表題
佐藤博悦

修学旅行———懐かしい響きのある言葉です。何十年か前に誰しもが一度や二度は経験しているはず。私は、小中学校を真室川音頭で知られる山形県の真室川町で過ごしました。小学校の修学旅行は県都の山形市への日帰り、中学の時は、2泊3日で日光・東京でした。高校の時は、学校の昔からの方針で修学旅行はなしでした。

今年の3月~6月にかけて、京都にやって来る中学の修学旅行生をガイドする機会に恵まれました。と言いますのは、私はボランティアで京都の観光ガイドをする協会(京都SKY観光ガイド協会:会員になるためには選考試験があり、半年に亙る研修がありました)に籍をおいており、いろいろな観光ガイドの活動の一環として、中学生の思い出作りのお手伝いをしたという訳です。全部で15校(班)の中学生を案内したことになりますが、彼らについての印象などを綴ってみたいと思います。


京都は、言うまでもなく国際観光都市で、平安京建都以来1200年余の歴史を刻む古都です。年間4千万人以上もの観光客が内外から訪れており、当然ここは修学旅行のメッカでもあります。

中学校の場合2泊3日の旅程が一般的で、このうち1日を班別研修(又は班別行動)と称して、生徒の自主企画プランでの見学・実習に当てるケースが多いようです。この自主企画の班別研修で、1日(又は半日)を京都の社寺仏閣の見学に当てるに際して、我々シニア観光ガイドへガイドの依頼が来るのです。京都の住民で京都の歴史地理に詳しく、また人生の年輪を重ねたシニアは頼れる存在であるらしく、学校当局としても生徒達を任せられる安心感があるのだろうと思います。

1班の構成はおおむね5、6名ですが、班毎に見学先・コースはまちまちです。そう言うわけで、1校で50人ものシニアガイドが張り付く日もあります。我々ガイドの任務は、生徒の立てた計画に出来るだけ沿って、安全に時間通りに見学地点へ誘導・移動し、各見学場所で必要な説明案内をして、定刻に宿泊先(旅館が多いです)に送り届けることにあります。

通常、宿舎に朝8時に集合し、受け持ちの班との顔あわせをして8時半に出発、夕方4時半に宿舎に帰着します。最近は情報が豊富なせいか、生徒の立てる見学先には当方の知らない所も含まれていることがあり、交通手段を含めて見学先の事前の下見が欠かせません。この班別研修、見方によれば計画段階での学習、実地での見聞、そして終わってからのレポート・反省と、3回も勉強できることになります。

それは兎も角、生活のメーンステージが会社のオフィスであったため、私には中学生と言葉を交わす機会は全くといっていいほどありませんでしたので、果たして彼らに満足してもらえるガイドが出来るのだろうか、という一抹の心配がありました。春のシーズンを終えてみて、彼らの心の琴線に触れるほどのいい話をするには、やはりまだまだ勉強しなけりゃ、と言うのが正直なところです。

さて、修学旅行の中学生は14才か15才です。彼らは、体も心も大人の入り口にさしかかってはいますが子供です。バスや電車では大人の料金を取られますが言動はまだまだ幼く、扱いやすいようでいてそうでもない微妙な年頃です。15校もあると、校風や学校の教育方針も様々で、生徒の質はそれこそピンからキリまでバラつきます。以下はどちらかと言うと、平均的か少し平均以下の生徒の班についての見方になりますが、勿論しっかりした学校では班長以下よくまとまっていて、気持ち良くガイドできたグループもありました。いずれにせよ、彼らはあと10年もすれば我々の年金を支えてくれる若者になります。その意味でも、ガイドに手抜きは許されません。

  1. 一番驚いたのは、彼らの好奇心のなさ・感受性の乏しさです。

    初めての京都なのだから見るもの聞くものに大いに関心を示すはず、と思いこんでいた当方の期待と準備は見事裏切られたケースの方が多いのです。無意欲・無関心・無感動の中学生が多いのはどうしてでしょうか。テレビ、雑誌、インターネットなどで情報過剰になっていて感性が鈍くなっているためでありましょうか。質問をほとんどしないので拍子抜けし、ガイドしがいのないことが多いのです。私としては、毎回一期一会を大切にしているのですが。

  2. 彼らは案外体力がありません。

    1日コースなら、5、6カ所の社寺を巡るため、歩く距離はかなり長くなり2万歩を越えるのはざらです。先ず、歩くスピードが遅い。たらたらと歩く。次に、直ぐ「疲れた」を連発します。我慢強くないですね。こちらだって疲れているのは同じなのですが、スケジュールをこなそうと思うと多少足早になることもあるのです。部活でバスケットやバドミントンをしていても体力はいまいちです。途中で足にまめが出来た生徒が出て、予定の見学場所をスキップして定刻1時間も前に宿舎に帰ったこともありました。

  3. 平均的中学生らしからぬ生徒も目につきました。

    例えば、女子生徒の中には化粧をしているのが歴然と分かる者がおり、男子生徒の中にはズボンのベルトを低く下げてわざとだらしない格好をする者がいました。それぞれ理由や理屈はあるにせよ、せめて旅先ではキリッとしてほしいなと思いました。彼らに対しては、私は主義として、特別扱いはしませんでした。また、清水寺などの拝観料の必要なところでは、「金がない」と言って入場しない生徒がいて驚きました。お金がないはずはないのですが、こんな場合は見学が終わるまで門前で待たせました。ゲーセン(彼らの言葉:ゲームセンターのこと)で遊ぶ金を作るためのようでしたが。

  4. この年頃になると、「こだわり」が強くなるような傾向があります。

    例えば、鼻の頭や額の脂汗を取る「油取り紙」がありますね。京都ならどこででも売っているのですが、「ようじや」(店の名前)のものでないとダメという女子生徒がいました。と言うわけで、「ようじや」に連れて行かねばなりません。これは、どうやら店の包装紙が目当てのようです。昼飯を「天下一品」のラーメンにすると決めているグループがあり、そのために、わざわざ地下鉄に乗ってその店に案内したこともあります。さほどの味とも思えなかったのですが、彼らは満足そうでしたので、思い出作りにはなったのかな。

  5. 清水寺は、京都随一の観光スポットで、年間4百万人もの観光客が押しかけます。

    この春は、修学旅行生を連れてあの清水坂を何度往復したことか。そこで毎回生徒に聞いてみました。「なぜ清水寺を選んだの?」答えは「何となく」とか「有名だから」としか返ってきません。「じゃー、清水の舞台って知っているかな?」と尋ねると、ほとんどか「知らない」と言います。彼らには、「清水の舞台から飛び降りる」と言う意味は分かりません。かいつまんで解説するのですがあまり興味を示しません。舞台で記念写真を撮ってアリバイ作りして終わり。勿論、清水の観音菩薩様にも興味はなし。むしろ、本堂裏の地主神社(じしゅじんじゃ)で、縁結び・恋成就のおみくじを引いて大騒ぎするのが楽しいようです。

15校のガイドをしたのですが、ちなみに生徒たちに人気のあったスポットベスト5は、次のようになりました。(訪問回数による)

  1. 清水寺(10 回)

  2. 金閣寺(8 回)

  3. 北野天満宮(7 回)

  4. 二条城(6 回)

  5. 銀閣寺(4 回)

修学旅行ではみやげ物を買う時間をひねり出すのが一苦労。清水寺の門前は賑やかなみやげ物街で、誰しも避けては通れません。そこで最低でも30分のショッピングタイムを取れるように、スケジュールを調整して時間をひねり出すのですが、約束の集合時刻に遅れる生徒はざらで、全くガイド泣かせです

1校だけでしたが、6名の班を嵯峨野の落柿舎に案内したことがありました。落柿舎は、松尾芭蕉の門人である向井去来が住んでいたところとして有名です。私はてっきり俳句に詳しい生徒がいるものと思いこみ、俳句も詠まなくっちゃとある種の期待をしていたのですが、ここを研修コースに入れた理由を聞いてがっかりしました。何と、「ここには鹿威し(ししおどし)があるとガイドブックにあったので見に来ただけ」と言うのです。嵐山駅から20分も歩いて来たので疲れがどっと出る思いでした。気を取り直して、彼らにも1句詠んでもらいましたよ。6人のなかで、女子生徒の詠んだ次の句は、良く出来ているように思いますがどうでしょうか。ちょうど落花盛んな春の日でした。

落柿舎の春が惜しいと花ふぶき

いろいろ問題はあったにせよ、彼らから礼状や写真が届くのは楽しみです。儀礼的であっても、「おかげさまで楽しい班別研修が出来ました」とか「京都が好きになりました」などとあると、ガイドしてよかったなと思いますし、こちらも彼らから若さをもらったことになります。私のことは忘れても、清水の舞台に立ったことは生涯忘れないでしょう。

補遺:

仙台での40周年記念の集いに参加できませんので、近況報告を兼ねて拙文としました。今年1月から始めた観光ガイドの仕事は、有償のボランティアですが、7月末までに、妙心寺(退蔵院)、二条城(本丸御殿)、清水寺(随求堂・本堂)の定点ガイドを経験しました。8月以降は持病の狭心症が悪化したため、残念ながら現在は休養・休業中です。