梅垣 高士
フランクフルトからイエナへ |
本年3月、定年退職いたしました。少しは、解放感を味わえるかと期待していたところ、決して忙しいわけではないのに、意外と雑用が多く、まだ、気分的には余りゆっくり出来ていません。やるべきことも多少残っていまして、その内の一つに数えるべきかどうかはともかく、7月9日から15日まで、ドイツのイエナで開かれた第四回の無機リン酸塩材料シンポジウムに参加してきました。
このシンポジウムの第一回は、1991年7月、日本セラミックス協会の100周年記念行事の一つとして、八王子移転直後の都立大学で、私の研究室が中心になって開いたものなのです。前回のフランスでは、オーラル、ポスター合わせて100件を越える講演があり、いつも、かなりの盛況です。
今回は、committeeの一人であり、開会の冒頭のchair personですし、私の名前が入った研究発表もありますが、自分ではしゃべらないので、chairの代わりを日本の誰かに頼んでしまえば、出かけなくても別に気にすることはないのです。しかし、このところ、いろいろな理由で、海外の学会へ出かける機会を逃してしまっていたので、一年位まえから、とにかく出かけようと心積もりだけはしていました。
3月一杯で研究室からの荷物の運び出しは終えたものの、持ち帰った本の整理、退職の挨拶状の印刷、発送などでバタバタしていて、気がついたら、6月に。何とか、シンポジウムの始まる前の日に着ける航空券を確保し、German Rail Passを買いまして、Deutsche Bahn (DB)を最大限利用して歩き回ろうとだけ決めて、成田を出発しました。
シンポジウムの内容については、別の機会に譲るとして、6日間滞在したイエナとそこから日帰りで訪ねたライプチッヒ、ベルリン、チュウリンゲンの農村など、観光のコースとしては、余り知られていないドイツ東部の印象などを、4回にわたり、紹介します。
イエナは、フランクフルトから310km、ベルリンから250kmで、どちらからもDB で、3時間前後かかります。成田からの直行便の数の関係から、フランクフルトからの方が便利です。神田あたりで、トーマスクックの分厚い時刻表を買ってこようかなと考えていたところ、DBのHP( http://www.bahn.de/) をしらべれば、かなり詳細な計画も建てられることがわかりました。出発駅、到着駅、乗車する時間帯などを打ち込みますと、自宅で、いながらにして、乗り換えの駅、乗り継ぎの列車の発着時刻から発着のホームまでわかります。
イエナの人口は、約10万で、その内、約1万8千が学生です。DBの駅から、街の中心まで、歩いても15−20分で、市街地もそんなに広くありません。大学の他に、Max-Plank研究所の一部、太陽光のスペクトル研究でしられたFraunhoferの名前をとった光学研究所など30以上の研究所もありますので、学生と研究者の街といえるかと思います。
イエナに着いた当日、同じ宿の日本人の先生方4人と夕食を食べに出かけましたが、どこのレストランも若い男女であふれていまして、40才を越えたおじさん達は、入るのを躊躇してしまいました。で、この街にしては、少し異空間の感じがして、空席のあったアメリカンスタイルのスポーツバーで、MLBの録画を見ながら、ピザとビールだけの夕食となった次第です。
シンポジウムの会場のFriedrich-Schiller University(Jena Universityとも呼ぶ。)は、創立が1558年で、文系の大学としては大変歴史が長く、ゲーテ、シラー、フュヒテ、ヘーゲルなど、文学史上、哲学史上の、超ビッグネームが、1800年代の一時期に同時に在籍し、教鞭をとっていたのです。文学や哲学に興味のある人ならば、それらビッグネームに関わる場所などを訪れるためにイエナに滞在して、隣のワイマールにも通えば、1ヶ月でも、飽きないかもしれません。
Karl-Zeisなど光学関係の会社が多いのも、この街、地域の特色です。第二次大戦末期、こんな田舎町が空襲を受けたと聞いて、何故と思えましたが、各種の研究所に加えて、光学機械メーカーには、当時、戦略的な重要性があったとすると多少納得出来ます。液体の屈折計で著名なAbbeはZeisで重要な地位にあったようで、記念館があり、町の広場、町の通りの名前にもなっていました。もう少し、イエナのことを知りたい方は、HP(http://www.jena.de/)をご覧下さい。Tourismusをクリックして、ユニオンジャックをクリックすると英文の紹介が出てきます。
シンポジウム初日の7月10日は、朝一番で、chairを終わったら、早速、DBでイエナから約30分のワイマールに行こうと思っていたのですが、知人と会って話をしたりして、ぐずぐずしている内、昼になり、午後になり、とうとう出かけそびれてしまいました。夕方、世話人研究室の主催で、学生たちが用意してくれた少し焦げ臭いバーベーキューと生温いビールのパーティーに参加した後、大学の無機材料関係の研究所を見せてもらいました。
旧東ドイツ時代は、貧しかったはずですし、こちらの大学関係の人達の話では、いまでもお金がないということであったにもかかわらず、施設が大変充実していたのには驚くとともに、少しショックを感じました。私の研究室についていえば、30年以上かかって、ようやく、最近になって、設備の点で欧米並みになったと思っていたところ、イエナでは、統一ドイツになって13年位しか経っていないのです。これでは、また、すぐ追い越されそうです。見学を終わって、薄暮なのに、時計は、午後10時を回っていました。