難聴
ブログNo.1 2005/3/2
50代に入り、人間ドックでの検査で、特定の波長で聴力が落ちていることを指摘された。当初、生活に不都合もなく気にしなかったが、次第に、会議などで、余り声帯を使わず低い声(声の高低ではなく、発声量の少ない)の人の発言が聞き取りにくくなっているのに気付いた。

ある時、役員会での報告で、役員の質問に気付かず説明を続けてしまったことがある。このとき初めて、難聴がかなり進んだことを実感した。

安い集音器を買ってみたが、これは、うるさいばかりで全く役に立たぬことが分かり、補聴器を買ってみた、しかし、補聴器なるものも、集音器より程度がよいというくらいで、使っていて快適なものではないことを知った。

会社が何度目かの早期退職勧奨制度を発表したおり、面白半分に、2年数ヶ月後の定年まで務めるのと、早期退職勧奨に応ずるのと、経済的得失を比較計算してみた。早期退職は1年を数百万円で買うに等しいという計算になった。

この結果に、心が動いた。難聴で、業務にも不都合が出始めている。会社での己の先々に、もう夢はない。であれば、これは安い買い物と結論した。

退職後、知人から、仙台に名医がいると教わり、仙台まで出掛けた。

待合室に「日本の名医」とか言う本が置いてありそれを拾い読みして、その名医は、鼓膜修復の名医であることを知った。診断の結果は、「器官としての耳に異常はない、聴力が衰えただけ、補聴器を付けなさい」

思い切って、世界最高と言われる補聴器を求めた。30万円也。それまで使っていたものより、うるさくないのは確かだが、かといって良く聞こえるというものでもない。いや、良く聞こえるのかも知れない。ただし、雑音が良く聞こえる。

静かなところで、少人数で話す分には支障はない。良く聞こえる。しかし、会議室や、宴会場など大勢の人がいるところになると、雑音が多くなり、相手の声は分かっても、言葉が聞き分けられない。この手の場所では、最高級の補聴器といえども、余り役に立たない。

少々ざわついた場所で会話をするとき、声の低い人の話しは特に聞き取りにくい。「え?」と聞き返すが、3度も聞き返すのはかなり勇気が要る。そのうち、相手が気を悪くするのではないかと心配になり、分かったような顔をして、相づちを打つようになる。それでおしまいなら問題はないが、後で、「あのとき言ったでしょう!」とか、「人の話聞いてなかったの!?」とか言われる羽目になることがある。

そんな経験の度に、相手に気を悪くされても、何度も聞き返し確認する方が良いという結論になるのだが、現実には、それがなかなかできない。何度も聞き返すことで、会話の流れを乱してしまうし、相手が声を大きくするとその中に苛立ちを感じてしまうこともある。

友人が、鍼灸師の免許を取り、鍼灸でも難聴が直ることがあるというので、彼の治療も受けてみた。難聴が良くなるという結果にはならなかった。

これ以上のものは望むべくもないということなので、不満ながらも、補聴器の世話になりつつ生活を続けているが、他にも、愉快ならざることをいろいろ体験する。

コンサートに行き、「未完成」を聞くと、あの素晴らしい出だしの部分が聞こえない。

カラオケの音程が取れない。好きで「オハコ」を気取り歌っていたものですら、伴奏と合っていない。

退職以来エレクトーンのレッスンを受けているが、エレクトーンが出す音の調子がはずれて聞こえることがある。

人間が音程を取る場合、単一の波長の音だけで音程を取っているのではなく、倍音成分も含む総合的な音で音程を取っているのではないかと言う気がする。

補聴器メーカーのカタログを見れば、両耳装着を勧めている。補聴器店もそれが良いという。

うるさくなく聞こえ、言葉も、音程も正しく聞き分けられるようになるのなら、買っても良いと思うが、現在と余り変わらないのなら無駄金だという気がして、躊躇している。

高校時代からの近眼で、現在、使い捨てのコンタクトを違和感なく使っている。老眼鏡の世話にもなっているが、近くを見ることも、少し離れたところを見ることもできる中近両用なる眼鏡を重宝している。このような目の補正の技術に比べ、耳の補正技術は各段に後れていると感ずる。にもかかわらず、眼鏡の数倍から10倍の費用である。

ああ、音楽が恋しい!