靖国神社代替設備にたいする疑問

船田壽男

 

昨日(19日)の新聞は、靖国神社代替設備について、つぎのような報道をしている。

 

『福田康夫官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」は、「理念」部分の素案のなかで、次のようにのべている。「…(前略)・・・(中略)…国をあげて、追悼、平和祈念を行なうため、国の恒久的施設を設置することが必要であると考える」と。』 そしてこの設備は、無宗教であると説明しているらしい。

 

これを読んで、私には、どうしても納得がいきません。それを下記、疑問1~4に書きました。ご意見のある方は、是非教えて下さい。疑問5、については、いま読んでいる本で分かりそうです。

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疑問1、

国をあげて追悼するとは、いったいどういうことをするのであろうか?何か建物をつくって、それに頭をさげさせようとするのであろうか?毎年毎年、政治家や役人が記念日に参拝するのである。何かの建造物に向かって頭を下げて祈るのである。このとき、私達は、建物にたいして祈るのですか?私建は、誰も居ない建造物に向かって頭をさげるとき、それは、死者の魂、御霊あるいは神が宿っていると信じて、頭をさげ、祈るのではないですか?これが、宗教的設備でなくて、なんであろうか?これを、無宗教などといっては、ならないと思うのですが、いかがですか?

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疑問2、

私は、この追悼施設は、新しい宗教的設備を国が作ろうとしていると考える。これは、憲法違反だから、無宗教であると説明しているにすぎないと考える。無宗教と主張すれば、無宗教になるのでしょうか?こんなことを、国民は、だまってゆるしてしまうのであろうか?広島や長崎の平和記念式典で、黙祷をささげる時、それは、死者にたいして、(死者は、そこに居ないのであるから)死者の御霊にたいして頭を下げるのではないですか?そこに死者の御霊があると信じて頭をさげるのではないですか?これが、無宗教であろうか?

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疑問3、

神道とは、日本人の宗教である。それは、体験により、体得するものであると私は、考えている。即ち、今回、官房長官の懇談会の委員は、神道とは何か知らないのではないか?神道とはなにか実感として体験したことがないのではと疑っている。恐らく靖国神社に昇殿参拝したことなどないのであろう。

 

私は、神社に昇殿参拝したことのない人は、神道とはなにかを体験することは、かなり難しいと思っている。戦死者のお墓は、通常各家庭がもっている。靖国神社に祭られている人も、お墓は、各家庭にある。各家庭では、その家族の自由な宗教で、お墓をつくっている。即ち、各家庭のお墓にかかわる宗教は、神道からは自由である。ということは、新しくつくる追悼施設も、靖国神社と全く同じではないですか?靖国神社には、戦犯が祭られているから別の宗教をつくるというのですか?

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疑問4、

戦犯を排除するために、新しい追悼設備をつくるというのであれば、戦犯を永久に許さないということですか?日本では、悪人も往生できるのではないですか?これは、宗教弾圧ではないですか?日本文化の破壊ではないですか?外国が文句をいうから、新しい設備をつくるということですか?今生きている自分達(政治家や経済界の人達)の都合だけで、新しい設備をつくるというのですか?死者の立場や、将来の子供達のことは考えない“その場しのぎの策”ではないですか?

 

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疑問5、

中国や韓国がなぜ文句をいうか考えたことがありますか?戦争直後には、言わなかったのに、どうして50年もたってから、日本は悪いことをした、悪いことをしたと言いだしたのですか?何か目的があると思いませんか?どうして靖国神社参拝を反対するのか、その目的が何か考えたことは、ありますか?(この項については、小山和伸著「救国の戦略」展転社平成14年10月発行を参考にされたい)


以上疑問をいくつか並べました。皆さんの考えを是非教えてください。

 

以上
平成14年11月20日