表題
サカタン

9月17日のさんすい会で小耳に挟んだ(正確にはパソコンの音声認識が教えてくれた)ところによれば、ホームページの維持は専らwebマスターに負担をかけているものの、だからといって投稿を遠慮する必要はないとのことでした。

そこで早速の投稿ですが、来月の才萩会、早く来過ぎた方にお奨めの時間潰しの施設があります。

それは日銀の貨幣博物館、場所は会場の直ぐ近くの日銀本店の向いで、入場無料です。 (注:上記太字「貨幣博物館」クリックで博物館ホームページが閲覧できる)

博物館外観 看板

貨幣博物館建物(左)と看板(右)...Wikipediaより

玄関

博物館玄関...Wikipediaより

展示内容は勿論「日本の貨幣」で、現物を豊富に揃え、たいへん充実した展示をしています。

私は江戸時代の古文書を時々読みますが、あの時代の貨幣制度は複雑です。

金、銀、銭の3本建てで、金は4進法の計数貨幣(両、分(歩)、朱)、銀は10進法の計量貨幣(匁、分、厘、毛)、銭は10進法の計数貨幣です。

しかも、この3者の間では日々相場が変動していましたから、換算がついて廻ります。

標準的な相場は、金1両が銭4貫文(4,000文)、銀では60匁で、江戸時代を通じて金銀相場は安定していましたが、銭は幕末頃には1両7貫文以上に暴落しています。

旅行では日々の宿賃や食事代は銭で払いますが、銭を背負ってゆくには重過ぎるので、途中途中で金貨か銀貨を銭に両替するのです。

江戸の金つかい、上方の銀つかい、と言って、東西では機軸が違っていたようですが、江戸の商人と上方の商人との取引や、東西経済圏の接点近くでは金と銀とがどうしても共存します。

小説などで時々出てくる「金百疋」「銭百疋」(祝儀や香奠に多い)とか「銀一枚」(御上からの褒美で使われる)とかいう贈答専用の単位もあります。

また、「永○○文」というのは年貢の書面でよく出ますが、これは 金1両=永1,000文 とした10進法の仮想単位で、清算するには実在の通貨に換算しなければなりません。

テレビの時代劇の賄賂の場面でお目にかかる、包み金や包み銀もあります。あれは封印がされていて本当に額面通り入っているか開けて確かめるのは禁じられていたそうです。

一方で、銭は1文銭を緡(さし)というこよりで96枚綴じて100文として扱った(省銭、96銭勘定)ようですが、私には未だにその意義が理解できません。こちらは私人が勝手に緡で綴じたり解いたりできたと聞いています。

ちなみに、江戸時代の計算問題では、50文たす50文は百4文が正解です。また、百文を二人で均等に分けると48文づつです。

さらに、金、銀、銭のほかに、藩の中だけで通用する藩札というのもありました。

江戸末期には、不用意に計数貨幣の銀貨を作ったのが原因で、アメリカ公使のハリスの強談判に押切られて、大量の金貨が外国へ流出するという大問題が起きました。

と言うように、江戸時代だけでも、おかねの話は尽きません。機会があれば、貨幣博物館を覗いてみてください。おかねの重さを実感できる体験コーナーもありますよ。

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