中欧オペラ紀行(6)

金子忠

ラチスラヴァ ―その1―

―ブラチスラヴァってどこ?―

 
ブラチスラヴァという町の名前は頭のスミのどこかに残ってはいたが、どこにあるか、どんな町なのか、まったく関心がなかった。

実際にこの町に行くことになろうとは自分自身考えたこともなかった。それが今回実現して拾い物をしたような気分である。

この町は、スロヴァキア共和国の首都である。人口40数万というから首都としてはかなり小さい。地理的には、ウィーンの東約60kmにある。福岡〜久留米間の距離とあまり変わらない。それぞれの国の首都であるから、それを考えると異常ともいえる近さである。

地図を見ると、ウィーンはオーストリアの東の端にあり、ブラチスラヴァはスロヴァキアの西の端にある。今回はウィーンからバスで行った。所用時間はたったの1時間。

ウィーンを出てからのどかな田園地帯をひたすら東に向かい、ドナウ川にかかる橋を渡ると、そこがブラチスラヴァである。(ウィーンからはドナウ川のクルージングで行くこともできて、所要時間は1時間半とか)

 

途中に国境があるのだが、簡単な検問所があるだけ、パスポートのチェックも国境警備の役人とは思えぬ若い美人がバスに乗り込んできてすぐに終わってしまった。社会主義時代は考えられなかったことであろう。現在スロヴァキアはEU加盟国である。

もう一つ、1993年にチェコスロヴァキアが突然チェコとスロヴァキアに別れてしまったが、日本からみると、戦争があったわけではなし、なんで分裂してしまったのか不思議であった。この疑問は今回ある程度解けた。

現地のガイドによると、もともとチェコの方が経済力といい文化的水準といい、全てにおいてスロヴァキアを圧倒していて、こちらは常に向こうから見下ろされた状態になっていたのに我慢ができなかったのだと。

”協議離婚”をした、という例えもあるくらいだ。民族的にも多少は違うらしい。歴史的にもスロヴァキアはハンガリーとの関係が深いようだ。我々にはわからない複雑な事情があったのである。

―ブラチスラヴァ城―

国境を越える前から、小高い丘の上にきれいな城のようなものが見えていたが、それがここの観光の目玉、ブラチスラヴァ城であった。

大体が地味な町で観光の目玉が少ないのだが、この城は数少ない観光の名所になっている。中は博物館として使われている。


ブラチスラヴァ城はドナウ川のほとりの丘の上にある。城塞というより領主の館といった感じである。

歴史は古いらしい。16世紀にオスマントルコが攻めて来た時ブダペストが陥落したため、ハンガリーの首都がここに移ってきたという時代があった。

トルコの軍隊が使ったという武具が陳列されていた。でかい半月刀のようなものがあって見ただけで身震いがした。ブダペストが落ちた当時のこの辺りの人たちの恐怖心は相当なものだったであろう、とはるかな昔を思い遣った

城は高台にあるので、ここからの眺めは素晴らしい。

上の写真でドナウ川は左手に向かって流れている。その先にはハンガリーがある。ブダペストまで船が出ていて約3時間で行けるとのことであった。ウィーンは逆方向(上流)にあたる。また、手前の橋を右手に僅か数キロ行くとオーストリア領になる。

社会主義体制崩壊の直前、東ドイツの人達はスロヴァキアを通り越してハンガリーからオーストリアに脱出したが、ここなら国境はすぐそこだっただろうに、と前から不思議に思っていた。理由は未だによくわからない。ここは当時はチェコスロヴァキアだったが、ハンガリーに比べて国境警備が厳重だったのであろう。