堀尾公亮
昨日平成13年7月18日大船のエアーポート(シネマ21が改名)において7月の例会が行われました。
席上才萩会のHP にどんなことをやっているのか皆さんに紹介しろ、とのことでしたのでここに当日の模様をご紹介します。
当日出席者 酒井 安谷屋 金井 中込 白井 堀尾
三水会の経緯
昭和38年はれて社会人となた,鳥海研の高田(新日鉄化学)、中込(日石化学)、堀尾(出光興産)の三名で,今後の日本の化学工業のあり方などについて、お互いに文献を持ち寄り,日石熱海寮で飲みながら勉強会をはじめたのがそもそもの始まりです。
その後、高田は北九州や堺に、堀尾も徳山や苫小牧に転勤となり中断しておりました。
しかし偶然にも、昭和59年高田は大船に,堀尾は七里ガ浜に居を構えることになり、又三人が近くになったので月に一度鎌倉駅前の地下にある小生いきつけのスナック ルーブル飲むことになりました。
よく考えてみると湘南地区には大勢の才萩会のメンバーがいるので皆に声をかけて気の向いたときに出席してもらうようにして,場所も交通の要点大船にして今日に至っております。
上記のほかに,メンバーとして 高田 高山 佐藤(英)浦田 笹林 鮎川 岩間 等がいます。陳さんや白石(正)が出席したこともあります。
会はオープンですので暇のある方はご参加ください。世話人の金井に問い合わせれば地図などお送り致します。
昨日の話題の主なもの
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金井が旧通産省からの依頼を受けて作成した(日本の産業界の未来像)の苦労話。
1番苦労をしたのが引用文献で著者らの了解を取り付けることであったとの事。
一同何らかの形で引用文献に現在もかかわっているので、おのおの事例を挙げて話しに花が咲く。
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若いホステスの登場
出席者の中で誰が1番若いかを当てさせたところ,安谷屋ということになった。
彼には中学生のお孫さんもいるのにまったく見る目が無いなあ。
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若いとき女性と食料に飢えていた話し。
高校時代、1学年約400名中 女性は湘南高校(中込,堀尾)で50名 水戸一高(金井,白井)で10名 松本深志 (酒井)0名 それに引換え那覇高校(安谷屋)は当時アメリカの占領下にあったため民主化が進み男女半々だったそうです。若さの根源か?
又終戦後の食糧難の時代 赤犬やへび、かえる、ばった、いなご、はちのこなどを食べて飢えをしのいだ苦労話の紹介等々
最後に金井の持ち歌[古都逍遥}
をぜんいんでうたい10時前に散会しました。