時代も何回か出張の序でにタイに立ち寄り、旧交を温め、退職後も昨年タイに旅行した際バンコクで会い、色々世話になったばかり。常に大きな声で、元気に、陽気に語り、笑い声を上げ、元気印の固まりであっただけに、同期で一番の死去に驚いた。

葬儀が済んで2ヶ月後、奥様から、包みが送られてきた。彼の形見のものだが使ってくれと言う。ネクタイと、万能ナイフというのだろうか、色々な機能が組み込まれたもの、そして、病床でノートに書いてあったというメモのコピーが入っていた。

メモのコピーには、次のように書かれていた。

2005.4.3

走り走しって、
飛んで飛んで、
47(シジュウーシチ)の国。
燃えつきた胸骨(きょうこつ)が
遠く深く、
大海の底に、沈んでいる。
                                       (原文のまま。括弧内は文字の下に付されたルビ)

その真意を理解できるものではないが、外国での仕事に殆どの社会人生活を送った彼が、その達成感を誇っているように読める。奥様の、死の床では笑顔を浮かべていたということばからも、一層その感を強くする。見事な、往生だと感嘆する。

翻って、我が身、これだけの達成感を誇れる自信は全くない。

彼の死去の報を得て、1ヶ月後、別の同級生がやはり癌でなくなったとの報を得た。しかも上記の友人よりも一ヶ月先に亡くなっているとのこと。

身近な仲間が、このような病気でなくなり、且つ、最近、在職時代の親友が肺ガンが見つかって入院している。あらためて、そのようなことが起こって不思議でない世代にいるのだという実感を強くする。

今得ている生を、1日1日、精一杯、充実感を持って生きることだと、今更ながら、思いを新たにする。