「東洋医学よもやま話」 その1

北川洋三
2002/12/12

東洋医学の道に踏み込んで(踏み迷ってかな?)早や4年。 鍼灸師の免許は取得したものの、まだまだこの奥深い世界の入り口にいる思いがします。

それでもやっぱりこの世界のことを少し書いてみたいといとおもいます。

題名が「・・よもやま話」ですから、思いつくまま気ままに書きますので、多少まとまりに欠ける感じになると思いますが、その点はご容赦をお願いします。

さて、皆さんは東洋医学というと何を想像しますか?鍼灸ですか? それとも漢方薬ですか? そう、その二つは代表的なものですが、その他に按摩、導引などかなり広い概念を含みます。 

導引という言葉はあまりなじみが無いかもしれませんが、道教で発達した健康法のひとつで一種の呼吸法および操体法です。

1973年に中国長沙市馬王堆で前漢時代(紀元前200年頃)の領主の墓が発掘されたのを憶えておられるかと思います。  領主夫人の遺体は皮膚に弾力性が保たれており、「生けるがごとし」と紹介されたのでした。

その馬王堆の墳墓から多数の医学書が発見され、そのなかに“導引図”と称して人が導引を行っている姿を示したものが含まれています。

いろいろな動作をしながら深呼吸をしている図で、動物の動作を真似ているように見えるものや、何やら手足を動かしている図など、多種多様です。

ここまで読まれればだいたい想像がつくと思いますが、そうです、導引はその後更に工夫が加えられ、気功としてあるいは太極拳として現代の我々に伝えられています。

それでは、これら東洋医学の各手法の底に流れる根本思想は何でしょうか。

それは、端的にいえば「気の思想」です。

「気」とは何か? 日本では「気」というと、どちらかというと抽象的な気分や気持ちのような概念で使われているようです。

その気になる、気がある、気を引く、気をもむ、気を持たす、気が遠くなる、気が利く、etc.です。

因みに広辞苑で見てみると、

  1. 天地間を満たすと考えられるもの。またはその動き。

  2. 生命の原動力となる勢い。

  3. 心の動き、状態、働きを包括的に表す語。

  4. はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。

  5. その物本来の性質を形作るような要素。特有の香りや味。

このように見てくると、 日本で我々が使っているのはB〜D、特にBが多いようですが、Cも“殺気”、“雰囲気”などのように、またDも“気の抜けたビール”のように使われています。

叉Aは“元気”、“精気”、“気勢”などのように使われることもありますが、@はあまり使わないのではないでしょうか。

東洋医学で言う所の「気」の概念は正に@またはAなのですね。

他の辞書はどうかと気になって、手元にある集英社の国語漢和辞典を調べたらやはりB〜Dの概念のみでした。 

改めて広辞苑のすごさを再確認しました。 古代中国の気の概念まで解説しているのですからね。

@〜Aの概念は物質的な概念で、事実東洋医学の古典の記述では「気」を時間と空間の具体的な実態として説明しています。

この辺から、我々の頭に染み付いた「科学的な思考」を一寸脇において聞いてけさい。

何しろ東洋医学の揺籃期は3千年も4千年も前で、科学が生まれるよりずーっとずーっと昔のことなんだから。

そして、人類が科学に頭を絞った期間(せいぜい200年くらい?)よりずーッと長い期間かけて作って来たものなんだから。

そして何よりも事実として確かなことは、このようにして作られた東洋医学で、いろいろな病気がチャンと治るんだから。

それに、科学の価値を過小評価するわけではありませんが、科学が森羅万象をあまねく説明できる手段だとはとても思えないのですが、この点は諸兄も同意してくださるでしょう?

さて、その「気」の話に戻りますが、物質的な実態であるということです。

「それは量子と同じものと考えていいのか?」などと野暮な質問はやめてけさいね。

「列子」とか「淮南子」という古典の名前はきいたことがありますか?それらの古典に「気」の定義みたいなものが記載されているのですが、曰く

宇宙の始まり・・・まだ形も無く、混沌とした広がりがあるのみ。

気の始まり ・・・混沌とした広がりの中から、気が生ずる。

陰陽の始まり・・・気が分化して、清軽な気(陽気)は上がって天となり、重濁な気(陰気)は下がって地となる。

万物の始まり・・・天地の陰陽の二気から四季が生じ、さらにそれによって人を含め          て万物が生ずる。

何となく、ビッグバンに始まる宇宙の開闢学説に似ていませんか?これが何千年も昔の人が科学的手段を持たずに考えた学説なのです。 人間の知恵は捨てたもんじゃない、と思いませんか? それと同時に、「科学って一体なんだろう?」と思いませんか?

科学なんて手段は無くても、話はここに尽きているように思いませんか?まあそんなことはいいとして、「気」とはそのような概念を持ったものだということは理解していただけたろうと思います。

万物の素は「気」であり、生物も、そして当然人間も(物質的な側面も精神的な側面も)素はすべて「気」である、という認識なんです。

そして人体の隅々まで常に「気」が巡っており、「気」の巡りが順調ならば人間は健康であり、「気」が滞ったり、偏ったり、陰陽バランスが崩れたりすると病気になる、というふうに考えているわけです。

ところで「病気は気から」という言葉は日本製なのでしょうか、それとも中国製なのでしょうか?  どなたかご存知ないですか?

普通我々はこの言葉を、「自分は病気だ、病気だといって気に病んでばかりいるとほんとに病気になってしまう」というふうに気持ちの持ち方をいっているように解釈していますよね。 この言葉が日本製ならそれで良いのですが、もしも中国製だとしたら、もっと深い意味が有ると思えるのですが。

つまり東洋医学では、病気はすべて「気」の不調と捉えているのですから。

さて、人間の体の中を隅々まで「気」が巡っているわけですが、その「気」の通路を経絡(けいらく)といいます。

そして、経絡上の特異点を経穴(けいけつ)といいます。  

経穴は体の内部と外部との「気」の連絡場所と考えられたり、体内を流れる「気」が特に敏感に外から感知できる場所と考えられたりするのですが、これが通称ツボといわれるものです。

話はやっと東洋医学の本題に近づいたのですが、大分長くなって疲れてきたので、この辺で今回はお仕舞いとしたいと思います。

よもやま話ではありますが、皆さんの健康に少しでも役立つような話にしたいなーと、心の中ではそのように思っています。

しかし、そこにたどり着くのは未だ未だ先だなーという感じですね。

それではまた「気」がむいたら続編を書きます。