イエナからライプチッヒ、ワイマールへ |
梅垣 高士
7月11日、シンポジウム二日目は、聞く予定はなし。他のグループとの合同シンポジウムなので、材料系とは余り関係のない講演が多く、何人かの日本人で連れ立ってワイマールへ出かけようという話になりかけていました。ところが、私が宿代にするつもりの traveler’s check は使えないことが判り、現金化するために、別行動をとることになってしまいました。
最初の銀行は断られ、そこで教えてもらった二つ目の銀行で、2%も手数料をとられて、やっと、現金を手にしました。買ったときのレシートを持ってるかとか、かなりうるさいので、check を持ってきたのは、失敗でした。因みに、カードの方は、大体どこでもOKで、Deutsche Bahn(DB) の車内で、切符も買えます。
このあたりのやり取りは、終始、英語。二つ目の銀行で、窓口の難しそうな顔をした老婦人は英語が全くだめでしたが、若い娘さんが出てきて応対してくれましたので、問題ありませんでした。以降も、しゃべったドイツ語といえば、Danke と Bitte だけで、それ以外はもう当然のように英語を使いましたが、ほとんど、不自由しませんでした。
銀行の後、ライプチッヒへ出かけようと思い立ち、Jena Paradies 駅へ。ライプチッヒ、ベルリン方面へは、Jena Paradies を利用しますが、フランクフルトへ出る場合は、Jena West からローカル線で、ワイマールに出て、そこから急行を利用することになります。もう一つの駅は、Jena Saale ですが、これは、利用する機会がありませんでした。いずれも、街の中心から歩いて、10−15分位のところにあります。
Paradies 駅は、森で囲まれていて、木のプラットホームが印象的でした。全部廃材で組まれており、日本の田舎のバス停みたいに、ほんの一部だけ小さな屋根があって、小雨をしのげる程度。風雨や吹雪では、吹きさらし同然です。今の季節は、緑の中で快適ですが、厳しい冬にはどんな様子なのでしょうか。
ヨーロッパの鉄道は、みんな同じように、改札口はなく、車内で、車掌が検札します。Paradies では、プラットホームからちょっと離れたところに、小さな駅舎があり、駅員は、二人か三人いるだけです。これで、 DB 最新の Inter City Express (ICE) が発着する幹線の駅なのです。新幹線が、仙山線の面白山トンネルの山形側にある臨時停車場で発着している様子を想像して下さい。
イエナーライプチッヒ間は、約100km、ICE で約一時間、12時前につきました。とりあえず、行こうと思っていたところは、Johann Sebastian Bach が、オルガンを弾いていた Thomaskirche です。荘厳な雰囲気を期待していたところ、駅からゆっくり歩いて、15分位で、繁華街の中でした。教会としては、想像していたよりもはるかに小さく、外国ならばどこにでもありそうな感じで、Bach の像でも立っていなければ、通り過ぎてしまいそうでした。
もうバカンスの季節なのか、週末でもないのに、まわりの通りは人で溢れ、新宿を歩いているような感じさえしました。教会の中に入ってみようかなと思っていた目の前で、大型観光バスがとまり、100人以上の客がどっと入っていきました。人で一杯に違いないとがっかりして、中に入らずに帰ってきてしまいましたが、別の日に行った人達の話では、他に観光客はいなくてBach が使ったオルガンの楽譜などが展示されていて大変良かったということを聞きました。私が行ったタイミングが最悪だったようで、いまでも残念に思っています。
ライプチッヒの街は、古くから開けていたとのことですし、いまほど人で溢れていなかったにしても、当時のThomaskirche もそんなに静かなところではなかったのかもしれません。これから、Bach のオルガン曲を聴くときは、今までのイメージを少し変える必要があるのかもしれません。
教会は、車がひっきりなしに通る道路に囲まれていまして、周りも余りみるところがなく、ゆっくり一回りしたら、来る途中の道路標識に出ていた Gewandhaus 、Mendelssohn Haus へでも寄ってみようかと考えながら歩いていました。道の真ん中を掘り返していたので、ここでも道路工事かと、何の気なしにのぞいてみてびっくり、子供の遺骨が目に入りました。
Marktgalerie(アメリカンスタイルの mall でしょうか。)の工事中に、教会の隣にあった墓地がアスファルト舗装の下に隠れていたのを見つけ出したようでした。他に、子供、大人各1体の遺骨がほとんど完全な形で掘り出されていました。道路の真ん中、4−5m×30−40m位の小さな面積ながら、ザクセン州による発掘が行われており、説明の掲示がありましたが、その場で読むのは、はじめからあきらめて、まず、HPのURL(http://www.archsax.sachsen.de/)を探し出し、メモしてきました。帰って、いざ読もうとしても、何年か読んでないドイツ語のこと、それに、老眼では、辞書をひくだけでも大変でした。興味のある方はどうぞ。
Gewandhaus(織物商館とか織物商組合の会館の訳がある。)は時間的に難しくなってきたので、いくのはやめました。そこは、音楽ホールで、Leipzig Gewandhaus オーケストラのものなのです。ホールは、第二次大戦の空襲で破壊された後、比較的最近になって再建されたものですが、オーケストラの創立は古く、特に、宮廷や貴族のお抱えではなくて、庶民あるいは民間がスポンサーとなって組織された団体としては、最古とされています。かつてはメンデルスゾーン、チャイコフスキー、シュトラウス、ワーグナーなどが指揮をしたことがある楽団なのです。
帰路は、ライプチッヒから、ワイマールへ。約1時間、午後2時半ごろ着。次のイエナ行きが出るまで30分以上もあるので、駅前付近を散策。各家庭が、花を飾り、非常に清潔な感じがする街でした。ゲーテが政治家としての手腕を発揮したところであることは、よく知られているかと思います。また、リストが住んでいた家があり、リスト音楽院は、優れた演奏家を輩出していることで、世界的に著名です。
少しゆっくりしてみたくもあったのですが、Banquet に遅れるとまずいので、予定通りのDBに乗り、午後4時ごろ、シンポジウムの会場に帰りつき、ずっと講演を聞いていたような顔をして座っていました。Karl-Zeis 直営のプラネタリウム館で、投影を見た後、Banquet に出て、リスト音楽院高校課程の生徒達のチェロ演奏を聴かせてもらいました。