私とオペラ(その2)

金子忠次

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オペラ教室のこと

オペラ見物ツアーのことを書く前に、その母体であるオペラ教室のことを書かなければなりません。久留米に信愛女子短大という、小さな短大があります。この短大の一般向け公開講座に「オペラの楽しみ」と題する講座があります。講座といっても堅苦しいものではなく、映像(DVDやLD)でオペラの全曲版を聴こう、いや観よう、という主旨で開催されている講座で、お楽しみ第一のオペラ鑑賞会といった趣きのものです。

毎年5月から始まって翌年の1月まで毎週あります。 2週で1つのオペラを見ますから、年間で20曲くらいの数になります。

この講座がいいのは、1つは映像で鑑賞できること、2つ目は、専門の音楽の先生の解説つきであること、があります。この先生は実は現役の歌手で(勿論有名ではありませんが)、解説の中に歌手としての経験が反映されて非常に奥深い解説をしてくれるわけです。残念ながら50代半ばの男の先生です。

受講生は40〜60人、殆んどが久留米市内のおばちゃん連中で、男は私を含めてたった2人です。去年はなんと私1人だけで大変肩身の狭い思いをしました。(この点が最大の問題点です)

遠回りをしましたが、私が行くオペラツアーは毎年2月か3月ですが、1月にこの教室が終わった後に行われるので、いわば講座の「修学旅行」です。引率は上記の講座の先生。オペラのチケットは事前に予約してくれるので、向こうで何を観るかは事前にわかっています。当然ですが。行く前には「予習」の講座もあります。これが非常に役立っています。

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今年のオペラ見物ツァー

今年は2月末から3月初めにかけて8日間、ミュンヘンとベルリンに行ってきました。ミュンヘンではバイエルン州立歌劇場で「トロバトーレ」と「こうもり」、ベルリンではベルリンドイツオペラで「タンホイザー」と「蝶々夫人」、ベルリン国立歌劇場で「マクベス」と全部で5つのオペラを観ました。現地泊6夜のうちなんと連続5夜オペラ見物という超ハードなスケジュールです。本当は、時差のこともあり、間に一晩くらいゆっくりしたい、というのが本音なのですが、先生がオペラ狂いなので、とにかく何が何でもオペラという恐るべきツァーです。

今年の参加者は全部で26人、男6人、女20人。教室の時は男2人だったのに増えているのは、おばちゃん連中の一部の旦那が参加したからです。

オペラは夜だけなので、昼間は近くの観光地への小旅行か、市内観光です。今回は経済的事情もあり、ミュンヘンもベルリンも美術館巡りに終始しました。昼は名画、よるはオペラと、ゲイジュツ攻めの感がありますが、両都市ともに充実した美術館がいくつかあり、こちらも堪能してきました。

オペラは夜7時ころ開演ですが、昼間遊んで帰るので、まともに夜の食事をする時間がありません。しかし何も食べないでオペラをみたのでは、腹が減って仕方がないので、スーパーでパンとソーセージくらいを買ってきて慌てて食べてから出かけました。実はオペラ劇場には簡単なビュッヘがあるので、そこで食べてもいいのですが、必ずワインとかビールがおいてあり、これを飲むとオペラの間中睡魔と戦うことになってしまうのでやめましたが、・・・イヤ本当は我慢できず飲んで睡魔と戦いました。

服装はジャケットにネクタイをしていれば十分で、ジーパンや短パンではだめ、ということでした。女性も特別なものは着ていませんでした。去年のウィーン国立歌劇場では、イブニングドレスで着飾った素敵な女性がたくさんいましたが、なぜかドイツではあまりみかけませんでした。ただし、シーズンのオープニングとかプレミエ(新演出の初日)とか特別な日は違うのだそうです。

夜食はオペラの後、午後11時ころから劇場近くのレストランかビアホールでビール片手に食事するのがお決まりになってしまいました。今日の指揮者は良かったとか、あの歌手がイマイチだったとか、アルコールを飲みながら、あれこれ話がはずんで、これがまた実に楽しいのです。が、結局寝るのは午前1時ころ・・・でみなキツイキツイと言いながらオペラ見物の旅を続けたのでした。

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ヨハン・シュトラウスの「こうもり」

「こうもり」はミュンヘンで観ました。指揮はかの有名なズビン・メータ。この時はチケット代の高い方から2番目くらいのいい席で観ましたので、メータが目の先数メートルのところで指揮する姿を見て感激しました。

「こうもり」はヨーロッパでは大晦日には必ずやる出し物だそうで、中身は大分違いますがNHKの紅白歌合戦のような恒例行事になっているようです。それをこの時期―2月末にやるのは、年末に観られなかった人たち、或はもう一度あの雰囲気を味わいたい、という人たちのための公演という意味合いもあるようです。

とに角、オペラと言いながら、客席はお祭りの雰囲気です。始まる前から皆楽しいものを待ちきれないようにウキウキしています。「こうもり」はもともとオペレッタと言ってもいい、華やいだ楽しい雰囲気をもったオペラですが―ヨハンシュトラウスのウィンナワルツをオペラにしたようなもの!―観客は舞台が進むに従って大笑いをしたり、おしゃべりをしたりと、普通のオペラの雰囲気とはかなり違っています。我々も結構楽しみましたがココからが問題です。

前回書いた言葉のことです。このオペでは第3幕で刑務所の下っ端役人がブツブツ独り言のようにセリフをいう場面があるのですが、これがなんと30分位もブツブツ言い続けたのです。(CDなどでは3分位?)。残念ながら我々にはさっぱりわからないのに、周りのお客さんはゲラゲラ大笑いして大喜びなのです。これには参りました。後で我らが大先生に聞いたところでは時事漫談のようなことをやっていたようです。一緒に行った仲間のオバチャンは、横にいたドイツ人から、お前たち、わからないだろう、と言わんばかりに同情顔で顔を覗かれて弱った、といっていました。

言葉が分からなくてくやしい思いをした夜でしたが、それでも音楽と歌は素晴らしくて、十分に楽しみました。最後に幕が降りた時に天井から紙吹雪やらテープが一杯落ちてきたのにはびっくりしましたが、初めて見る光景でした。今でもこれが目に焼き付いています。

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ベルディの「トロバトーレ」

「トロバトーレ」は美しい女官レオノーラを巡って吟遊詩人マンリーコと城主ルーナ伯爵が相争う(実はこの二人は兄弟)という物語で甘美な旋律に溢れた、ベルディオペラの傑作です。レオノーラはマンリーコにぞっこん惚れこんでいるという設定ですから、この男役はそれなりにカッコよくなければならないわけですが、今回観たマンリーコはズングリムックリの小柄な体型で歌もそれほど上手いと言う訳でもなくがっかりしました。歌手の容姿は音楽とは本来無関係なのですが、そこはオペラの難しいところで、半分は芝居ですから、映画と同じで美男美女がやってくれないと困るわけです。

レオノーラを演じたのはフィオレンツァ・ツェドリンスという、勿論初めて見るソプラノ歌手でしたがなかなかいい声と雰囲気があり、すっかり気に入ってしまいました。後で音楽雑誌を見ていたら今年7月?に日本でもオペラ(ベルリーニのノルマ)に出て歌ったようでした。そんなことを知るとますます親近感を覚えて、将来大歌手になってほしい、などど柄にもないことを考えたりします。皆さんの中には、東京で観た方もおられるかもしれませんね。

もう一人の男役、恋敵のルーナ伯爵の方は容姿も歌も素晴らしくて、レオノーラはどうしてこっちを好きにならないのだろう、などつまらない事を考えながら観たことでした。

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ワーグナーの「タンホイザー」

ワーグナーのオペラを生で観たのは、私はこれが初めてです。ベルリンのドイツオペラで観ました。そして、感激しました。以前に一時ワーグナーにはまっていた時期がありましたが、改めてワーグナーの世界に引きずりこまれてしまったな、という思いです。

月並みですが、第2幕の歌合戦の場の大行進曲のところは演出も良かったせいか、最初のトランペットのファンファーレのところから全身がゾクゾクときて感激でした。

エリザベートを歌ったエバ・ヨハンセン(勿論初めて聴きましたが)にも力強い歌唱力ときれいな声で圧倒されました。昔ビルギット・ニルソンというワーグナー歌いの名ソプラノがいて大好きでしたが、レベルの違いはあるものの、ニルソンを思い出しながらききました。しかしレコードで聴くニルソンよりも生で聴くヨハンセンの方がずっといいな、というのが感想です。

ただ、肝心のタンホイザ−については少し不満が残りました。先ほどのマンリーコと同じで容姿のことです。やはり主役であるタンホイザーは堂々とした偉丈夫であってほしいのに、小柄でズングリムックリだったのです。(今になって考えると、彼は肉欲への憧れを断ち切ることができない精神的な弱さを持っている、という性格付けがされているので、必ずしも偉丈夫でなくてもいいのかな、とも思うのですが)

対して、タンホイザーの友人であるウォルフラム(バリトン)は歌も見かけも立派で感心しました。タンホイザーはテノールですが、先生によると最近はいいテノールの新人がなかなか出てこなくて、一方でバリトンとかバスといった低音の歌手には上手な人が多いそうなので、図らずもそれをナマの舞台で確認したようなことになってしまいました。

いつの日か、バイロイト音楽祭でワーグナーの「ワルキューレ」を観るのが私の夢です。先日ハンス・ホッターというかっての名歌手が亡くなったという新聞記事を見ましたが、私のワーグナーオペラへののめり込みは、このハンス・ホッターとビルギット・ニルソンの歌う「ワルキューレ」から始まったことを懐かしく思い出しました。