以上の話は、事実とフィクションが入り混じっているので、酒の席での話題提供には向いているが、学術的な席には馴染まない。また、厳密性にこだわるタイプの人には、細部の矛盾が気になって全体を楽しむことが出来ないかもしれない。
本来、人の性格は血液型のみで決まるものではない。個々人のDNAの違い、その発現パターンの違いに加え、母親の胎内における環境、生まれてから4歳までの脳のシナップスの90%が完成する間の環境、学齢期以降の環境、更には民族の置かれている環境等々、多くのファクターが絡み合っている。
ところで、ヒトの身体を構成している細胞上には、糖蛋白が存在する。赤血球上の糖蛋白のパターンの違いが血液型の違いとなって認識されているが、その人の身体全体の細胞上の糖蛋白のパターンは赤血球上の糖蛋白のパターンと同じである。すなわち、血液型がA型である人は、身体全部の細胞上の糖蛋白がAパターンであると言うことである。
最近、ある種の細菌あるいはウイルスに対する抵抗力と血液型との関係が明かになってきた。一例を挙げると、ある種の淋病菌に対して、O型糖蛋白を持つグループが強い抵抗力を示す。一時期淋病が大流行したアメリカ・インディアンにおいて、淘汰されて生き残ったのがO型人間のみであったと言う事実が、これを説明している。血液型は単に血液の問題だけではなく、その人の身体機能あるいは性格とも何らかの関連を持っていよう。
血液型と性格の因果関係であるが、血液型の違いによって性格に差が出るのではなく、元々遺伝で受け継いだDNAに違いがあって、その発現として、糖蛋白、血液型あるいは性格に差が出ると言うことである。おおもとはDNAである。従って、身体の一部の血液を別の型に入れ替えたら性格が変わると言うことではない。
なお、ここでの話は、各血液型の群としての特徴を言っているのであって、個々人の性格判断をしているわけではない。それは、何万枚ものティッシュ・ペーパーを東京タワーの上から撒いた時に、その広がりの中心がどこになるかは計算出来ても、その中の、例えば赤く塗った1枚がどこに落ちるかは予見できないのと似ている。
以上、独断と偏見による血液型考とする。