.....テロ事件直後の身の回りの状況 |
松田悠子
金井様 メール拝見しました。
まずは、こちら二人とも全く無事であることをご報告します。
実は、事件が起きた時刻(ET 8:00頃)にまだ我々は眠っていました。アメリカの東と西では3時間もの時差があるからです。
起きてすぐにテレビのニュースを見るのが習慣なのですが、朝のこの時刻に日本語放送をやっていると教えてくれた人がいたため、11日は日本語放送のチャンネルを付けました。
日本のニュースで、「大型台風が関東地方を直撃」というタイトルで都心の浸水状態などを報じていたため、留守宅が心配になり自宅に電話をしたところ、「こちらはなんでもないが、そちらは大丈夫か?」と反対に質問されてしまいました。
「何のことかな?」と思いつつあまり詳しい話も聞かずに電話を切ってしまった後、英語放送に切り替えたテレビを見ていやービックリしてしまいました。
真っ先に目に飛び込んできたのが、スローモーションのように高層ビルが崩れ落ちる影像、はじめは何が起こったのか見当もつきません。どうも映画なんかではなさそうだが、あのビルは世界貿易センタービルに似ているなあ、などと眺めているうちに、いくら英語が分からない私とはいえ、これが現実の出来事であることを知るのにそう時間はかかりませんでした。
いつもは出勤しているはずの主人も、11日はロサンゼルス郊外での車の事故調査に直接出かけるというので、まだ家におりました。テレビを見ながら、たまたま主人が調査すべき事故現場が近間のロサンゼルスでまあ助かった、と胸をなでおろした次第です。
これがもっと遠くでの事故なら、車ではなく間違いなく飛行機に乗っていたところでした。明日の13日はLAXから飛行機に乗り、テキサスまで出かける予定だそうですが、きっと無理なのではないかと思っています。(本心は、物理的に不可能であることを願っています。)
主人を送り出してからは、食い入るように言葉の分からないテレビにしがみついていました。ロサンゼルスと事件の起こったワシントンやニューヨークとでは距離的にいくら離れているとはいえやはり同じアメリカの中、対岸の火という感覚でいることはできません。
我が家から見えるピアが、いつもの賑わいからほど遠くしんと静まりかえり、人っ子一人影を見せないのは何となく不気味でした。ピアに出入りする船のエンジンの音も全く聞こえません。
そうしているうちに、主人の会社の人(日本人)から電話が入り、「不便でしょうが、家を出ないで下さい。」とのこと、私がのこのこと散歩か何かに出かけるのではないかと心配してくれたようでした。
後で主人に聞いたら、アメリカでは大事件が起こった後に事件に便乗した犯罪が多発するのだそうです。 事件現場とはこんなに離れたところで?とも思いますが、これが現実のようです。
事件発生後2日目の今日は、周囲にいくらか騒音が戻ってきました。でも、ピアには、今のところ人影を見ることができません。青い青い海と、雲ひとつなく晴れ渡った空と、風にゆれる棕櫚の葉が視界の中の全部です。
第一段階は無事乗り越えましたが、飛行機での出張の多い主人の仕事、今後のアメリカ政府の出方、「パール・ハーバー以来」という言葉も飛び出した事件後の日本人としての立場、などのもろもろを考慮すると、この先どうなることやらと思いやられます。我々の住んでいるリゾート地ではめったに聞くことのなかったパトカーのサイレンの音を、今日はもう3回聞きました。
こんなところが、事件発生後2日目の報告です。
事件の詳細については、何がなにやらわからないままでテレビを眺めている私よりも、日本におられる皆さんの方がお詳しいかと思いますので、私の身の周りの状況のみお知らせしました。
以上、投稿記事としては物足りないかもしれませんが、よろしかったら掲載してください。 |