福岡地裁の小泉首相の靖国参拝違憲判決について

船田壽男

先日(4月/初)の福岡地裁における判決の「小泉首相の靖国神社参拝は憲法違反である」という論旨は、判決の「本論」ではなく、「傍論」において裁判長の私見を述べたものである。「傍論」とは、判例として全く拘束力のないものである。

判決は、本論で原告の損害賠償の訴えが退けられ、小泉首相側の完全勝訴であった。

勝訴であるために、小泉首相側は上告できないというのだから、「傍論」に勝訴側が不満であることを述べるのは、明らかにおかしい。憲法違反であることをしていながら、勝訴するのもおかしい。常識のある人なら、この判決が如何におかしいか分かる。

今回の裁判は、敗訴した原告側が「勝った・勝った」と言って喜んで、上告もしないということからも、その異常性が分かるはずである。

従って、今回の判決の「傍論」は、裁判長の政治的発言に過ぎず、国民がまともに受止めてはいけないものである。これを「原告側」の立場で囃し立てた「朝日新聞」をはじめとする一部のマスコミの取り扱いを鵜呑みにしてはならない。このようなマスコミもまた政治的な発言をしているに過ぎないからである。

判決の「傍論」の内容の異常性について、以下に一言述べる。

津地鎮祭裁判の最高裁判決によれば、政教分離原則は政治が特定の宗教・宗派を援助または圧迫することを禁ずるもので、政治家が宗教儀式に参加することを禁ずるものではない。

国家の最高責任者が国のために殉じた人を慰霊することは、世界の常識である。

ところが今回の判決の「傍論」では、首相が靖国参拝すれば靖国神社を援助、助長、促進するものとだと決め付け、最高裁判決を巧みに曲解している。

また、公式参拝だから違憲だとし、公式であるとの判断の根拠として秘書官を同道し公用車を使用したからだと述べている。

国家の政治的指導者は常にテロリストに狙われる状況にあり、首相が自分で運転などということは許されない立場にあることも認識していない。

この話は、田中某・元外務大臣のとき、ホテルのVIP用の部屋を予約したら、怒り出したという話に似ている。日本の外務大臣がホテルの一般の部屋に泊まると警備上、周辺の部屋(例えば1フロアー)を空ける必要があり、ホテルにとっては、迷惑もいいところだという。福岡地裁の裁判長は、首相や外務大臣が移動するときの実情を想像する事もできない(田中某なみの)人ということになる。

四月八日の産経新聞によれば、その判決要旨の中で「違憲性」について、小泉首相の靖国神社参拝は、宗教とかかわり合いを持つのは否定できないとしたうえで、『首相は憲法上の問題や諸外国からの批判があることを十分に承知しながら、信念や政治的意図に基づいて参拝した。』と述べ、諸外国からの批判があるにもかかわらず参拝するのは、信念や政治的意図に基づいているとし、それを宗教的活動にあたる理由の一つにあげている。

これは、諸外国が、我国の宗教(と裁判所が判断している)施設である靖国神社参拝を批判することに全く疑問を持たず肯定している表現である。

国家が他国の宗教を批判するのは、国家の明らかな宗教にたいする干渉であり、宗教を圧迫する行為であり、宗教的活動そのものである。

従って、諸外国の批判は、まさに憲法違反というべき事態であり、それを合憲・違憲の判断の根拠にとりあげるのは、あきらかにおかしい。

諸外国の我国の宗教に対する批判を認めるならならば、我国の為政者もまた外国の宗教について批判できることになる。

国家が、こんな事を互いに応酬し合えば、宗教戦争になるだろう。

本判決は、明らかに政治的意図を持った判決である。「傍論」に書かれた部分は、書かないのが、本来の判決のあるべき姿なのである。

以上、平成16年5月24日