縄野 信一
今年5月末で、サラリーマン稼業から足を洗う事にしました。
約40年前、雇われ稼業を始めた当初、会社に来た米国人が「近く、ハッピーリタイアメントの予定」と嬉しそうに話していたのが思い出されます。その心境が今にして共感出来そうです。
還暦を過ぎてから此の方、毎日が、一週間が、一ヶ月が、そして一年が、瞬く間に過ぎ去って行きます。古来より、“光陰矢のごとし”とか、“Time flies like an arrow ”とも言われ、古今東西、人類が同じような発想をしてきた事には、あらためて驚きです。
もちろん、天文学的には一秒、一分、一日は昔も現在も同じです。時間を短く感じるのは、私自身の人生への焦りと執着心が強いせいかも知れません。
教育と勤労は、憲法で定められた国民の三大義務のうちの二つです。この世に生を受けて62年になります。小学校入学以来今日まで、通算56年間の長期にわたり、何らの疑問を持つ事も無く、宿命としてただひたすら、一途に就学と勤労の義務感に縛られてきたような感じもします。
6月からは、職業人を脱して、生活者としての新しい人生が始まります。今度は、余命の少なさを惜しみつつ、わずかではありますが納税の義務を果しながら、健康で文化的な最低限の生活を営めるよう、自分なりの夢を見ております。
何故に職業人を廃業したくなったか: |
齢を重ねるにつれて肉体も老化し、寒さ・暑さの気温や季節の変化に耐えられる範囲が、狭くなってきました。この世の喜怒哀楽への感動も少なくなったようです。精神的許容範囲と言うか、精神的恕限度の様なものも、狭くなったのを切実に感じます。
呆れ果てる官庁や政治家のスキャンダル、嘆かわしい程のテレビのワイドショー番組、仕事上の意見の衝突やストレス、などなど、単純な他人事にさえイライラ感が募り、無性に腹立ち易く、感情の暴発が我ながら恐くなってきました。自称、忍耐の人、我慢一筋で生きてきたつもりですが、一言で言えば、気が短くワガママになってきたのかも知れません。組織の中で、人の和を尊ぶ会社人間はソロソロ限界です。
更に、このところ、諸欲求・欲望や気力が希薄になってきたように感じます。食欲・情欲・金銭欲はもとより、勤労意欲も若干低下してきました。仕事への意欲や情熱、達成感など充足感の薄れも感じます。毎日が惰性に流れやすく、これでは職場や同僚に対して申し訳なく、勤め人としては失格です。
残された有効余命時間への愛惜というか、哀惜も有ります。
一日24時間、睡眠(7時間)・会社での拘束(8時間)を除く9時間のうち、約3-4時間が人の背中に挟まれ吊革にぶら下がりの通勤時間です。自由時間の3-4割を失うのが、無性に惜しくなってきました。満員電車で頭の薄くなった高齢者が、若い溌剌とした人達にモミクチャにされている姿は哀れさえ感じます。いずれ近いうちに老後の生活に入るなら、一日も早く新たな人生に慣れ親しむのが、より良い選択と考えました。
すでに何人かの友人達は、第2の人生を歩んでおります。皆さんそれぞれに趣味の世界、自分の世界を築かれ、生き生きと余生を楽しんでおられます。
何処まで出来るかは白紙ですが、私も後れを取らぬようと思うのは、友人達へのジェラシーがあるせいかも知れません。
今後の生活の事など: |
これまでの人生は自分なりに努力し、その結果が今日の姿であると思います。
社会が人を判断するのに、例えば何処の大学出身とか、どの会社に勤めているとか、どのような
地位についたかとか、どのくらいの収入か、などが話題になります。
この様な基準で見れば、私自身は決してピカピカの上等ではありません。家内も特別な美人でもなければ、特に頭が良いわけでもなく、ごく普通の女性です。二人の子供達も、親に心配ばかりかけておりますが、マアマア世間並みです。しかしながら、自分のこれまでの人生は、ほどほど幸福であったと大変満足しています。ただ、家内には、家庭のことを一切任せて自分の仕事や遊びに没頭できた事に、改めて感謝しています。今後は、もう少し女房孝行にも気を使わねば、と自戒もあります。
これからは年金生活者となり収入も減り、我が家の財政は困窮度が深まります。世のバブル崩壊以上のインパクトですが、特に心配はしておりません。シッカリ者の女房殿のこと、金銭苦境には、結婚以来、百戦錬磨の実務経験を活かし、何とかヤリクリしてくれるものと願っています。
残念ながら、私は居候の身となり、以前から不評を買ってきた、メシ・フロ・ネルの亭主特権の大政奉還はもはや止むを得ません。
今後の身の振り方は白紙です。あまりギラギラした生活でなく、静かな余生を送るつもりです。
御先祖様の墓参りを第一とし、あの世からのお迎えを静かに待ちたいものです。すでに来世で縄張りを持つ先達に、受入を拒否されぬよう、これまでの悪行の懺悔もせねばなりません。
また、今までお世話になった世の中に、チョッピリの恩返しも心がけたいです。
籠から放たれた小鳥が、首輪を外された老犬が、新たな人生舞台をどのように演じるか、密かな闘志も燃やしています。先行き、照る日も曇る日も、人を愛し世の中を愛し、明るく心豊かに、日日是好日でありたいものです。
最後になりましたが、これまでお世話になりました諸先輩や友人・知人に御礼申し上げますとともに、今後も引続きご指導・ご鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。
平成14年4月吉日