43年前のカラー写真

梅垣 高士

19607月、ワンダーフォーゲル部で、北海道の大雪山系を縦走したパーティーでは、私が、写真の担当でした。当時、カメラの多くは、露光計も距離計もついていなかった時代でしたので、マニアではなかったものの、多少経験があったことから、私が引き受けたのだったと思います。

その時のカラースライド26枚が、仙台での下宿の移動、仙台から東京への引越し、東京での引っ越し、自宅の建替え等々、何回かの紛失の危機を奇跡的に免れて、いまも、私の手元にあります。12枚どり2本だったのに26枚なのは、一枚でも多くと頑張ったためです。

43年前のマニアックなカラー写真も、現在の市販のサービスサイズぐらいまでならば、つい最近、使い始めたデジタルカメラと比較して、遜色ないようにも思います。当時は、想像もしなかったインターネットを使って、その一部を紹介したいと思います。

カメラは、Fujica 35 ML(f=2.8)。私のもので、当時としては、中級のレベルだったと思います。1970年代の前半にペンタックスの一眼レフに買い換えるまで、使っていました。自宅の押入れのどこかにあるはずなのですが、見付からなくって、インターネットの関連記事と私の記憶とから機種を確認しました。露光計は、ついていなくて、撮影の際の露光条件の、記録も記憶もありません。

フィルムはというと、これも、インターネットの富士フィルムの関連記事から、判断して、35mmASA3212枚どりのカラーのポジフィルム(スライド)であろうと思われます。ASA32だと、晴天時は、問題ないのですが、曇天、夕方など、少し暗くなるとシャッター速度を遅くする必要があって撮りにくく、その割りに値段も高く、印画紙にプリントするともっとお金がかかるとあって、カラー写真は、まだ、使いにくかったようです。

その後、1965年になって、カラー写真の普及を狙って、N100(ネガ、12枚どり、ASA100、一本290)が売りだされました。私の使ったフィルムそのものの値段はわからなかったのですが、N100に近いか、それより高めだったのでしょうか。当時、下宿が食事つきで、月50006000円位だったとか、魚のソーセージや自分たちの手で塩漬けにした鯨肉などが山の食事の主蛋白源だったとかを考えますと、山行の切り詰めた予算の中では、フィルム代は、取るに足らない出費とは決していえなかったに違いありません。そのためか、青函連絡船を利用した北海道往復の日数を除き、約2週間にもおよぶ縦走だったにもかかわらず、12枚どりがたった2本だったのです。

スライドは、スキャナーに透過光原稿用のアダプターをつけてパソコンへ取り込みました。5年位前に買ったEPSON 製で、少し古いのですが、余り問題はないようにも思いました。取り込みは、既に、一度、2.3年前にやっていたのですが、閑になったのを機会に、条件を変えるなど、時間を掛けて、やりなおしましたけれども、代わり映えしなかったようです。最近とったカラーのネガのプリントも試みましたが、あまりきれいには仕上がらないようでした。アダプターは、別売りのものをわざわざ買ってきたのに、余り役に立ちそうにはありませんが、極めて貴重な写真を電子化出来ただけで、良しとしますか。


写真1

一枚目は、パーティー全員の写真です(写真1)。才萩会メンバーとしては、大内健司(向かって左から二人目)、池田幸男(向かって右から二人目)、私(向かって右から4人目)の3人です。バックは、北海道で最も標高の高い大雪山系旭岳(2290)です。皆紅顔の美青年()です。写真には、少し、傷がついたりしているものもあり、フォトレタッチのソフトを使えば、もっときれいに仕上げることも容易ですが、あえて、手を加えませんでした。

計画では、旭川から層雲峡を経て、石狩川上流の赤岳から上り始めて、途中、食糧荷揚げのための天人峡への一時下山と石狩岳往復を含め、北海道中央高地大雪山系の旭岳から十勝岳まで縦走することでした。しかし、雨に降られ続けたこともあって、途中のトムラウシまでで、予定の6割くらいで、天人峡へ下山してしまいました。少し、紙が茶色になった、当時の山のガイドブック「北海道の山々」(朋文堂)(昭和35年7月、定価190円)から、縦走コース(青線)(中央高地の図参照)を示します。

2枚目(写真2)は、旭岳の写真ですが、誰かのザックが写っています。ザックについているのは、ピッケルではなくて、大きなこうもり傘です。北海道は、梅雨がないなんて話ですが、この山行では、かなり雨に降られたので、傘は、大変役に立ちました。当時、折りたたみ式の傘はありませんでした。

計画通りの縦走が出来なくなったので、この山行のハイライトは、石狩岳(1980)(写真3)になりました。文字通り、一点の雲もない晴天で、独立峰の頂上では、360度、視界をさえぎるものがなく、北海道の大自然の真ん中にいるという思いがしました。向かって左後方、残雪があるのが旭岳です。


写真4
写真6 写真7

大雪山系の高山植物として、蔵王でも見られる駒草(写真4)、日光の高原などにも生えているキスゲ(写真5)、エゾノハクサンイチゲ(写真6)、エゾコザクラ(写真7)などを紹介します。飯豊、朝日など東北の山でも、同系統同種の花は見られますが、何かの他の植物と混じって生えていたりして、よく注意していないと、見逃してしまうこともあります。勿論、大雪山系の景観の美しさ、雄大さも素晴らしかったのですが、本州の山にはない、高山植物の群生のスケールの大きさには圧倒されました。特に印象的だったのは、五色岳(中央高地の図の真ん中付近)から少し下って、沼が原へ向かうあたりで、道の両側が、見渡す限り、エゾノハクサンイチゲ、エゾコザクラなどで覆われていたところが何箇所かありました。群落の写真も撮りましたが、残念ながら、スケールの大きさの実感を画像に映すことは不可能でした。

もう一度、あの花だけでも見に行ってみたいと思うこともありますが、15kg位は、体重を落とさないと無理です。当面()は、43年前のカラー写真の何枚かをとっかえ引き換え、パソコンの壁紙にして楽しむことで我慢します。 

この文を書こうかなと思っていたとき、偶然、NHKアーカイブスとかで、1985年製作の「大雪山 花紀行」が再放送され、43年前に辿ったルートの一部の風景をテレビの映像でみることができました。ビデオにとりましたので、高山植物の群落をビデオキャプチャーの画像として、43年前のスライドと併せて紹介すれば興味深かったかもしれませんが、ものが一杯のっている机を片付けて、ビデオデッキをもってきてパソコンとつないでという準備のことを考えるだけでも、うんざりしましたので、次に機会があればということとにします。