表題

12月に入り、群馬県甘楽に旅行した。

元の会社の先輩友人が住んでおり、常々遊びに来るように誘われて居る。

友人は、退職後、借地農園をこの甘楽に持ち、当初、東京から通っているうちに、こちらに家を購入し、住むようになっている。

一昨年も、甘楽に1泊旅行をしたが、その際、世界遺産 富岡製糸工場を見学したのみであった。他にも、織田信長の系譜 織田宗家七代の墓や、国指定名勝 楽山園等があることを知り、今回はそれらを訪ねてみたいと考えた。

12月1日(金)晴

11:20時 高崎線新町駅に到着。友人が迎えに来てくれていた。友人は当初、夕食会食だけを目的に我々を誘ってくれたのだが、折角だからと、いくつか観光したいと申し出て、早い時間の到着となった。

昼時でもあり、友人ご夫妻と、昼食をご一緒することになり、「道の駅 甘楽」に直行、昼食を共にした。

その後、取り敢えず、「甘楽 ふるさと館」に荷物を預け、先ず、織田宗家七代の墓へ友人の車で送ってもらった。

友人ご夫妻は我々を「織田宗家七代の墓」へ送ってくれた後、そのまま、一度帰宅し、18:00時に甘楽ふるさと館で、夕食を共にすることになった。

織田宗家七代の墓
織田宗家七大の墓
甘楽町美味いものマップより拝借

織田信長の次男信雄(のぶかつ)を初代とする七代の墓がまつられている。日本史の知識のない身は、何故 信長の次男の墓がここにあるのか不思議に思った。

本能寺の変の時、長男信忠は京都にいたが、明智軍に攻められ、自刃したという。一方、次男信忠は、本能寺の変の後、秀吉が天下人として、振る舞いだしたことが不満で、徳川と協力することになり、結果として、徳川の天下となった折、この地を与えられたという。

楽山園
楽山園
織田信雄により作られた庭園 国の名勝に指定
名の由来は『論語』の「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の一文による

七代の墓を見学した後、楽山園に行くことにする。歩いて行ける距離なので、ぶらぶらと歩いて行くが、脚力の衰え著しい我が身には結構辛い。

楽山園は、我が身が障害者手帳を持っているので、カミさんも含め無料入園。しかし、観光客は少ない、乳母車で子供をつれて居る夫婦、一組の二人連れ、そして、園内で写真撮影をしている若者一人しか見かけない。

庭園は、見事なものと感じ、国指定名勝であることを納得。

そこから宿の「甘楽 ふるさと館」までまた歩く。家を出てから、ここまで、8,233歩いた。

友人が手配してくれた「甘楽ふるさと館」は東京都北区と甘楽町が協定して昭和63年に共同建設した宿泊施設。友人は当所 東京から借地農園に通う都度利用していたとのこと。

16:00 時過ぎ大浴場に行く。「炭酸カルシウム温泉システム」 の人工温泉だそうだ。

18:00 友人夫婦到着、宿の食堂で会食。友人は、普段は晩酌をしていないという。酒を味わうと言うより、飲みながら、歓談するのが好きなようで、大いに語る。

12月2日(土)晴


紅葉山公園
紅葉山公園
紅葉山公園2
紅葉山公園2

朝食の後、紅葉山公園が宿のそばの山と聞き、出掛ける。大した距離ではないのだが、坂道で、今の我が身には結構きつい。紅葉は、季節が過ぎた感ではあったが、まずまず楽しめた。

下山して宿に戻った頃、友人が駅まで送ると言って、車で宿まで来てくれた。親切に甘え、高崎駅まで送ってもらう。

高崎駅で直ぐ乗れる電車があり直ぐ乗車、帰途に就く。15:00頃 我が家の最寄り駅に到着、デニーズで遅めの昼食

パンとコーンスープ、サラダそしてグラス一杯の赤ワインの軽い食事が大変美味かった。

今日の歩行数5,420歩

2日連続の快晴で1泊旅行ながら、充実した旅行になった。