第1回1920年~第22回1943年(創設期、戦争の時代)
(注):「箱根駅伝」は、東京都大手町の読売新聞本社前から、神奈川県箱根町役場前迄の往復約218kmを10区間に別けて、20校の10選手が2日間で競う大学駅伝です。
1912年のストックホルム五輪に出場した日本人五輪選手第1号の金栗四三氏が案したとされ、関東学連により開催された。
第1回1920年は、早大、明大、慶大、東京高師の4校で開催され、東京高師が優勝、22年間に、早大7回、日大6回、明大5回、慶大1回、専大1回、中大1回の優勝があり、特に、第16回1935年~第19回1938年の4連覇の日大が目立った。
詳細には、東京高師が第1回1920年に優勝、明大が第2回1921年、第5回1924年、第6回1925年、第9回1928年、第10回1929年の5回優勝、早大が第3回1922年、第4回1923年、第8回1927年、第11回1930年、第12回1931年、第14回1933年、第15回1934年の7回優勝、中大が第7回1926年に優勝、慶大が第13回1932年に優勝、日大が、第16回1935年、第17回1936年、第18回1937年、第19回1938年、第21回1940年、第22回1943年の6回優勝、専大が第20回1939年に優勝している。
第23回1947年~第30回1954年(中大、明大、早大、3強激突)
終戦後の混乱を乗り越えて、関係者の尽力により、「箱根駅伝」が、10校で再開された。
8年間に、中大が、第24回1948年、第26回1950年、第27回1951年、第29回1953年の4回優勝し、NHKラジオ放送が開始された、第29回1953年には、中大が往路、復路共にトップの新記録で完全優勝した。
明大が第23回1947年、第25回1949年の2回優勝し、早大が第28回1952年と第30回1954年の2回優勝して、3強で優勝を分け合っている。
第31回1955年~第34回1958年(日大、中大、2強激突)
応援車両の急増にる交通渋滞に怒った吉田茂首相の一声で造られた「ワンマン新道」の完成でコース変更があった。
中大が第31回1947年と第32回1948年の2回優勝し、日大が第33回1957年と第34回1958年の2回優勝した。
第34回1958年は、日大が往路、復路共にトップで完全優勝した。
第41回1965年~第44回1968年(磐石の日大、初優勝の順大)
第41回1965年は、2区以後1位をキープ、9回目の優勝を11時間30分41秒の大会新記録で飾った。
日大の黄金時代到来かと思われたが、第42回1966年は、順大が大差で往路を制し、復路は日大に抜かれたが初優勝。
第43回1967年は、往路、復路共に1位の完全優勝、第44回1968年は、中大を逆転し往路優勝、全区間1位で復路優勝し総合優勝し、磐石の強さを示した。
第45回1969年~第49回1973年(日体大の5連覇)
日体大の第45回1969年は、逆転往路優勝と復路優勝で総合初優勝、第46回1970年は、3区からトップでそのまま総合優勝。
第47回1971年は、往路4位でしたが、復路は猛烈な追い込みで、順大に23秒差の大逆転の総合優勝。
第48回1972年は、往路、復路共に力の差を見せ付けて総合優勝。
第49回1973年は、連覇の重圧どころか、雨や強風にもめげずに独走して総合優勝した。
第50回1974年~第53回1977年(大東大の2連覇)
第50回1974年は、史上初の20校参加し、東農大が服部の12人抜きの活躍で往路優勝、大東大が大久保の活躍で復路優勝したが、往路、復路共にも優勝出来なかった日大が、総合優勝したのは、珍しい記録です。
第51回1975年は、大東大が大久保の活躍で逆転で往路優勝し、 アンカー竹内の活躍で逆転で復路優勝し、11時間26分10秒の大会新で総合初優勝。
第52回1976年は、大東大が大久保の活躍で往路優勝し、総合優勝し、2連覇した。
第53回1977年は、日体大が往路優勝と復路優勝し、15年振りの総合完全優勝した。
第54回1978年~第61回1985年(日体大、順大、早大、3強激突)
第54回1978年は、順大が往路新記録で優勝したが、豪雪に見舞われた復路は日体大が復路新記録で優勝し、11時間24分32秒の新記録で総合優勝し2連覇達成した。
第55回1979年は、2区で瀬古の区間新で早大がトップに立つも、順大が逆転し往路優勝、日体大が復路新記録で復路優勝するも、順大が逃げ切り総合優勝した。
第56回1980年は、2区で瀬古の区間新で早大がトップに立つも、日体大が逆転し往路優勝、日体大が復路もトップを維持し、11時間23分51秒の大会新で総合優勝した。
第58回1982年は、日体大が往路優勝、復路も6区の谷口が区間新を出し逃げ切りを図ったが、順大が追い上げ、9区で逆転し、4度目の総合優勝し、2連覇した。
第59回1983年は、日体大が2区から独走して往路優勝、そのまま逃げ切り、9度目の総合優勝した。早大が第30回1954年の総合優勝以来の好成績を収めた。
第60回1984年は、早大が日体大を2区で逆転し、30年振りに往路優勝、復路も快走して復路優勝して、30年振りに総合優勝した。
第61回1985年は、早大が4区で逆転して往路優勝、復路優勝は日体大譲るも、総合優勝して、2連覇した。
第62回1986年~第74回1998年(順大、大東大、山梨大、神奈川大の競争)
第62回1986年は、3連覇を目指した早大が往路優勝を飾ったが、復路で6分32秒差で出発した順大が10区で大逆転して復路優勝し、5度目の総合優勝も勝ち取った。
第63回1987年は、日体大が往路優勝したが、順大が9区で逆転して復路優勝、総合優勝し2連覇を達成した。中大が総合3位と、22年振りの復活を思わせた。
第64回1988年は、2区でトップに立った順大が往路優勝し、復路は5時間27分14秒の大会新で復路優勝、総合は11時間4分11秒の大会新で総合優勝し3連覇を達成した。順大が往路、復路の両方を制したのは史上初です。
第65回1989年は、順大が往路優勝したが、復路で抜かれた順大が9区で逆転して復路優勝、総合優勝し4連覇を達成した。伴走の監督車がこの年から禁止された。
第66回1990年は、大東大が往路優勝し、中大が復路優勝し、大東大が総合優勝した。総合優勝5連覇を目指した順大は、1区14位の出遅れが響いて、総合5位でした。
第67回1991年は、大東大が往路優勝し、順大が復路優勝し、大東大が総合優勝して、総合優勝2連覇を達成した。2区でオツオリが快走した山梨大が総合2位に食い込んだ。
この年、大東大は1990年10月の出雲駅伝、11月の伊勢駅伝を制しているので、箱根駅伝を制して、初めて学生駅伝3冠校となった。
第68回1992年は、オツオリ、イセナと留学生の活躍で山梨大が往路優勝し、順大が復路優勝し、山梨大が創部7年目で初めて総合優勝した。
第69回1993年は、櫛部、花田、武井の3羽カラスの活躍で早大が往路、復路優勝し、8年振りに12度目の総合優勝を達成した。2連覇を狙った山梨大は2位に沈んだ。
第75回1999年~第77回2001年(駒大、順大のデッドヒート、紫紺対決)
第75回1999年は、駒大が往路優勝し、順大が復路優勝した。駒大が、1998年10月の出雲駅伝、11月の伊勢駅伝を制して本命視されて点いたが、9区でトップに立った順大が10年振り、9回目の総合優勝した。
第76回2000年は、駒大が往路、復路優勝し、総合優勝を達成した。駒大は出場34回目にして、悲願の初優勝した。
第77回2001年は、中大が往路優勝、順大が復路優勝し、順大が総合優勝を達成した。
順大は、2000年10月の出雲駅伝、11月の伊勢駅伝を制し、学生駅伝3冠を達成した。紫色シャツの駒大と、紺色シャツの順大が、優勝争いを繰り広げた紫紺対決の始まりです。
第78回2002年~第81回2005年(駒大の4連覇)
第78回2002年は、神奈川大が往路優勝、駒大が5時間28分47秒の復路新記録で復路優勝し、駒大が総合優勝した。
第79回2003年は、山梨大が往路優勝、駒大が復路優勝し、駒大が総合優勝した。駒大は、8区から10区までの3区間連続で区間賞を獲得して、2連覇を達成した。
第80回2004年は、駒大が4年振りに往路を制して、往路優勝、復路も安定した走りで復路優勝し、駒大が総合優勝し、3連覇を達成した。駒大時代の到来を印象付けた。
第80回2004年から創設された最優秀選手賞(金栗賞)の第1回は、5区で9人抜きした筑波大(日本学連選抜)の鐘ヶ江選手に送られた。
駅伝は、多数の選手が襷を受け継いで、記録に挑戦する団体競技ですが、箱根駅伝での最優秀選手を表彰する賞もあっても良いのではないかと、創設された個人賞です。
日本マラソン界の父と言われる金栗四三氏は、1912年のストックホルム五輪に出場した、日本人五輪選手第1号の選手で、箱根駅伝を発案した人と言われています。彼の功績を讃え「金栗賞」と命名されました。
第82回2006年~第86回2010年(新たなる「山の神」の出現)
第82回2006年は、順大が往路優勝、法大が復路優勝し、復路での逆転で亜大が総合優勝し、出場出場29回目で初優勝し、駒大の5連覇を阻んだ。5区で区間賞の順大、今井正人選手が金栗賞(最優秀選手賞)を2回目の受賞
第83回2007年は、順大が往路、復路優勝し、順大が圧倒的な強さで総合優勝した。出場出場29回目で初優勝し、駒大の5連覇を阻んだ。1区で区間新の東海大、佐藤悠基選手が金栗賞(最優秀選手賞)を受賞。
5区で区間新の順大、今井正人選手が金栗賞(最優秀選手賞)を3回目の受賞。
第84回2008年は、早大が往路優勝、駒大が復路優勝し、駒大が3年ぶりの総合優勝した。順大、大東大、東海大の3校の途中棄権は史上初です。
9区で区間新の中央学院、後藤淳選手が金栗賞(最優秀選手賞)を受賞。
第85回2009年は、東洋大が往路、復路優勝し、東洋大が総合優勝、初出場から77年目、67回目挑戦での総合優勝は最も遅い記録です。
東洋大、柏原竜二選手が、順大、今井選手の記録を47秒も破る区間新を樹立して、8人抜きし「新々山の神」と言われた。
5区で区間新の東洋大、柏原竜二選手がが金栗賞(最優秀選手賞)を1回目の受賞。
第86回2010年は、東洋大が往路優勝、駒大が復路優勝し、東洋大が総合優勝して、2連覇を達成した。東洋大、柏原竜二選手が、自身の記録を更新する区間新を樹立して、6人抜きし、「新々・山の神」と言われた。
5区で区間新の東洋大、柏原竜二選手が金栗賞(最優秀選手賞)を2回目の受賞。
第87回2011年~第88回2012年(早大の復活)
第87回2011年は、東洋大が往路優勝、早大が復路優勝し、早大が総合優勝した。
早大は、2010年10月の出雲駅伝、11月の伊勢駅伝を制し、学生駅伝3冠を達成した。
2区で17人抜きの区間賞の東海大、村澤明伸選手が金栗賞(最優秀選手賞)を受賞。
第88回2012年は、東洋大が往路、復路優勝し、東洋大が大会新で総合優勝した。
東洋大は、往路は5時間24分45秒の大会新、復路は5時間26分51秒の大会新、総合は10時間51分36秒の大会新でした。ぶっちぎりの完全優勝でした。
5区で区間新の東洋大、柏原竜二選手が金栗賞(最優秀選手賞)を3回目の受賞。
第89回2013年~第90回2014年
第89回2013年は、前年19位とシード落ちした日体大が、2年生を主将に据えた大胆な改革の意識が部員全体に拡がりを見せて、往路、復路共に制して、30年振りの10度目の総合優勝した。
予選会からの総合優勝は、第73回1997年は、神奈川大が達成して以来16年振りの2度目の快挙で、日体大の復活劇を印象ずけた。東洋大2位、駒大3位。
第90回2014年は、往路を制した東洋大が、7,8,10区で区間を新奪い、大会新記録を出して復路も制して、4度目の総合優勝した。
第90回2014年は、往路を制した東洋大が、7,8,10区で区間を新奪い、大会新記録を出して復路も制して、4度目の総合優勝した。
出雲、全日本との大学駅伝「3冠」を狙った駒大は、2位に終わった。2連覇を狙った日体大は、3位に終わった。
第91回2015年の「箱根駅伝」(関東学連大学駅伝、2187㎞、10人、2日)は、2015年1月2~3日に開催される予定です。
東洋大、駒大、日体大、早大、青学大、明大、日大、帝京大、拓大、大東大のシード校10校に加え、箱根駅伝予選会の20kmコースを走った上位10名の合計タイムで競った結果の神奈川大、国学院大、東海大、山梨学院大、中央学院大、上武大、中大、順大、城西大、創価大、の10校と、オープン参加の関東学生選抜の21校で勝負が争われます。
東洋大、駒大、日体大、早大、等の大学が、素晴らしい戦いをして呉れると思います。
箱根駅伝予選会は、6月の全日本大学駅伝(伊勢駅伝)の関東予選会13位と惨敗した中大が、落選の危機とささやかれながら、総合力でカバーして7位に入り、86回連続出場を決めたこと、創価大が初出場を決めたことがニュースでした。
「箱根駅伝」の前哨戦と言われる、2014年の「出雲駅伝」
2014年10月13日に開催予定の、「出雲駅伝」(全日本大学選抜駅伝)、45㎞、6人、1日制は、台風のため中止になりました。これは史上初めてのことです。
「箱根駅伝」の前哨戦と言われる、2014年の「伊勢駅伝」
2014年11月3日に開催の、「伊勢駅伝」(全日本大学駅伝)、107㎞、8人、1日制は、駒大が力の差を見せつけて、4連覇を達成した。
初優勝した第30回大会以降。17大会で12度の優勝し、日体大の11度の優勝記録を塗り替えました。
2位は明大、3位は青学大、4位は東洋大、5位は山梨学院大、6位は東海大でした。
1区の村山が区間賞の走りでトップにでると、2区の中谷がリードを広げ、4区の中村も7区の黒川も区間賞の走りで、他校と競り合うこともなく、ゴールを駆け抜けたことからすると、駒大が箱根駅伝の第1の優勝候補校と言えるかも知れません。
「箱根駅伝」は、1912年のストックホルム五輪に出場した日本人五輪選手第1号の金栗四三氏が発案したとされ、関東学連により、第1回大会は大正9年(1920)に4校で開催されたが、第一次世界大戦で5年中断されたので、第88回大会は平成24年(2012)に開催されている。
東京都大手町から神奈川県箱根町までの、往復約218kmを10区間に別けて、現在は、1月2,3日の2日間で、1区間約20kmを、選手10人で走り、関東学連所属の20校で争われる大学駅伝です。
(注):「伊勢駅伝」(全日本大学駅伝)
「全日本大学駅伝」(伊勢駅伝)は、東海学連と朝日新聞社により、昭和45年(1970)に開催され、第43回大会は2011年11月6日に開催された。
名古屋市熱田神宮から、伊勢市伊勢神宮内宮までの約107kmを8区間に別け、1区間、10~20kmを、1日で走る大学駅伝で、全国各地から選抜された20校で競われる。
(注):「出雲駅伝」(全日本大学選抜駅伝)
「出雲駅伝」は、岩国哲人出雲市長の提案と、富士通の協賛により、平成元年(1989)に「出雲くにびきレース」として開催、後に改称、第23回大会は2011年10月開催された。
出雲大社から、出雲ドームまでの約45kmを、選手6人が1区間5~10kmを、1日で走る大学駅伝で、全国から選抜された25校余で競われ、短距離でスピード駅伝が特徴です。
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(注):「箱根駅伝」の博物館
箱根駅伝・ミュージアム、www.hakoneekidenmuseam.jp
tel. 0460-83-7511
〒250-0521 神奈川県足柄下郡箱根町167
2005年3月開館 無休 500円
箱根駅伝・ミュージアムは、箱根駅伝の往路ゴール地点にあり、記念碑もある。
(注):「箱根駅伝」の報道団体
ベースボールマガジン社、報知新聞社、読売新聞社、スポーツ報知、日本テレビ、
文化放送、関東学生陸上競技連盟、日本学生陸上競技連盟、講談社