サカタン

今夏、帰省した序でに、糸魚川市に立寄りました。

松本から糸魚川に至る「千国街道」、上杉謙信が敵の武田信玄に塩を送った故事から近年「塩の道」と呼ばれるこの道は、松本藩と糸魚川藩との唯一とも言うべき交易路でした。

しかし、信越国境は山腹を辿り川を渡る悪路で、洪水、崖崩れの常襲地帯、橋は丸木橋で岸の岩などに綱で結びつけてあったが屢々流失する、歩荷(ぼっか)か牛にしか頼れない不安定な道でした。

私は子供の頃、母と祖母に連れられて県境(新潟県側)の温泉に行ったものの、大雨で道路が荒れて帰れなくなった記憶があります。

昭和32年、県境で懸案の鉄道が繋がりましたが、その後も災害で度々寸断され、長い時では2年近く不通になる程でした。

JR西日本気動車
南小谷駅で乗り換えたJR西日本気動車

今回はこの鉄道を利用して糸魚川に行ったのですが、県境近くの駅でJR東日本の電車から時間待ちでJR西日本の気動車に乗り換えるという不便さ、ただし、景観には満足しました。

有形文化財に指定された旧家
有形文化財に指定された旧家

糸魚川では最近国の有形文化財に指定された旧家を見せてもらいました。

この家の古文書を読ませてもらった縁で訪れたものですが、西暦1800年少し前の建築で、玄関・式台から座敷、仏間などは屢々殿様が訪れた当時の風格ある佇まいのままです。

一方、居間は明治・大正趣味を思わせる洋風の内装・調度に改められ中二階状に設えた書棚には金沢文庫の書棚を連想させる書籍がぎっしり、土間だった台所は勿論現代の設備になっていました。

このように、骨格・外形は元のままながら見事な使い分けをされていた点が印象的でした。

土蔵がまた武具、道具、家具、什器、衣裳、書物装飾品などでぎっしり、私には価値は分からないものの、逸品揃いと見受けました。

この家は代々この地域の割元(庄屋を束ねる大庄屋)を務めておりましたが、武田家の家臣だったという言い伝えがあり、系図や過去帳では1622年没の第12代当主からの記録が残っています。

武田家の家臣が何故こんな所に?、と思いますが、菩提寺の言い伝えも踏まえてご当主が描いていた仮説と糸魚川、信州側の大町両市の市史を突き合わせて二人で想定した結果は次です。

上杉謙信の没後の跡目争い(御館の乱)の際に武田勝頼が介入し、大町を拠点にしていた弟の仁科信盛(盛信、信玄の五男)の勢力が千国街道筋を経て糸魚川地域に入り上杉景勝をバックアップする形で短期間この地を支配した史実があります。

この勢力の一部が糸魚川に残って武田家滅亡後に上杉家の配下となり、上杉家の会津転封(1598年)を機に不動山城付近から里に移って土着・農民化したものであろうと考えました。

有形文化財に指定された旧家
発見された神輿

この訪問が縁で、ご当主に持ち込まれた相談に加わることになりました。

それは、神輿(みこし)の蒐集が趣味という近隣の人が千国街道筋の山間地に隠されていた神輿を入手したが、その神輿に書かれている「消えかかりの文字」を読んで由来を知りたいというものでした。

幸いなことに、「宝暦十一年 白山権現神輿」「宝光院」などの文字が読み取れ、持主や地元の歴史愛好家と共に史料と照合した結果、次の結論に達しました。

この神輿は糸魚川市域(発見された場所とは反対側の上越市寄り)の元「白山権現」のもので、明治政府の「神仏分離令」をきっかけにして全国で吹き荒れた「廃仏毀釈」運動の難を逃れて隠され、約150年後の今になって発見されたものと推定されます。

「白山権現」は本尊を神に入れ替えられて「白山神社」となり場所も移され、別当寺の「宝光院」は破壊されて痕跡もないそうです。

話には聞いていましたが、全国各地で多くの貴重な仏教遺産が破壊・焼却された「廃仏毀釈」の苛烈さを垣間見る思いでした。

この神輿が発見された場所から信越国境の稜線へ登りつめた所に「戸土」という集落があり、そこから先へは進めないので、「とどのつまり」という言葉はここが語源なのだと言っている人がいます。

私もこの辺がルーツだという親戚筋の人からそう言われたことがあります。

この集落は昭和40年代頃に無人になり、小学校の分校も閉鎖されていますが、驚いたことに、日本海が見える長野県唯一の集落で、しかも新潟県からしか行けない場所として知られていたとのことです。

しかし、神輿の件の後で調べてみると、ここは「塩の道」の荒れる場所を避けた迂回ルートが通っていたが、近代になって自動車の通行できる道が新潟県側からしか整備されなかったため行き止まりの場所になってしまっただけのようです。

つまり、元は「とどのつまり」ではなかったことが分かりました。

ものの本によれば、「とどのつまり」とは、魚のボラが成長するにつれ呼び名が変わり、最後に「→イナ→ボラ→トド」となることからきているとあります。

こんなおまけ付きの糸魚川行きでしたが、その後、旧家近くの旧村社や先の大火で焼けた新潟県最古の酒造家の稲荷社の由緒書きを読む話も来て、楽しいお付合いが続いています。

contents