小椋佳のうたを聞くとしみじみと共感するものがある、と同じようにモーツァルトの音楽を聞くときもなるほど、人生ってのはねえ・・・という共感、共鳴が胸のうちに沸いてくるのである。
不思議に思うのは、モーツァルトは「魔笛」を作曲したとき若干35歳、35歳の”若者”にどうしてあんな人生の機微を知り尽くしたような音楽が書けたか、ということである。
いくら早熟の天才と言ってもである。私などはこの歳になっても”人生とは?”などと問われたら考えるのも面倒になって、すぐにお酒の世界に飛び込んでしまう。
そこが天才と凡人の違いなのであるが、モーツァルトは実はこのオペラを作曲した後まもなく死んでしまうのである。本当に惜しんであまりある早世である。あと10年も長生きしていたらどんなにかいい音楽をたくさん残してくれたであろうに・・・と本当に思う。
凡人の65年は天才の35年の足元にも到底及ばない。いやいや大体において、自らを「教祖さま」と比較対比しようなどというのがそもそも畏れ多いことで、畢竟これにはタタリがあるであろう。
こんなくだらないことを書いていては本当に畏れ多いのでもうやめにするが、現実に戻って、「魔笛」をどこで見たかくらいは書いておきたい。
前にもちょっと触れたが、ウィーンには有名なオペラハウスが二つあって、一つは言わずとしれたウィーン国立歌劇場、もう一つがフォルクスオーパーである。
今回「魔笛」はフォルクスオーパーで見た。こちらはオペレッタが主体の劇場であるがモーツァルトのオペラはここでもかなり上演されるようである。国立歌劇場に比べてこちらはやや庶民的雰囲気があり親しみやすい。歌手の年齢も平均的に若いようで、今回の「魔笛」も若々しい気分にあふれた舞台だった。
これに出てくる夜の女王の役は何ともいえずおどろおどろしい役柄で、非常に難しいウルトラC難度のアリアが二つある。今回の歌手は初デビューとのことで何とか無難にこなした、という感じでも物足りなかった。私の持っている古いCDではルチア・ポップという往年の名歌手がこの役を見事に歌っていて気に入っている。LD(DVD)では、エディタ・グルベローバが歌も容姿もよく、ほれぼれしてしまう。
パパゲーノはオペラの中の役柄としてはひょうきんな若者なのだが、歌は実に含蓄に富んでいて、歌い手はある程度の年齢にならないと味が出ない。
今回の歌手も若くて歌は上手だったが、人生の機微を歌うには少しトシが足りなかったように思う。古いCDのワルター・ベリーがいい。
(こういうことを書き出すときりがないのでもうヤメよう、オペラ全体としては大いに楽しめたのだから)
左の挿絵は”初代”鳥刺しパパゲーノの舞台衣装。なんと初演では台本を書いたシカネーダー自身がパパゲーノを歌ったという。この人はよほど多才な人物だったらしい。
ところで、今回の「魔笛」には観客の中に子供がかなり混じっていた。さらに翌日だったか国立歌劇場の前を通ったところ、子供がワンサと集まっていてナニゴト?と思ったことがあった。
現地の日本人ガイドの話によると、これは「魔笛」を小学生に見せるイベントで、この日(昼間)だけ国立歌劇場を子供達に開放するのだそうだ。このような催しは時々あるらしい。
ちょっと驚いた。国立歌劇場を小学生のために開放して「魔笛」をみせる!
素晴らしいことだ。ウィーンの子供たちは幸せだよ、マッタク。 フォルクスオーパーの「魔笛」にもそんな意味合いがあったのかもしれない。
しかし”子供向きの「魔笛」”ってどんなものか、非常に興味があったのだが、内容についてはわからなかった。
音楽は変えるはずがないから、演出で多少子供向きにしているのだろうか。ダイジェスト版のするのだろうか。 ここは是非子供達と一緒に舞台を見たかった〜。
翻って、日本では歌舞伎座を子供達のために開放するという催しはあるのだろうか。少し気になった。
O先生の話では、ヨーロッパでは、オペラは原則子供は入場禁止。これは伝統的にオペラは大人の楽しみであり、モノによってはかなり際どい演出のものがあるからであるが、モーツァルトの「魔笛」とフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」だけは子供OKなのだそうだ。
どちらもメルヘンだし、教訓的なセリフ、歌詞が多いので教育上は確かに好ましいだろうが、それ以上に音楽教育としてはこれ以上のものはないであろう。
そういえば、「魔笛」はモーツァルトが入会していた啓蒙的秘密結社「フリーメーソン」の影響が強いと言われる。たしかにザラストロは高僧なだけにお説教ばかり垂れている。「魔笛」ではここだけが少しつまらないと思う。(音楽はいいのだが)
モーツァルトは「フリーメーソン」の活動にもかなり積極的に参加し、会のためにたくさんの曲も書いている。 このことを考えると、モーツァルトは単にいたずら好きのやんちゃな若者ではなく、すごく生真面目な側面があったように思う。映画「アマデウス」の中のモーツァルトは実像とかけ離れているのではないか、とふと思った。