北イタリアの町 - フィレンツェ

北イタリア・オペラツァー(その13)

金子忠次

フィレンツェレについて書くのはやめようかと思ってました。ここでは独特の雰囲気をもつ小さな町だけを取り上げようと思ったからです。

 

その点フィレンツェは特に芸術、歴史の両面で余りに巨大で手に負えないし、さらに余りにも多くの人々に書き尽くされているように思われます。

 

が、やはりフィレンツェを素通りすることはできません。旅の記録としてどうしても何か書いておかないとすまされないようなものがフィレンツェにはあります。

私達のフィレンツェ滞在は僅か1日だけでほんの一部を垣間見ただけでしたが、その印象は強烈です。その中から、月並みですが「花の大聖堂」に的を絞って書いてみようと思います。

「花の大聖堂」(サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂)はフィレンツェを象徴する建物です。1296年から172年の歳月をかけて建設されました。

 

下の写真は郊外のミケランジェロの丘から見たフィレンツェの町ですが、中央にひときわ大きく見えるのがこの大聖堂です。写真で見るとおり、その存在感は他を圧倒しています。
 


「花の・・・」というと何やら日本の観光名所っぽく聞こえますが、フィレンツェという町の名前そのものが「花の都」の意味があるのでごく自然な名前なのです。
 
私達は街の中にある駐車場でバスを降り、狭く古い街並みを大聖堂に向かって歩いて行きましたが、街並みの前方に大聖堂の一部が見え始め、それがどんどん大きくなっていくさまに胸がドキドキしました。

そして広場に出たとたん、そこには巨大な大聖堂が眼前に視界一杯に現れました。その時の感動は言葉にし難い衝撃的なものでした。
 

 

何と言う美しさ。外壁を覆う白い大理石に淡いピンク、グリーンを配した色合い、長方形のパターンの繰り返しの絶妙なリズム感。

 

更に、その上方にそびえる巨大な赤いクーポラ(円蓋)の曲線の美しさ、重量感、そして下部との色調の対比の妙。

 

これを作ったルネッサンスの人々の感性に魅入られました。

大聖堂の内部は広大で奥行きは、153mもあり建設当時のフィレンツェの人口約3万人を全て収容できたと言われています。

 

当時欧州一と言われたフィレンツェの経済力と建築技術、ルネッサンス期の芸術への渇望、高揚感など様々な要素が積み重なってこのような最高の建築ができたものと思われます。

 

 

完成時はメディチ家の時代になっていましたが、その財力もさることながら彼らの芸術に対する並々ならぬ見識を感じました。

大聖堂の横にサンジョヴァンニ洗礼堂とジョットの鐘楼があり、この3つの建物が1セットになっています。

 

歴史的には洗礼堂が最初に建てられたそうです。

 

大聖堂本体も素晴らしいのですが、これら2つの建物もそれぞれに素晴らしいと思いました。

左はジョットの鐘楼。高さ85m この塔だけでも見ていて飽きるということがありませんでした。

 

内部の石段を登って最上部まで行けます。
 

ジョットはルネッサンス初期の画家として有名ですが、この鐘楼を初めとして建築家としても優れた才能を発揮しました。隣の大聖堂の建設にも関わっています。
 

下右はサンジョヴァンニ洗礼堂です。

 

この建物は写真で見ると大したことがないように見えますが、実はこの建物はルネッサンスの幕開けとなった”宝石箱”といわれており、貴重な美術品の宝庫なのです。全体は八角形をしており南北東三方にある青銅の扉のデザインで有名です。

 

実物は博物館にありここにあるのはレプリカです。行った時はそのレプリカも補修工事中で見ることができませんでした。

この扉に関わるデザインのコンテストの話はよく美術史の本やガイドブックなどに書かれています。

 

優勝したのはギベルティの作品ですが、2位(というより”同率首位”)となったブルネッレスキも前記大聖堂の大クーポラを完成させて建築史のその名を残していす。

ところで、フィレンツェとオペラとの係わり合いといえば、これは実に大きな関係があって、何しろオペラはここフィレンツェで生まれたのです。

 

1600年、日本では関が原の戦いの年ですが、この年にフィレンツェの貴族のサロンで古代ギリシャ悲劇を復活しようという話が持ち上がり、それが実を結んでオペラになったと言うのです。

楽譜が残っていないので実際にどんなものだったかよくわかりませんが、その後に作曲されたモンテベルディの「オルフェオ」(初演1607年 マントヴァ)は現在でも上演されており、私もDVDで見たことがあります。最初に作曲されたオペラがどんなものだったかその片鱗を窺い知ることができます。(一言でいえば”典雅”という言葉に集約されるように思います)

というわけで、オペラファンにとってはここは聖地なのです。ミラノ・スカラ座に並ぶような大歌劇場はありませんが、毎年5月から6月にかけて行われる「フィレンツェ5月音楽祭」は世界的に有名で、私もいつかその花の季節にまた訪れてみたいと思っています。

私達が訪れたときは残念ながらオペラの公演はなく、代わりに室内楽の演奏を楽しみました。
 

ついでにいえば、このブログのタイトル画像は、ミケランジェロの丘から見たフィレンツェの街です。川はアルノ川、一番手前の明るく輝いている橋がヴェッキオ橋ですが、カットの仕方が悪くてよく見えません。この橋はプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」でラウレッタのアリアの中で歌われています。