私の近況など

今泉泰史

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お蔭様で、私は週に3回のホテルのパートと、週3回のテニスと、団地の囲碁将棋会、等で元気です。

健康増進のため、テニスを1978年の40歳から始めましたが、今年は古稀(70歳)を迎えるので、テニスを30年、通算1740回していることになります。

現在は月に10回以上テニスをしていますので、これを継続し2年後の72歳までには、生涯目標の2000回を達成したいと思っています。

「 健康長寿」と「ピン・ピン・コロリ」、を目標にして、あと数年は、出来れば生きたいと思っています。
 

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東北大学創立100周年、明善寮入寮50周年を記念の明善会への参加

東北大学創立100周年、明善寮入寮50周年を記念して、昭和34、35年(1959,60)に明善寮入寮の明善会が、仙台青葉祭りに協賛して、5月20〜21日に開催されました。

明善会は1990年以来、5回開催されていますが、寮生は66〜67歳で年金生活を送っており、仙台で集合出来るのも、これで最後かも知れないと思い参加しました。仙台では2回目です。

連絡取れた明善寮生120余名の内、42名が参加し、青葉祭り見物、宴会、翌日のキャンパス見学や市内観光などもあり大変盛会でした。約50年振りに再会の明善寮生もおり懐かしかった。

仙台青葉祭りは、1985年、伊達政宗没後350年を機に復活した祭りで、神輿、武者行列、山鉾に加えて、1組30〜50人で、100組、約4000人参加の「雀踊りコンテスト」が人気で8月の七夕祭りと共にビッグな祭りです。神輿、武者行列、山鉾は、駅前から下がって東二番町を右折し、広瀬通りを過ぎて県庁前へ向い、勾当台公園には見物客も多く、出店も大繁盛でした。

第5回明善会は、東北大学副学長の大西仁氏の講演から始まった。約1時間の副学長講演の内容は、「国立大学を法人化したので、東北大学は、「研究第一主義」「実学尊重」の学風を生かして行きたいこと、川内、片平、青葉山ゴルフ場跡地の青葉山キャンパスの拡充を目指していること、また、卒業生の行事への参加と寄付をお願いしたいこと等でした。旧明善寮生も若干の寄付をしました。

第2部の懇親会は、乾杯、飲食、懇談、自己紹介、スライド上映、各種の昔話(安保闘争、寮祭、アルバイト、売店)に花が咲いて、お互いの健康長寿を讃えながらの楽しい一時でした。

懇親会の二次会は、別室で飲みながら、延々と夜中まで続きましたが、何時終ったかは判らない。

2日目は、宿を9時過ぎにバスで出発した。夜飲み歩いた懐かしい「北仙台駅」へ寄ってから、高山樗牛が旧制2高の学生だった時に瞑想に耽ったとされる、樹齢600年の「瞑想の松」に、半世紀振りに登り、記念写真を撮った。

その後、明善寮に寄る。昭和57年(1982年)に、旧制二高以来の木造の建物は取り壊され、明善寮は鉄筋になり、記念に「明善寮と寮歌」の句碑が建っていましたが、半世紀を経て、明善寮も農学部も、昔の面影はありませんでした。

明善寮から北4番町の医学部へ向かう。医学部教授だった松野君の案内で、東北大学病院の見学してから、片平キャンパスへ。一番町からの入口にある旧金属科、旧応用化学科、旧理学部の建物は、昔と変わらずの姿で懐かしかった。片平の「東北大学資料館」には、各種資料や明善寮の資料があった。

広瀬川を渡り川内キャンパスへ。我々が使用した旧進駐軍の建物は建て替えられており、昔と異なり、女子学生が多いのに、ビックリしたり、うらやましいと思ったりした。

昼食後、青葉山キャンパスへ。隣接する市のゴルフ場を買収したので、農学部なども移転する予定で、青葉山キャンパスは、将来はより巨大なキャンパスになるとのことでした。

伊達政宗が築いた仙台城から、広瀬川と仙台市内を見下ろす眺めは、昔と変わらず素晴らしかったが、高層ビルが増えたようだ。「仙台城見聞館」では、発掘調査で明らかとなった石積み技術と石垣構造が、模型などで展示、解説されていた。明善会バスは仙台駅に3時到着、数年後の再会を誓って解散となった。

仙台発3時14分のやまびこで、東京着、5時24分、乗り継いで、東京発5時36分のひかりで、名古屋着7時22分、乗り継いで、名古屋発7時32分の関西線の快速で1駅、蟹江着7時44分、車で、自宅着が丁度8時でしたから、所要時間は5時間でした。

仙台―上野を10時間かけて旅行した昔に比較すると、仙台も近くなったことを実感した。