中欧オペラ紀行(3)

金子忠

―ザルツブルク その1― ―”聖地”ザルツブルク―

ザルツブルクは私にとって”聖地”である。何を隠そう、私は人後に落ちぬ”モーツァルト教”の信者なのである。信者にとって”教祖”の生誕の地は、すなわち”聖地”なのである。

まァそのようなことで、今度のツァーに参加したのも大きな理由の一つとして、訪問先にザルツブルクがあったからである。江戸時代の庶民にとっての「伊勢」、イスラム教徒における「メッカ」と同様、ザルツブルクに行かずしては死ぬに死ねないと思ってきた。それが今回実現したのだから、もう死んでもいい、と言う気分である。(こりゃ一寸言いすぎです。)

それはともかく、旅行の順序としては先のブダペストの次はウィーンに行ったのだが、ウィーンは行程上出たり入ったりしたので、焦点が定まらない。先にザルツブルクの方を書くことにした。

モーツァルトのことを書き始めるときりがないので、これは後回しにして、ザルツブルクの町のことを先に書いてみたい。
ウィーンからは鉄道で行った。3時間あまりかかる。リンツを過ぎた辺りから雪が深くなって車窓は真冬の雪景色である。こりゃザルツブルクはどうなることか、と心配したが着いてみたら少し残雪がある程度で行動に支障はなかった。さっき雪があったところは峠だったらしい。

”聖地”に着いた時の感慨は格別であった。見るもの聞くもの全てが鮮烈であった。我ながらここまで”病状”が進んでいるとは思わなかった。だから、何か書こうとすると、すぐにモーツァルトになってしまう。あえてモーツァルト以外のことを探すとすると「サウンドオブミュージック」があった。

市街散策で最初に行ったのがミラベル庭園、ここがあのミュージカルの舞台(ロケの場所)の一つである。映画の中でマリアと子供たちがあの「ドレミの歌」を歌いながら噴水の周りを駆けまわっていたあのシーンである。しかし現場を見てガッカリした。えらくちっぽけ噴水なのである。映画では広大な公園の一角にある大きな噴水、と思っていたのがナントこんな所だったのかと。

季節がよくなかった。映画では春から夏の緑したたる季節なのが、今は真冬だ。緑は何もない。まだらに溶け残った雪が寒々しい。5月とか6月ころ来たら恐らく全く印象が違っただろうと思う。


この辺りから、小高い山の上にあるホーエンザルツブルク城が建物の間に見え隠れしてそれが段々近づいてくる。この胸がわくわくする感じが忘れられない。この城は現存する城塞建築の中では保存状態がよいとされている。また城から見るザルツブルクの風景が素晴らしいということだったが、時間の関係で城には行けなかった。唯一の心残りである。

ミラベル庭園のすぐ近くに、かの”帝王”カラヤンの生家があった。がモーツァルトが余りに偉大なために、帝王といえども、気の毒なことにここでは影が薄い。ガイドの話では彼は西欧人としては小男だったそうだ。ブロンズ像も心なしか小さく見えた。そう、男は大きけりゃいいってもんじゃないのだ!
 


ザルツブルクにはザルツァッハ川という、ドナウ川の上流にあたる支流が流れている。川のむこうが”聖地”の核心部分、旧市街である。橋の手前から見ると、きれいな川を挟んでその向こうに由緒ありげな建物や塔、さらに遠景としてザルツブルク城が見える。”信者”にとってはたまらない風景である。


橋を渡るといよいよ”教祖”の生家のある旧市街に入る。昔のメインストリートはゲトライデ通りといって、今も中世の面影を残してなんとも趣のある街並みである。”信仰”のなせる業で、なんかわからないが”有難い”という思いがこみあげてくる。

観光客でいっぱいである。
建物や通りの佇まいは昔とあまり変わっていないらしい。瀟洒な感じの小さな店が軒をつらねている。いかにも中世の街並みだ。軒先に店のシンボルをかたどった鉄製の看板がぶら下がっている。これがそれぞれ個性的で実に面白い。

モーツァルトの生家はこの通りの真ん中付近にあった。もはや平常心ではいられない。胸の高まりを抑えつつ中に入る。彼は、いや我が”教祖どの”はここで1756年1月26日に”お生まれになった”のだ。ちょうど250年前である。つまり今年は生誕250年のモーツァルトイヤーということで世界中から”信徒”が集まって大変な賑わいであった。

生家は通りに面した低層アパートといった趣きでごく平凡な建物だ。殆ど当時の状態のまま残っているらしい。せまい階段を上がっていく。部屋に入る。何と言うつつましい住まいだ、と驚く。

父親のレオポルド・モーツァルトは宮廷音楽隊の副楽長のような地位にあったというから、貴族ではないものの上流階級だったはずである。ザルツブルクにはこの他に後に一家が住んでいた家というのがあるので、彼が生まれた当時はあまり裕福ではなかったのかもしれない。もう少し立派な邸宅を思い描いていたので、これで逆に非常に親近感を覚えた。ますます”信仰”の程度が深まってきた。

本人が手にしていたヴァイオリンとか自筆の手紙や楽譜が陳列されている。見ていると、胸が熱くなってくる。とはいえ部屋数で3つか4つくらいの小さな住まいだから、見学はすぐに終わってしまう。後ろ髪を引かれる思いで外に出ると、そこには再び中世の雰囲気十分な街並みがあった。

夜、オペラを見た後、もう一度川の風景を見にきた。灯りが川面に映えて、幻想的な光景が広がっていた。これぞ夢、幻の世界!

.....つづく