はじめに
筆者は、応用化学科を卒業し同修士課程を修了後、東レ株式会社においてケミカル事業に18年間、医薬品事業に16年間携わり、3年半前に定年退職した。
その後、機会があって、複数の大学の工学部あるいは経営学部等において、非常勤講師ないし特別講師として、筆者が経験した医薬品産業を含む化学系産業のイノベーション事例を通して産業と技術の関係等を学生に講義させてもらっている。
企業と教育の両方の現場を体験させてもらった過程において、筆者が実感した感想を記したい。
プロジェクト・マネジャー
医薬品産業の流れをイノベーション・サイクルに添って示すと、図表1、図表2のようになる。
図表1 医薬品産業の流れ①市場の洞察 基礎調査(市場調査を含む) ②コンセプト創出 活性物質の創製とスクリーニング・テスト ③開 発 非臨床試験(いわゆる動物試験)、臨床試験(いわゆるヒト試験)、医薬品としての申請と承認の取得 ④生 産 医薬品の製造と品質確保 ⑤販 売 学術販促と市販後調査
イノベーション・サイクルは、これを取り巻く「場」と交流しながら回って行く。「場」は大きく分けて、2種類に分かれる。一つは、創造的な“破壊”を基調とした「コンセプト創造の場」で、もう一つは、各種の国際的な基準が働く“規制的”な「開発と事業化の場」である。新薬創製のイノベーションは、この相反する2種類の「場」とうまく協調・協働しつつ進められるという特徴を持つ。
医薬における「コンセプト創出」とは、医療上の未充足ニーズ(Unmet-Medicine)のスペックと、これを実在化する新しい方法論とのマッチングを指す。その方法論(例えば、遺伝子工学、コンビナトリアル・ケミストリー、情報技術等)は、必ずしも企業の側からのみ発生するのでなく、むしろ多くは外部の「場」である大学・国公立研究所等の公的機関あるいはベンチャーによって案出されている。製薬企業にとっては、これらの外部の第三者との協働が必要で、かつその 巧拙が競争力の差となってくる。
新薬1品目の承認取得には、おおよそ12,000個の化合物を必要とし(図表3)、開発費用は150~200億円と言われている。また、活性物質の創製から承認の取得まで、通常10~18年を要する。筆者が関わったインターフェロンでは12年、プロスタグランジン製剤では15年であった。また、市販後も、通常6年間の副作用追跡調査が必要である。
図表3 新薬開発の成功率段階 化合物数 次の段階に移行できた確率 累積成功率 合成(抽出)化合物数 422,653 前臨床試験開始決定数(*) 238 臨床試験開始数(*) 162 1:1.5 承認申請数(*) 82 1:2.0 承認取得 63 1:1.3 自社開発 35 3 1:12,078 このように長期にわたる医薬品のイノベーション・サイクルを円滑に駆動・回転させるには、中心軸が必要である。この中心軸は、イノベーション・マネジメントに関わるキー・マンであって、既存企業の場合は“プロジェクト・マネジャー”(PM)であり、サイクルがベンチャー的に開始された場合は、いわゆる“起業家”である。効率的な開発を達成した企業のプロジェクト・マネジャーは、単なる組織内調整者(コーディネーター)ではなく、コンセプトの守護者として重量級の機能を果たしていると言われている。
企業においては、医薬品産業のみならず他の産業においても、このプロジェクト・マネジャーたる人物が欠かせない。プロジェクト・マネジャーは単に一つの専門性を持つだけでなく、技術から経済性・市場まで全体を把握し動かせる「広い視野・見識」を持っていなければならない。筆者は、そのような人材の基盤・素地は大学、特に総合大学において培われ、就中、工学部はその任を果たすべきであると考えている。
今どきの学生と大学
一方、筆者は、現役時代も含めると、これまで国公私立4大学(本学、山形大学、東京都立大学、明治大学)で、約700名の学生に講義をし、そのつど感想文を提出してもらい、また学生と対話をしてきた。以下に、その経験を通して得た所感を述べる。
学生は今も昔も好奇心の強い生物である
講師を引き受ける前、多くの先輩方、特に大学人の方々から、今どきの学生は講義に対する反応が弱いとの教示をいただいた。そのつもりで講義に臨んだが、どの大学でもそんなことはないとの実体験をした。講義が終わると、学生は皆、目を輝かせていた。向学心が旺盛なのである。特に、低学年においてである。それが、何故卒業時には無反応の普通人になってしまうと言われるのか理解に苦しむ。
今の学生は、“サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ”なんて言いながら就職した我が身にくらべると、より真剣に、社会、地球、宇宙の未来を心配している。もちろん、20歳前後の青さと幼さではあるが。確かに我々世代は数学や物理には長けていたかもしれない。しかし、情報の収集力・解析力は、同じ20歳で比較したら、彼等の方が各段に上である。つまり、今昔の学生は質においては異なるが、しかし、筆者は、若人はいつの時代も新しいものが好きで向学心に富んだ生物だと実感している。好奇心の対象が我々の時代とは違うだけである。異質であるが故に、あるいは既に多くを知得した年長者として、“今どきの若者は!”と言って、若者を冷たく批判するのはやめようではないか。彼等は、我々がそうであったように素敵に若いのである。
大人は学ぶことの意義を例示しよう
学生が共通に持っている疑問は、何故大学で、特に教養科目を、学ぶのかと言うことである。彼等の多くは、大学では、企業への就職方法、企業でのサバイバルの方法を身に着けようとしている。社会が、卒業したら直ぐ戦力になる学生を求めていると喧伝していることにも一因があろう。
筆者は彼等に、急ぐことはない、学生は学生でよいと伝えている。そして、一つの専門と共に、「広い視野・見識」を持つことを薦めている。特に、4年制の総合大学の学生には、これを強調している。専門だけなら、職業訓練所で充分であろう。大学は野蛮な専門家を育てる所ではない。「広い視野・見識」は、変化に対する対応・適応の源泉であり、社会生活の規範である。すなわち教養の重視である。これを、効率とスピードを追求している企業に入る前に習得させたい。教養の獲得には、専門以外の講義を聞くことである。軽い気分での耳学問でよい。大学では、教養科目の重要性を再考すべきと思う。欧州の教養人のように、理系学生は哲学を、文系学生は数学を学ぶ必要がある。「理系の知」と「文系の知」のバランスは、4年制総合大学でこそ習得できる筈である。
企業戦士のヒヨコを育成するがごとき大学教育は、大学が企業や産業界の予備校になっているも同然である。大学は、学生らしい学生を育てることに真剣であるべきで、企業や産業界の御用聞きになってほしくない。“入社してすぐに役立つ企業人”を勉学の目標にするのは、いかにも寂しい。人は、時間をかけて一人前の企業人になると考える。
筆者の本学入学式の時(昭和34年)、当時の黒川利雄学長が、“千尋の谷に架かった橋が足幅と同じ10 cm幅であった場合、理論的には渡れる筈でも実際には渡れない。両側に1メートルづつの踏むことのない余裕があるから渡れる。諸君は大学でその無駄を獲得しなさい。”と言うように訓示されたことを最近つとに思い出している。“役に立たないことを尊び、学ぶ”ことを、大学こそが率先して垂範すべきではないだろうか。
おわりに
素晴らしいレストラン(教育制度)で、どんなにおいしい食事(授業内容)が出されても、本人に食欲(食欲中枢の刺激)がなければ、たとえ強要されても食事は進まない。食欲増進(勉学の動機付け)には、そのことによって得られる成果を具体的に示すことが一つの方法だと思う。企業においては、技術のみに特化した専門家オタクも必要とはされているが、それに加え、特に総合大学卒業生に期待する「広い視野・見識」をも兼ね備えた人材、すなわち“プロジェクト・マネジャー”となりうる人物を待っていることを伝えたい。
勉学の、社会における意義については、大学のみでなく実際に社会・企業で体験を積んだ現役あるいはOB企業人が語れる分野だと思う。大学当局は良い制度を準備し、先生方、すなわち大学人は充実した授業を準備されよ。そして、企業人は、“自分は大学では麻雀ばかりやっていた”と自慢気に豪語するのはやめて、大学人を通しあるいは直接的に、種々の角度から学生に勉学の意義と喜びを伝え、学生の教育に日夜腐心しておられる現場の大学人を側面から支援してあげようではないか。 教育現場の先生方各位、頑張れ!
以上、元企業人が、学生との対話を通して最近感じていることを筆の赴くままに記した。本学と青葉工業会の発展を祈ってやまない。