靖国神社問題について思う

堀尾 公亮

この問題について、かたっぺしに投稿した所、文字数がオーバーしてしまったので改めてここに私の意見を述べてみたい。

死者を悼むと言う点については,金井君の言うとうりであるが,原始人と知能の進化してきた現代人を同一に論じると言うことはその民族の歴史,文化、伝統をないがしろにする暴論としか思えない。

一方酒井君の言う憲法九条と信教の自由を保障した二十条を同一に論ずることもあたらないと思う。そもそも憲法九条には,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。又、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、と明記してある。

この条文はどう解釈しても、今の自衛隊は、明らかに憲法違反である。だからと言って私は軍備が必要ではないと言っているのではない。日本が昭和26年日米講和条約を結んで、名実ともに独立国家となった時点で、自主憲法を制定して、国防軍を創設すべきであったと思う。このような法律無視の風潮が戦後の政治家、官僚、企業経営者を初めとする国民一般に蔓延していったのである。

片や二十条においては、信教の自由を保障し、いかなる宗教団体も、国から特権を受けたりしてはならないし、何人も宗教上の儀式など参加には強制されない、その上国などが宗教教育や、宗教的活動もしてはならないと規定している。戦前の靖国神社は後にもその歴史について述べてみたいが、国家の庇護の元に祭られてきたが、今は単なる宗教法人であり、儀式は神道によっているが活動として布教や強制などはやっていない。したがって私人、公人を問わず、己の信念にもとずいて参拝することは何ら差し支えないものと思う。

ご存知の方もあろうが、明治維新は、王政復古という形をとり神武創業の始にたち帰る趣旨から祭政一致の立場をとり、政府は明治元年神仏分離令を出して廃仏毀釈を行い、寺、仏像、経典などを破壊したが、国民に充分受け入れられなかった。

しかし神道を中心とした国民教化を目指して明治3年大教宣布の詔を出して政府の保護のもとに神社神道の普及に努めた、その前年の明治2年、戊辰戦争の戦死者を合祀するため政府により招魂社が設けられ、明治12年に靖国神社と改められ、別格官幣社に位置付けられた。

その後、19世紀から20世紀前半まで、当時の世界の正義であった列強の植民地支配やロシアの南下侵略に抗するために戦ってきた、日清、日露、大東亜戦争などの戦死者や国事に殉じた人々の霊をまつって来たのである。このように列強に負けじと富国強兵策のバックボーンとして天皇を主君と仰ぎ神道を中心に国家神道がその役割を演じてきたのである。

不幸にして日本は、大東亜戦争に敗れたが、連合国軍は日本が再びアメリカの脅威にならないように、日本から超国家主義と軍国主義を一掃し、平和を愛好する国民にするよう、アメリカの宗教学者、ウィリアム・K・バンズに『国家神道(神社神道)に対する政府の保証、支援、保全、監督及び弘布の廃止に関する覚書』を起草させた。その彼も後に神道を誤解していたと語っているように、西欧で発達した宗教すなわち、ある経典を持ち、天地を創造したとされる唯一絶対の神を信じ、人間が神となることを受け入れず、異教徒を完膚なまで弾圧してきたのとは、趣を異にする。

靖国神社(明治26年=1893)
右上は境内にある大村益次郎の銅像

私は、かつて福岡県にある宗像大社で禊をし、神官と寝食を共にした経験があるが、毎朝境内の小高い山の上にある、高宮斎場と言ってそこには四方に竹を立てて、しめ縄を張ってあり砂利の上に、神官がひざまづき祝詞をあげて、ただひたすら天に向かって自然の恵みに感謝の祈りをささげている姿に、神道の本来の姿を見たような気がした。

それ以来神道に興味を持ち、その歴史を調べてみたが、神話の時代から今日に至るまでいろいろな学説が唱えられ、そのいずれもが、天皇を中心とする国体を護持する為政者の道具に使われてきたのは事実である。

それにもかかわらず一般庶民は、鎮守の森をはじめ森羅万象自然界のすべてにカミが宿ると信じ深く信仰し、初詣や七五三などには神社にお参りして、生活に密着した行事や儀式が行われるようになってきた。このような敬神の美風をも、一般の宗教と同一視するならば、宗教上の行事等に公の金を支出することを禁じた、憲法第八十九条に抵触することになって、天皇の葬儀や大嘗祭などの国民的行事にも国は金を使えないことになる。私は歴史的背景や国民感情からいって、文化遺産の継承や伝統を守る意味において、国家予算を支出することは、許されても良いのではないかと思う。

靖国神社の問題に話を戻そう。酒井君の言うとうり東京裁判による、A級戦犯の判決は、あくまでも戦勝国側による一方的な裁判であって、かのマッカーサーでさえも退役後米国議会の公聴会で,「太平洋戦争は、日本の自衛のための戦争であって、侵略戦争ではなかった」と証言しているくらいである。したがってその復権を図るべく、ハーグの国際司法裁判所に提訴すべきである。よしんばそれに時間がかかるとしても、日本人は死者には鞭打たない伝統があり、子供の七五三にはには神社にお参りし、結婚式は教会で行い、仏式で葬式を行っても、特に不自然とも思われない、おおむね他宗教には寛容な国柄なのである。

だからと言って、日本人は宗教心が無いとか、無節操とか言う批判はあたらない。

靖国神社には、A級戦犯ばかりではなく、「きけわだつみのこえ」を読めば分かるとうり父母や家族に対し別れを惜しみ、祖国に平和な時代が来ることを願って散っていった若者も含めて、二百四十六万余りの霊が祭ってあるのである。

公的機関が、国家のために生命をささげた人たちの霊を慰め、二度と過ちを繰り返さない旨を誓うことまで、憲法が禁じているとは思えない。むしろ、そのような反省の行動をとることは、いやしくも公人たるものの責務と言えるのではないだろうか。

それを、他国の内政干渉によって、あらたに、国立の無宗教による追悼施設を設けることが必要と、官房長官の私的懇談会の報告書でまとめられた。その報告書たるや、あいまいで、目的がなにか、対象が、例えば日本が初めて対外派兵をした、白村江の戦いまで遡るのか、A級戦犯をどう取り扱うのか、などにはなにも触れられてはいないし、ましてや外国の将兵や民間人も含めるといった点などは、なんとおめでたい話しとしか言いようが無い。

死者を弔うには、宗教性が伴うのは、世界の常識であって、私の知る限りにおいて、宗教を否定しているのは、共産主義者だけである。

しかし最後に言いたいのは、靖国神社は、大東亜戦争の戦没者だけを合祀しているのではないのであるから、なにも先の大戦の終戦記念日を選んで、首相初め閣僚が参拝せず春の例大祭に参拝すれば、妙な誤解を招かなくてもすむのではないか。

皆様のご批判を承りたい。