サカタン

ホームページへの寄稿が少ないということで協力を心掛けてはいたのですが、おたく系の趣味が面白過ぎて忙しく、纏まったものが書けません。考えあぐねた末、切れ切れに近況からの雑文を送ることにしました。

実は、昨年の才萩会に数年振りに出席したのですが、前立腺肥大の上に初期の癌が見つかり放射性同位元素内蔵のチタン針90本を打込んだため頻尿が激しく、何回もトイレに通っている間に指名されたらしくて、近況報告をしないまま会の終了を迎えました。その補いをつける意味でもあります。

序でですが、そんな事情で男性用尿漏れパッドを使い始めました。チョイ漏れから大量漏れに対応できるものまで各種あり、コンパクトでとても快適かつ安心です。要望があれば、次の例会にはサンプルを持参しましょうか。

さて、昨年春、7年半ほどの介護の末、母親を来世に送り出しました。肺炎などで30日内外の入院が数回あったものの、一貫して自宅で介護しておりましたが、「えっ!うそでしょ」というようなあっと言う間の“理想的な”最期でした。

90歳過ぎまで元気で外出していた母親と私の年齢が22歳しか違わないので私が仕事を抱えずに介護できたのと、認知症で徘徊というような手の掛る状態でなかったのが幸いしたのですが、次は公平にみて自分の番、こんな好条件は望むべくもないとしても、母親の介護の経験を多少は自分の介護に生かしたいところで、以下は、そのための備忘録でもあります。

介護初期に困惑したのは精神の異常です。突然の腰椎の圧迫骨折で唸るような痛みに襲われ、入院してギブスを施されていたのですが、退院直後からおかしくなり、無気力、パニック、被害妄想、同じ話の反復などの症状が出ました。

例えば、エアコンの暖房を冷房に押し間違えているのにそれを認めず、「ご近所の皆さん助けてください、家族に殺されます。」と何回も大声で叫ばれたのには閉口しました。

精神病院で抗鬱剤を処方してもらい数ヶ月で治まりましたが、入院中の痛みと「環境」からのストレスが原因だろうというのが医師と私の結論でした。

「環境」というのは、入院末期に所謂「介護病棟」に移され、そこは所謂「社会的入院」の場で、同室の患者が夜昼騒ぐ、医師は在宅患者への往診が主で回診に来ない、看護士は手不足で苛立っていて怒鳴りつける者までいる、といった状況で、本人は「家族に捨てられた」と考えたそうです。

反省してみれば、病院から「退院できますよ、入院も続けられますよ、どちらにしますか」と聞かれ、「ギブスが外れていないんだから入院継続」と軽く考えたのが悪かった、毎日顔を見に行っていながら、本人には可哀想なことをしました。

退院は、ある職員が病院に内緒で「精神的に限界ですよ」と電話してくれて決断しました。かくて「介護病棟は懲り懲り、二度と入らない入れない」というのが母と私の結論となりました。勿論、病院によって違うとは思います。

二回目の異常は「低ナトリウム血症」での入院中に起きた「せん妄」です。一回目の異常とどう違うのか実は区別がつきませんが、特徴は攻撃的なことで、ナース・コールのコードを引っこ抜く(ナース・センターでは警報音が鳴り放しになる)、看護士の髪の毛を引っ張る、ベッドの冊を外して投げ捨てる、暴言は吐く、というようなことの繰返しで、前記の被害者の立場から一転加害者になり、同室の患者さんには大迷惑、拘束衣を着せられることになりました。

退院後が心配でケア・マネージャーに拘束衣の入手の相談をしたところ、そのような非人道的なことは病院での家族の承諾の下でしか許されませんと一蹴されました。

帰宅後は衣服を脱いで素っ裸になる、前開きを縫いつけてしまっても破って裸になるなどで悩まされましたが、精神科医が三度目に処方してくれた薬が最小服用量の半分で殆ど即日劇的に効いて治まりました。

後日談ですが、病院での目の前の悪行が止まらいので思わず私が母親のほっぺたを張ってしまったところ静かになったことを話したら、「思い出した、あの時は破れかぶれで騒いだが、叩かれて正気になった」と言いました。「えっ、確信犯だったのか」と思いましたが、他の事は一切覚えていませんでした。

三度目の異常は亡くなる数ヶ月前から入歯の前後・裏表が分らなくなったことです。精神科医は「高齢なんだから諦めなさい」と言って、「頭の働きがよくなる」貼り薬を処方してくれましたが、効果は出ませんでした。

不思議なことに、忘れっぽくはなったものの、他の精神面ではさしたる異常はありませんでした。以上、精神面のことを長々と書き連ねましたが、異常な期間は比較的短くすみ、それ以外の期間では、私の忘れやすさを笑うくらいの記憶力があったということを付記しておきます。

結論めいたことを言うと、不可逆性の認知症は別として、高齢者の精神の異常と正常の境界は紙一重で、体温や血圧の調節が不調になるのと質的に違わないのかな(例えば神経伝達物質のバランスが崩れ易いとか)、ただし、それを放置すると異常が定着するかも知れないので、精神科医には早期に見せた方がいいだろう、さらに、精神科の診断手段は未発達未普及(脳のMRIや脳波、トレーサーを用いた脳の血流検査くらいで神経伝達物質の定量などはできないか一般化していない)で薬の試行錯誤が多いから家族の観察と主張も重要と感じました。

以上とは離れますが、アルツハイマー型、脳血管性型、レビー小体型、脳損傷型といった生体面からの認知症の説明と、他人とのコミュニケーションが少ないと認知症になりやすい(難聴の私にとってはこれが脅威、施設等でオムツを付けられて放置される場合はこれの典型か)というような精神活動面からの説明とが、互いに独立で流布しているように思われます。

本来同じ平面での話の筈だと、心理学や生理心理学、脳科学関連の本を素人読みしてみましたが、どうも分りません。

次回以後は介護制度の利用や痛みへの対処、精神以外の体調面、食事・栄養面、運動、排泄などに触れたいと考えています。