カタカナことば
ブログNo.4  2005/3/7
最近新聞で、「ドイツ語に『てにをは』付けたような講義だった」という表現を見た。ある高名な学者が、終戦後間もなく大学で受けた医学の講義についての説明であった。

これを見て、医学教育の特殊な事象ではなく、今や、日本語そのものが、外来語に「てにをは」を 付けた言語になりつつあるのではないかと思いついた。

最近の新聞・放送に見聞きするとおり、カタカナ語が多いことを誰もおかしいと思わない。というより、カタカナ語でないと恰好が悪いという風潮が長く続いているように思う。

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これは、今朝の新聞に出ていた雑誌広告である

カタカナ語に関連する面白い事件が、先般の愛知県の町村合併による新市名案「南セントレア市」ではなかったろうか。幸か不幸か、この町名の賛否以前に合併そのものが住民投票の否決によってご破算になったらしいが、住民投票の否決を招いたのがこの新市名案にあったらしいのも興味を引く。

これだけ世界の情報が飛び交うようになっているのだから、自国語にない概念や事物が現れたら
、外国語をそのまま(本当はそのままでないものも多い)カタカナにした言葉ができるのはやむを得ないとは思う。

しかし、どうも、他の国はもっと、外国語を導入するのに慎重なように見える(調べたわけではない、印象である)。一方、こちらは、カタカナ語は恰好良いというだけで、日本語らしい訳語を探すことなくカタカナ語にしてしまうように見える(昔はそうではなかったのではないか)

しかも、本来の外国語が持つ汎用性は、無視して、そのものあるいは特殊な概念だけにそのカタカナ語を当てるため、別な日本語と拮抗する...というより別な言葉としてできあがってしまうこと があるように見える。

音楽会や劇場の切符を最近は切符といわないで、チケットという方が多いのではないか。だが、乗り物の乗車券は、チケットとは余り言わないようである。

コンピュータ通信による文書交信をメールといい、普通の手紙とは区別する。Mailの本来の意味は郵便である。

アイロンは、早くから日本語化し、しかも音より文字からカタカナになったらしいが、ゴルフのクラブで金属クラブはアイアンという。本来同じ、ironから来ているはず。日本では同じironが、ものによって別な発音になっている。

印刷機とプリンターは、今や必ずしも同じ意味ではないのではないか。音楽会とコンサートも何か語感が違うという感じありそうである。

レストランを食堂という人は今や皆無であろう...否、90歳になる我が母は、今も「食堂」という。
母は、シーツを「敷布」と言い、バスタオルを「湯上がりタオル」という。言い言葉だと思う。

パンツは、長い間男性用下着のことであった。今やズボンのことを言う。本来英語のpantsにはそういう意味があるのだから文句を言えるものではないが、そもそもあった外来語「ズボン」を捨ててまで言い直す必要性を疑問に思う。男性用下着としてのパンツは死語になるのであろうか。

昨年、中国を旅行する機会があり、日本語を勉強しているあちらの学生と話す機会があった。日本語で何が難しいかと聞いたら、「外来語です」という。その背景を詳しく聞いた訳ではないが、上記のような事情もあるのではないかと推測する。

こうして、日本語でも間にあうかも知れないものでも外来語を入れることにより、日本語の意味とは別の意味を持たせる形になってしまう。日本語の語彙はそれだけ(不必要に?)増えることになる。

以前、日本語教育の勉強をしていた折、どの言語も、意思疎通のために必要最低限の語彙数というものがあるが、それが日本語は他の言語に比べかなり多いという解説を見たことがある。

外国語にない、敬語の問題などもあるであろうが、外来語も大きな要因ではないだろうか。

いずれ、日本語は恰好良いという風潮が出てくることを期待したい。