拉致問題に見る朝日新聞の一緒くた理論 |
船田壽男
まえがき
15日才萩会例会の帰りに読んだ「夕刊フジ」に次の記事があった。 |
北朝鮮のテレビのニュース番組の冒頭には、次の言葉が、枕詞として必ず流れる。
『朝鮮労働党総書記であり、共和国国防委員長であり、朝鮮人民軍最高司令官であり、党と人民の偉大なる領導者・金正日同志は…』
これと同様のことが日本でも行われている。即ち、北朝鮮関係の報道をするとき、必ず枕詞として流れる“北朝鮮朝鮮民主主義人民共和國”である。NHKを始めとするテレビ局及び朝日新聞、毎日新聞、(日本経済新聞については、確認していないが、政治問題に疎い日経は、多分書いていると推定する。)
これを才萩会の皆様は、変だと思わないのでしょうか?
中華人民共和国、大韓民国、アメリカ合衆国、フランス共和国、ヨルダン・ハシミテ王国などと正式名称を使うことはありませんから、朝鮮民主主義人民共和国だけの特例です。
これは札幌オリンピックの頃に、朝鮮総連の要請(恫喝?)により、マスコミが申し合わせてやりはじめたものです。その後1996年に産経新聞が、1998年に読売新聞がこれを止めて、単に「北朝鮮」とのみ表記するようになりました。
才萩会の皆様のように、現状把握力のある方は、こんな枕詞に騙されることはないでしょう。しかし騙されてしまっている人がマスコミのようなエリート集団の中にも居ることを教えています。そんな人たちが、北朝鮮の拉致問題を放置して、被害者を長い間苦しめてきたと私は思っています。その筆頭が「朝日新聞」です。そこで、標題の朝日批判文を書きました。朝日新聞フアンの方は、反論願います。
要旨 |
朝日新聞には、「一緒くた理論」というものがある。例えば、「拉致」と「強制連行」を一緒くたに扱う。「テロ」と「戦争」を一緒くたに扱うのである。一緒くた理論が、問題の本質から目をそらさせ、拉致問題の取り組みを遅らせ、朝日新聞が恥をかく原因となった。そして、再び対応を誤ろうとしている。現在、朝日新聞が“声”の欄に掲載し、洗脳を始めている「拉致と強制連行を関連付ける論調」が本格化した日こそ、“アサヒ”から“ちょうにち”へと社名変更を自ら宣言する記念日として相応しい。
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北朝鮮拉致問題に対する社民党の対応
平成14年9月17日、小泉首相の北朝鮮訪問時、北朝鮮は、それまで否定していた日本人拉致を認めた。日本の社民党は、それまで北朝鮮労働党の言うことを信じて、拉致事件の存在を否定し、「10人程度の命のために北朝鮮との関係を悪くしてもいいのか」などと言ってきたのであるから、どのように対応するか興味をもっていたが、10月7日に記者会見を開いて、土井党首が、拉致問題に対する対応が不十分であったことを謝罪した。その状況については、その日の夜のテレビで報道された。
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拉致問題に対する朝日新聞の対応と読者の責任
翌10月8日の各新聞朝刊は、土井党首の謝罪について、報じたが、朝日新聞は、報道しなかった。朝日新聞は、「何故報道しなかったか」の問い合わせに対して、「記事にする時間がなかった」と答えたとのことである。土井党首の謝罪は記者会見であるから、そのまま記事にすれば良いのである。時間がかかるはずがない。報じなかったというより、報道できなかったのである。
そして、翌々日の10月9日の朝刊の4面に掲載したのである。その見出しに「社民苦境」「拉致追及不十分 土井氏謝罪」とあった。
「社民苦境」という見出しは、朝日新聞に最も相応しいものである。何故なら、朝日新聞自身の拉致追及は、昨年まで全く不十分であったし、今年になって始めて「有本恵子さんの事件」について、急に報道するようになったからである。
従って、本来は、朝日新聞が過去の報道姿勢について謝罪すべきであり、「朝日新聞苦境」と見出しをつけて報道すべきだからである。
拉致事件発生当初から、事件の報道をときどき、目にしてきたものから見れば、朝日新聞を購読している人は、知らず知らずのうちに、朝日新聞に加担し、拉致被害者を蔑ろにして、被害者に大変な苦痛を与えることに間接的に加担してきたと思えてならない。
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朝日新聞は、謝罪するか
朝日新聞は、「北朝鮮拉致問題に対する報道」について謝罪するであろうか? 答は「否」である。朝日新聞は、これまでの失敗を糊塗するために“誤魔化し”“言訳”を現在模索しているに違いない。
朝日新聞には、誤魔化した前科がある。即ち、昭和57年、教科書問題で、戦前の日本軍の記載について「侵略」を「進出」に書き換えたという誤報をたれながし、誤報であることが、分かったあとも明確に謝罪しなかった。
また日本軍関係者が慰安婦を強制連行したという吉田某のデッテアゲた記事を大々的に報道したが、デッチアゲであることが分かったあとも、まともな謝罪をしていない。いまでも朝日新聞の読者は、軍が慰安婦を強制連行したと思っている人がいるのではないだろうか。
今回の場合も、過去の誤魔化しが成功したと思っている以上謝罪する筈がない。既に、朝日新聞の声の欄には、「拉致も悪いが、強制連行もわるかった」という意見が連日載せられている。これが、朝日新聞の手口である。他人の意見を載せるような振りをして、自分達の言訳に利用するのである。しかし、これが再び朝日新聞の恥の上塗りになるのは見るに堪えない。このような粗雑な論法に騙されるほど、読者は既に馬鹿ではなくなっているのである。
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戦前の強制連行とは何か
『戦前の強制連行とは、どのような状況を言っているのであろうか?日本人は、赤紙一枚で戦場へとかり出されていった。即ち、日本人は軍隊に強制連行されたと言えるだろう。朝鮮の人も台湾の人も、当時は日本人だった。現地には、仕事は少なく、労働力不足の日本で炭鉱や飛行機製造などの仕事を担った台湾の人や朝鮮の人がいた。労働条件は、悪かった。それは日本の人も同じである。
しかし、軍隊か、炭鉱かと2者択一を迫られたらどっちを選ぶか。日本の人ならいざ知らず、朝鮮の人なら炭鉱を選んだ人の方が多かったのではないか?いずれにしても、戦時下の徴用によって、私建の親や祖父の世代の人達は、軍隊に入るか、工場や炭鉱やダム工事などで働いた。「食べるためには、働かなければならなかった」のである。
即ち、無法な犯罪である「拉致」と「徴用」という合法的な強制連行とには決定的な違いがあるのである。拉致問題と強制連行を同列に扱ってはならない。この項、平成14年10月17日付、産経新聞「三浦朱門氏の正論」を参考にして書いた。』
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朝日新聞が得意な「一緒くた理論」
朝日新聞が得意なのは、拉致問題と強制連行を一緒くたに扱うように「時も場所も背景も違うのに、似たような要素を一つ見つけて、同列に扱う論法」である。その例をもう一つ挙げておく。
平成13年9月11日同時多発テロが発生した。その後アメリカは、アフガン(アルカーイダ)に対して空爆を行なった。この空爆で、ときどき誤爆により民間人(女性や子供)が犠牲になったことを報じるニュースが伝わると、アメリカの空爆は酷い、止めるべきである。テロも反対だが、空爆も反対、「話し合いで解決を!」の論調となる。人が殺されるという一点において、テロも戦争も同じと言いたいのだろう。
話し合いに出てこない相手をどうやって話し合いに持ちこむか、何の解決案も出さず、いい子ぶっているだけである。そして、広島・長崎の原爆で数十万人が死んだ。今回のテロの数千人など大したことないではないかといった話まで持ち出すのである。
即ち、朝日新聞は、テロと戦争を“民衆の犠牲”という視点で、共通なものとして捉えている。テロと戦争の区別ができないのだろう。戦争が、指導者をもつ国家間の争いであるという認識が欠如しているのである。
アメリカの空爆は、国と国との戦争である。戦争においては、国の決定権をもつ代表者の一存で開戦も終戦も決める事ができる。空爆をやめさせる決定権は、タリバン幹部もにぎっていたのである。アフガンの場合は、タリバン幹部が敗戦を認めたら、空爆が終結し、事態収束後、捉えれたタリバン幹部は裁判にかけられ死罪になったかもしれない。しかし、タリバン幹部にとっては、空爆による民衆の犠牲は、幹部の死(自らの死)より小さかったのである。
アフガン空爆のとき、戦争終結の責任はタリバンにもあることを読者に知らせ、「話し合い論議」などにうつつをぬかしている状況にないことを知らせるのが新聞の役割ではないか?「話し合い・話し合い」などと空虚な言葉を並べている内に、どんどん犠牲者は増える。話し合い論者は、無責任論者ということができる。
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結言
朝日新聞は、拉致と強制連行の区別ができなかったために、拉致問題を軽視する思考を生み、報道機関としての対応を誤った。また、テロと戦争の区別ができないために、テロ反対といいながら、空爆が始まるとアメリカを非難する論調になり「話し合い」という空念仏を主張するのみである。
このような「一緒くた理論」は、物事の本質から目をそらさせ、相応しい行動が出来ないという事態をもたらす。それにもかかわらず、またもや、誤りを繰り返そうとしている。
朝日新聞が、今後「拉致もわるいが、強制連行もわるい。」という「一緒くた理論」報道を本格的に始めた日こそ、既に、巷間に言われている、“アサヒ”から“ちょうにち”(朝日)へという社名変更を自ら宣言する日としてもっとも相応しいと言える。
以 上
平成14年11月16日