暇でぼーっとしている時や散歩している時など、川柳を作って楽しんでいます。
最近、良い評価をいただいた川柳が有ったので川柳との付き合いに関して少々思うところを書かせていただきます。
そもそも川柳との付き合いのきっかけは何だっけ、と思い出そうとしましたが、どうも明確に思い出せません。
私が鍼灸師として仕事をしている場所が、神田猿楽町で、すぐ近くが古本屋街の神保町です。仕事が暇な時は古本屋街をうろうろするのが楽しみです。
店の書棚を眺めていて、気に入った古本をついつい衝動買いしてしまうのですが、そんな事で買った本の中に川柳に関する本が何冊かあります。
そんなのを読んでいるうちに、自分でも作ってみようかなー、と思ったのが川柳との付き合いのきっかけだったかも知れません。
五七五で詠む句は川柳と俳句があります。
自然を詠むのが俳句で、人間を詠むのが川柳と一応定義分けしてありますが、自分で作っているとそのボーダーラインははっきりしない感じですね。
朝日新聞に毎日載っている時事川柳は明らかに人間を詠んでいるので、定義通りの川柳ですが、時事川柳はその時々の問題を題材にしているので、時間が立つとあまり価値が感じられなくなるようです。
それに対して、古川柳といって、江戸時代以来の古い川柳が今も楽しまれています。人間の性(さが)というか本質をついて詠んでいるので、時間が経っても褪せることがない感じです。
田辺聖子監修の「古川柳おちぼひろい」(講談社)という本がありますが、丁度目の前の書棚にあるので、パラパラ開いてみたら以下のような句が目につきました。
美しい顔で楊貴妃ぶたを食い
忍ぶ夜の蚊はたたかれてそっと死に
毛が少し見えたで雲をふみはずし
多分奥さんか恋人と食事をしていて感じたことを、楊貴妃になぞらえて詠んだものでしょう。
ひそかに恋する人の所に忍んでいった風景を詠んだものでしょう(自分には経験がないので、実感としてはよくわかりませんが・・・)。
久米仙人のことを詠んだ句だそうですが、これらの句は時事川柳と違って、時が経っても古びることなく楽しめると思います。
自分が川柳を始めたのは12~13年前で、NHK学園川柳倶楽部という団体の会員になっています。
倶楽部には講師として会員の指導をされている方が数十人居られ、一方日本全国に相当多数の会員がいて、定期的に添削指導してくれています。
また、年に数回機関誌上で誌上句会をやっていて、お互いの作品を楽しんだりしています。
添削指導は会員が送った川柳に対して講師が講評、添削し、5段階の評価を付けて返送されます。
直近の添削指導では、私が送った句の中の2句が5段階の最高点がついて返送されました。
それは次の2句です。
久しぶり 会釈はしたが 君の名は
コロナ禍も どこ吹く風の せみの声
会釈はしたものの誰だっけと思い出せなくて頭から離れないことってよくありますね。「ひさしぶり」が生きています。”久しぶり会釈はしたが名が出ない”(講師による例句)
川柳は1句作るのに結構時間がかかりますねー。
これは川柳にしてみよう、というテーマが見つかった時は、すぐに頭に浮かんだ句をまずメモします。
しかしその原句は、川柳としては出来は不十分で未熟なものです。そんな原句が私のメモ帳にはたくさん並んでいます。
そこからの推敲が結構時間がかかりますし、またそれが楽しみな時間です。
これは私自身の川柳との付き合いの日常ですが、川柳を趣味としている人はだいたい似たような感じでやられていると思います。
こうして自分で川柳を作るのは結構楽しいですが、他人が作った川柳を見るのも、これもまた楽しいものです。
他人が作った川柳をみると、自分とは違った見方や表現方法が有って、目からウロコが落ちる感じになることが、ままあります。
今年6月に川柳倶楽部から送らて来た機関誌は「互選句会投句一覧」という副題のついたもので、各地の会員から投句された句が並んでいます。
因みにその中から、私が気に入った数句を以下に記しますので、御鑑賞下さい。
無理しては ダメと主治医が 無理を言う
あのときの 無駄が私を 輝かせ
子等の目が 生き生きと追う 蟻の列
ツバメの子 また来ておくれ 親として
立ち話 居酒屋行きの 一里塚
生き延びて 尚手付かずの 夢がある
もういいかい まあだだようと 亡夫言う
ひと呼吸 おくと優しい 風が吹く
急ぐまい 風の吹くまま 時のまま
尚最後の「急ぐまい・・・・」は私の投句です、余分なものを入れてしまいましたが、まあ大目に見て下さい。
とりとめのない事をいろいろ記しましたが、こんな感じで、川柳と付き合っています。
少々体力が衰えても、頭のほうがなんとかなれば、川柳はやれますので、今後も続けていこうと思っています。