ドナウ川のこと

中欧オペラ紀行(15) まとめ編

金子忠

しばし夏休みを、と思っていたらあれよあれよという間に一ヶ月以上たってしまった。

オペラツァーのまとめをすることになっていた。”総集編”と思っていたが適当に書き散らしてきたので、まとまるわけがない。何かないかと思い巡らせた結果、ドナウ川について書いてまとめに代えることにした。

ところでシュトラウスの青きドナウを聞くと、ウィーンで見るドナウ川はさそかしきれいであろう、と思ってしまうが、実はウィーンを流れるドナウはあまり美しくない。大都市の近郊にあるためか、両岸が人工的に改修されてしまって風情に乏しい。(それでも日本の都市を流れる川よりはいいが・・・)

「ドナウ川」と聞いて、人は何を頭に思い描くのだろうか。音楽ではヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」イヴァノビッチの「ドナウ川のさざなみ」くらいかな。前者はあまりにポピュラーであるが、後者は最近あまり聞いた記憶がない。むかし中学生のころ音楽の時間にレコードで聞かされたような気がする程度で、イヴァノビッチという作曲家については、その後全く名前も聞いたことがない。

 
ところでシュトラウスの青きドナウを聞くと、ウィーンで見るドナウ川はさそかしきれいであろう、と思ってしまうが、実はウィーンを流れるドナウはあまり美しくない。大都市の近郊にあるためか、両岸が人工的に改修されてしまって風情に乏しい。(それでも日本の都市を流れる川よりはいいが・・・)

私の訪ねた範囲では、ブダペストを流れるドナウ川が一番美しいと思う。街の真ん中を流れているので川岸は護岸されているが、両岸に立ち並ぶ建物が美しく川面に映るこれらの建築物との調和が見事である。特に国会議事堂はバロック+ネオゴシック建築の壮麗な建物でドナウと一体化した都市景観は世界遺産に相応しい。

 

 「美しき青きドナウ」はブダペストにおいてこそ相応しいキャッチフレーズのように思う。この曲には歌詞がありその作詞者はハンガリー人だそうだ。もしかしたらブダペストのドナウを見て詞を書いた?かどうかはわからない。

ウィーンにしろブダペストにしろ、この辺りはドナウ川の中流域にあたるがさすがにヨーロッパを代表する大河であって、水量豊かで流れはかなり速い。まさに滔々と流れている。水質はどうか詳しいことはわからないが水は青く非常に美しく見えた(天候にめぐまれたためもあろう)。

実際にドナウ川クルージングに参加した人の話しによると水は少し濁ってそれ程きれいではないらしい。しかし途中に大工業地帯があるわけではなし、公害的な汚濁ではなく、流域lの土質などによるものだろうと思う。

そのドナウ川の源流はドイツにある。アルプスの山麓、シュヴァルツヴァルト(黒森)といわれる森林地帯に源があるという。面白いことに、ドナウ川とならんで有名なライン川の源流と非常に近い。一説には100mくらいしか離れていないという。これホント? 

アルプスの山懐から流れ出して、ラインは西に流れて大西洋に出るが、ドナウは反対に東に流れて、果ては黒海に注ぐ。さらにこの二つの大河は途中で運河で結ばれているのである。水量豊かで水深もかなりあるらしく、結構大きな船が悠々と航行している光景をよく見たが、いまや黒海を出発した船は、地中海を経ることなく、ドナウ、ライン-マイン-ドナウ運河、ラインと川と運河だけを経由して大西洋に出ることができるのである。

(私自身はドナウの源流地方には行ったことがないので、いつかこの辺のことを確かめてみたいと思っている)

ドナウは全長3,000Km弱というから、ほぼ日本列島の長さに匹敵する長大な川である。流域に並ぶ国は8カ国に及ぶ。それだけに、この川の流域では数え切れないほどの歴史的な出来事が繰り返されてきた。それは、この川に連なる幾多の都市にもそれぞれに歴史として刻まれていて、訪れる人はその歴史の重さをずっしりと感じることができる。

 
今回訪ねたブダペスト、ウィーン、ザルツブルク、ブラチスラヴァの4つの町は偶然にもすべてこのドナウの流れに沿ってほぼ東西に位置している。ザルツブルクだけはドナウ本流ではなく支流ではあるが、ドナウに連なる点では同じである。

ザルツブルク以外の3都市はそれぞれが国の首都であるが非常に近い。上流からウィーン、ブラチスラヴァ、ブダペストの順で、その間の距離はウィーン・ブラチスラヴァ間が60Km、ブラチスラヴァ・ブダペスト間は160Kmに過ぎない。ウィーン・ブダペスト間を220Kmとすると、博多から出水くらいまでの距離でしかない。

しかし民族的には、ゲルマン、スラブ、マジャール(アジア系)と複雑である。この辺りのこと―民族問題は一介の旅行者には想像がつかないが過去の歴史がそれを象徴している。

16世紀には、オスマントルコがドナウ川沿いに攻め上がってきて、ブダペストはトルコ側に陥ちてしまった。ウィーンは包囲され陥落寸前までいったが北から来た救援軍のお陰で危うく難を逃れた。陸続きの国は大変である。コーヒーはウィーンを象徴する飲み物であるが、それはこの時のトルコ軍が残していったものが起源だという。

左の写真は前回4年前のツァーで行ったヴァッハウ渓谷のドナウである。

自然を主とした風景としてはここが最高であった。ウィーンからバスで約2時間ドナウを遡ったところにある。

デュルンシュタインという小さな村があって中世が今に息づいているような、物語の世界に入り込んだようなすてきな所であった。

ベルリンの壁崩壊以来、ドナウ沿いの各国は様変わりして、自由主義経済のもとで昔の輝きを取り戻しつつあるようだ。

ブダペストなどは前回訪問時より街が一層きれいになったように感じた。ドナウ沿岸共栄圏のようなものを作って、諸国が協力して経済の発展をはかったらどうだろう、などと余計なお節介であるが、オペラを通じてこの地域にどっぷりのめり込んでいる私としてはその発展を祈らずにはいられない。ドナウ川もいつまでも美しく青く輝いていて欲しいと切に思う。
 
来年のオペラツァーは今のところイタリアということになっているのでしばらくはドナウも見ることができないが、オペラに関わっている限り、近い将来きっとまたこの川を見ることになるに違いない。

それが、そう遠くない時期に実現することを祈ってこのつたない旅行記の終りとしたい。