狭心症・・・風船治療顛末記

佐藤博悦

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予兆

95年の正月初出の朝、「さあ、今年も頑張るぞ」などと思いつつ、いつもの通りに自宅を出て私鉄の駅に向かった。家を出て6、7分後に山科川に架かる橋のたもとに来た頃、何となく胸が重苦しくなり、酸欠が起こったように感じられ、2、3回深呼吸してから1、2分して駅に着いた。

このことはすっかり忘れていたが、数日後の通勤時に全く同じ場所で同じような胸の重苦しさが起こった。「なんだろうな?」と思いながらいつもの通勤電車に急いだ。1週間してまた同じ事が起こった。しかし、その次の週は何も起こらなかった。「ああ、何でもないんだ」と忘れかけた頃、また橋のたもとで酸欠のような胸の圧迫感が来た。

その後よく注意していると、週1、2回の頻度でこの胸の違和感が起こるようだった。「何かあるナ」とは思いながら、朝の通勤時に起きる以外には全く起きず、仕事にもなんら支障がないので、「そのうち良くなるだろう」と放っておいた。

6月に会社の定期健康診断があり、最後に産業医の問診があった。以前から気になっていたこの「胸の圧迫感、違和感」のことを聞いてみた。医者は即座に、「労作性狭心症の疑いがある、すぐ精密検査しよう」と手続きをとった。「狭心症?」私にはこれに関する知識はこの時ほとんどなかった。54才の時だった。

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1回目のカテーテル検査

いろいろな検査が待ち構えていた。通常の心電図では異常なし。階段昇降やトレッドミルを使った負荷検査でも確証は得られず、24時間装着のホルダー型心電計でも検査したが埒が明かない。造影剤を使ったX線の血流撮像で、どうやら冠状動脈の血流にわずかだが異常が認められたが、詳しくは冠状動脈のカテーテル検査をする必要があるとの医師の所見であった。95年初の発作(以下胸の違和感、圧迫感などをこう呼ぶ)が起きてから既に1年が過ぎていた。

狭心症とはどんな病気か? 心臓の表面には、心臓を養うために冠状動脈が張り付いており、ここから心臓に栄養分や酸素が供給されている。冠状動脈には3本の幹線がある。ところが困ったことに、この冠状動脈は動脈硬化を起こしやすく、内壁が狭くなり血流が悪くなると「胸痛」などの発作が起こる。これが狭心症といわれるものだ。

狭心症には2種類あり、歩行や運動時などに起こるのを労作性狭心症といい、このタイプが多いとされている。動脈が完全に塞がってしまうと、心臓に栄養分が行かないので心筋が壊死してしまい「心筋梗塞」に至る。運が悪ければあの世行きということになる。

冠状動脈のカテーテル検査とは、約3ミリの太さの冠状動脈まで通常は鼠頚部の動脈からカテーテルを挿入し、造影剤を使って冠状動脈や心臓内部の状態をX線でリアルタイムで間接的に確認するもの。私は96年5月にこのカテーテル検査を受けた。

事前に医師から詳しい説明があり、0.2〜0.3%のリスク(脳梗塞や心筋梗塞、場合によっては死亡)があることを告げられてそれこそ心臓がキューとなった。いわゆるインフォームドコンセントというヤツである。医師を信頼して4泊5日の入院でカテーテル検査を受けた結果、冠状動脈に大きくは2カ所の狭窄が認められ、晴れて(?)労作性狭心症と診断され、治療を受けることになった。カテーテル検査は30分程で終わった。

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治療経過と2回目のカテーテル検査

誤解を恐れずに結論から先に言えば、狭心症は治らない病気である。つまり、動脈硬化で細くなった(狭窄した)冠状動脈は、もとの若々しい血管には戻りようがないのである。

では、どのような治療をするのか? 先ずは投薬、二番目に風船治療、三番目にバイパス手術がある。

私の狭心症の治療は、狭窄の程度が軽い方であったので、当面投薬によって日常の生活に支障を来たさないように発作の発生を押さえ、かつ発作が起こらないように薬物による治療を行うことであった。

具体的には、血管の弾力性を保つ薬、血管を拡げる薬、コレステロールを下げる薬、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬などを服用することになった。また、ひどい発作の時には、ニトロを飲むように言われたが、これはこれまで使ったことがない。

医師のチェックは1、2ヵ月に1回の割りであり、問診(発作の回数や状況)の結果で薬の種類が変わった。薬により発作の頻度は少なくなったものの、皆無にはならなかった。多い時には週2、3回、少ない時で、月に2、3回は発作が起きた。時々心電図をとり、血液検査や負荷運動検査なども行い、こうして4年が過ぎた頃、医師に「そろそろカテーテル検査の時期だ」と言われた。狭窄の進行状況をチェックするのだ。

2回目のカテーテル検査は、01年11月に行った。今回は手首の動脈(脈を取るあたり)からのカテーテル挿入であり、前回の鼠頚部からのものに比べて身体への負担が少なく楽であった。しかし、結果は憂うべきものであった。狭窄の程度は、前回25%から今回は75%にまで進んでおり、風船治療が必要、それも数カ月以内にとの診断であった。もう1カ所の狭窄も指摘されたが、先ずは狭窄のひどい1カ所の風船治療を優先することとなった。

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風船治療と3回目のカテーテル検査

俗に風船治療というが、正式にはPTCA(Perucutaneous Transluminal Coronary Angioplasty)経皮的冠状動脈形成術といい、25年もの歴史を持つ治療法である。

私は、02年2月にこの風船施術を入院3泊4日で受けた。医療現場の技術の向上であろうか、カテーテル挿入は今度は上腕動脈を使って行われた。風船治療の基本はカテーテル検査と同じであるが、ガイドワイヤーで導入したしぼんだ状態の風船を狭窄部に導入して圧力をかけて膨らませ、冠状動脈の内腔を拡張する。この時、最近ではステントと称する金属製の網の筒を拡張部に支えに入れることがあり(しぼんだ状態で挿入し後で拡張)、私の場合は直径3ミリ、長さ9ミリのステントを入れたそうだ。

このPTCAのリスクは高く、単なるカテーテル検査時の約10倍のリスクがあり、統計的には200例に1例程度の死亡事故が起こっているとの説明があり、私自身正直ビビッタし、家内はこれを聞いて気を失いかけた。

頼りは、この病院(松下記念病院)では、過去3カ年に800例ほどの治療例があるが死亡事故はない、という実績と担当主治医への信頼であった。手術は40分ほどで終了した。手術中は、カテーテル挿入部のみの局所痲酔のため、意識はある。

手術後1昼夜は監視のため集中治療室入れられた。このPTCAだが、実は完全ではない。と言うのは、折角狭窄部を拡張しても、数週間から数カ月の間に約30%の症例で再狭窄が起こっているのである。ステントを入れても完全には防げないということだ。

と言うわけで、風船治療の6ヵ月後の8月下旬、確認のためのカテーテル検査を受けた。カテーテル検査はこれで三度目である。幸いなことに、再狭窄は起こっておらず、風船治療は成功したことが確認された。ただ、もう1カ所の狭窄はやや進行しており、1、2年後のカテーテル検査を予告された。それまでは(いや恐らく生涯)、従来通り薬による治療が続く。今のところ、発作はほとんど起きていない。日常生活上の問題もない。

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反省と余談

記号

狭心症になる前、45才頃から空腹時の血糖値がやや高く(115〜135)食事と運動のバランスをとるように言われ続けていた。気をつけていた積もりだが、真剣さに欠けていた。油っこい食べ物をよく食べたし、土・日にたまにやる運動(サイクリングや散歩)では不足だったということだ。

記号

一念発起、5キロほど体重を落とすべく、朝晩30分づつの散歩を日課として1年以上経つが、なかなか血糖値は下がらず一喜一憂の状態が続いた。8月の検査入院時の血液検査で、やっと109(110以下が正常値)の値が出た。正常値に戻すのに時間がかかり過ぎた。

記号

狭心症や心筋梗塞の原因となる要因は30ほどあると言われる。つらつら考えるに、こと自分の場合は、1)食事 2)運動 3)ストレス の3つが大きいと思われる。1)と2)は、強い意志力があればなんとかなるが、3)のストレスは仕事をすることにより生じるものと思われ、コントロールはままならない。そこで、いろいろ考えた末、自分のストレス耐性は意外に弱いと認識し、定年退職した今後(11月で62才)は、拘束度の強い仕事はしないことにした。仕事人間はもう卒業だ。

記号

これまでに4回もの心臓カテーテルを行い、「生還」した。近い将来、もう1カ所の冠状動脈の狭窄も進行し、バルーン施術を受けることになるかも知れない。ここまでは覚悟するとして、その次のバイパス手術があるかどうか。あと20年程の平均余命の間、そうはなりたくないなあと思っている。

記号

そのためには、過食・美食を戒め、アルコールは週1回程度とし、毎日の散歩と週1、2回のサイクリングを欠かさず、体重を標準体重にキープ。ボランティア活動をして自分の楽しみとする生活スタイルに切り替え、ストレスを作らないようにしたい。

記号

入院した松下記念病院は大阪府守口市にあるベッド数約370のやや大規模の病院で、設備とスタッフが充実しておりインターンの研修病院でもある。内科は呼吸噐系、消化器系、循環器系に分かれており、お世話になった循環器系には5、6名の専門医がいる。残念ながら心臓外科はまだなく、バイパス手術はここではできない。 (了)