「東洋医学よもやま話」その2

北川洋三
2003/1/13

「東洋医学よもやま話」その1で、「気」についてとりとめのない話を聞いてもらいましたが、今回も「気」について少し話をしたいと思います。

その1の最後の所で "人間の体の中を隅々まで「気」が巡っているわけですが、その「気」の通路を経絡(けいらく)といいます。そして、経絡上の特異点を経穴(けいけつ)といいます。経穴は体の内部と外部との「気」の連絡場所と考えられたり、体内を流れる「気」が特に敏感に外から感知できる場所と考えられたりするのですが、これが通称ツボといわれるものです" と書きました。

今回はこの経絡と経穴(ツボ)について少し書いてみたいと思いますので聞いてけさい。

人間の体の表面には何百という経穴があるのですが、皆さんはいくつぐらい知っていますか?

一般的に良く出てくる経穴として、百会(ひゃくえ)とか、風池(ふうち)とか、足三里(あしさんり)とか、合谷(ごうこく)とか、三陰交(さんいんこう)とかがありますが、この辺はあるいはご存知かも知れませんね。

そういえば会陰(えいん)というのも本来は経穴の名前です。

この経穴名は西洋医学の解剖学にそのまま受け継がれて、人体の1区画の名前として使われています。 

解剖学では会陰部を「体幹の下面で、左右の大腿にはさまれ、前は恥骨結合から、側方は坐骨結節、後ろは尾骨に囲まれた領域」と定義されています。

恥骨結合だとか、坐骨結節だとか聞きなれない医学用語が出てきますが、大体どの辺か判りますよね。

経穴としての会陰は解剖学で定義された領域の丁度中心の一点で、なんとも微妙な場所にあります。  

話が妙な所から始まってしまいましたが、まあ「よもやま話」なので大目にみてけさい。

ところで、経穴には一つ一つなにやら曰くありげな名称がついていますが、やはりそれぞれ由来がありまして、古来中国人が苦心して名付けたものです。

例えば百会は、「左右の耳尖を結んだ線が正中線と交わるところ」つまり頭のてっぺんに取るのですが、多数の経絡(経絡については、いずれ少し詳しく説明しますが)がこの一点に集まっているわけです。

多数の経絡の集まる所、すなわち百会なのでして、それはそれはいろいろな疾病がこの百会で治療できます。頭のてっぺんにあるのだから、頭痛の治療点であると言ったら皆さんは"なるほど"というでしょう。 

しかし、この百会が痔の治療点であるといったら皆さんは"エーッ!"というのではないでしょうか。

しかし百会という経穴が痔の治療点として有効であることは、数千年のおびただしい症例が実証しているわけです。

つまり頭のてっぺんと肛門が「気」の通路であるところの経絡で繋がっていると考えて何も不都合が無いわけです。

「その通路は解剖したら具体的にあるのか?」と言いたいでしょうが、経絡は解剖学的に確認は出来ていません。

その1で “我々の頭に染み付いた「科学的な思考」を一寸脇において聞いてけさい。”とお願いしましたが、もう一度脇においてけさい。東洋医学の「気」の概念は、科学的な手段を駆使して作り上げたものではないのですから。

しかしですね、経絡と解剖学の関連を考える時、小生はいつも考え込んでしまうのです。

解剖学はあくまで死体を対象にした学問ですよね。

経絡は当然のことながら、生きた人体を対象にして体系づけられたものなんです。

仮に(こんなことは現実ではありえないことですが)、生きた人体をそのまま生きたままで解剖することができたら、経絡に相当する何かが確認できるかもしれないなーと、そんなふうに考え込んでしまうのです。

いろんな人がこんなふうに考え込んだと見えて、過去に経絡の存在を科学的に確認するために、人体各部の電気伝導度を測ったり、赤外線測定によって体表の温度変化を測ったり様々なことが試みられています。

しかし、いずれも「盲人が象に触る」類で、経絡を解明するにはほど遠い感じです。

この辺の「科学的手法による東洋医学へのアプローチ」に関しては、実は小生も個人的には非常に興味を持っている所なんですよ。

そうではありますが、その辺は「気」が向いたらいずれ紹介することにして、ここでは素直に科学的思考を脇においてけさい。

もう一つ具体的な例をあげますが、さっき書いた合谷という経穴のことです

合谷の位置は「第1、第2中手骨底の陥凹部」となっていて、人差し指と親指の間を辿っていって、両指の骨が合わさる所の人差し指方向にあります。

正しく押さえることが出来れば、グッと手全体に独特な感触があります。

古典では“面目は合谷に収む”といいまして、顔面のいろいろな疾病の治療に使われる経穴です。  

事実中国では、現在でも抜歯の際の鍼麻酔としてこの経穴を使うことが多いそうです。 近所の歯医者さんに聞いてみたら、中国では麻酔薬が高価なのでこの方法がまだ使われているのだそうです。

そこでさっきの問題に戻りますが、この合谷の部位と顔面特に上下顎の骨がどのように繋がっているのでしょうか。

死体を解剖して一生懸命捜しても、この繋がりは出てきませんよ。

しかし、繋がっていることは疑いの無い事実なのでして、ここに経絡の面白さがあると思いませんか?

つまり東洋医学では、生きている人体においては、合谷と歯は「気」の通路であるところの経絡で繋がっていると考えるわけです。

合谷に鍼を打つことによって、歯の痛みが事実として軽減できるのですから、科学的理屈は要らないですよね。

因みに、百会と肛門を繋いでいる経絡は督脈(とくみゃく)といいます。

また、合谷と歯(顎骨)を繋いでいる経絡は手陽明大腸経(てのようめいだいちょうけい)といいます。

「なんだ? 手とか歯の話をしているのに、何でここで大腸が出てくるんだ?」と言いたいですよね。 その辺は経絡と経穴のもちょっと詳しい話が必要でありまして、長くなりますのでまた次回にゆずりたいと思います。

ただここで言えることは、「気」というものは何も神秘的なものではないし、抽象的なものでもないということです。

科学的な手段で作られたものではないので、我々の思考パターンに乗りにくいということは言えます。しかし、膨大な臨床経験によって、その実在と作用は実証されているものであることは先ほどの「百会と肛門」や「合谷と歯」の例で理解していただけるのではないでしょうか。

東洋医学は、人体を「包括的」に、言葉を換えて言えば「有機的な統一体」と捉えているので、その治療は全身の「気」が正常に作用するように調整することに基本的な考え方を置いているわけです。

一方、西洋医学はデカルト以来の唯物論が基本になっているわけでして、必然的に人体を物質としてどんどん細分化していって、それはそれで非常にパワフルな医学に発展しました。

しかし人体は本来、身体と精神、更には霊的なものまで包括した「有機的な統一体」と捉えるべき存在であると思うわけです。

西洋医学は非常にパワフルである一方、深刻な様々な問題をかかえていることは皆さんも感じておられると思いますが、東洋医学の「気」の思想にその解決のヒントがあるような気がするんですがねー。

西洋医学と東洋医学の比較論などをやりだすと、よもやま話にきりがなくなるので、このテーマもいずれ「気」がむいたら、ということにしたいと思います。