万国博

遠藤興輝

3月25日から「愛・地球博」と銘打つ万博が開催されている。

連休初日の今日、一部会場では入場に4時間待ちだという報道があった。

万博というのは、万国博覧会の略語だろうが、そもそも博覧会とは何か?と気になり調べてみた。

  • テーマを決めて、それに関係の有る産物・新製品や、資料・文化財などを集めて並べ、一定の期間、人びとに見せる会。[新明解国語辞典第5版]
  • 博覧会と展示会 : 工業製品や交易品あるいは美術品などを、一般大衆を相手に展覧すること。展示会に比して博覧会のほうが期間も長く、規模も大きいのがふつうである。
  • 博覧会と展示会 : 工業製品や交易品あるいは美術品などを、一般大衆を相手に展覧すること。展示会に比して博覧会のほうが期間も長く、規模も大きいのがふつうである。[Microsoft Encarta Reference 2002]

とある。

やはり、商業目的がそもそも裏にあると考えて良さそうだ。

テレビの番組でもいろいろ紹介されている。報道を見るたびに、以前大阪で開かれた万博の体験を思い出す。

大阪万博は、1970年開催であるから、既に35年も前のことになっている。まずこのことに驚いた。もうそんなに経ったかという感じである。

大阪万博開催期間中、たまたま大阪出張の機会があり、仕事を終えた後、余り時間はないが、行ってみようと言うことになり一緒に出張した仲間と万博会場へ出向いた。

大変な人出であった。どこもかしこも行列なのには辟易した。時間もあまりないので、混んでいるところは回れなかったが、それでもいくつかのパビリオンを回った。

印象に残っているのは、岡本太郎氏の「太陽の塔」と、360度全天画面の映像、そして、疲れて入ったインド館付属のレストランである。

360度全天画面の映画は今回もあるようだし、スーパハイビジョンの映像もあるらしい。しかし、大阪万博の後、全天画面の映像が商業的に放映されたという話は聞かない。

あれは、万博の人気を高めるための単なるショーだったのだろうか。今回はどうなのだろうかと気になる。

それはさておき、一番強烈の記憶はインド館付属のレストランである。レストランでカレーライスを注文したら、ショーウィンドーの値段はカレーの値段、ライスは別という。これを、インド人ウェイターが流暢な日本語で言う。そんなばかなと文句を言えば、そうしなければ商売にならないというようなことを言う。

ばかばかしい上、腹も立ったが、疲れたこともあり、言いなりに注文した。

このことに腹を立てた人が、新聞だったかテレビに投書した。同じ経験をした身なので、インドの責任者がどのような回答をするのか興味を持って聞いたが、何と、「そのような事実は認められない」と来た。

非常に驚いたし、呆れた。はっきり言って、インドとインド人に対する印象は大いに傷ついた。経験した人が驚き、クレームをし、第3者である小生等も実際経験したことである故、「そのような事実が認められない」などと言うこと自体が認められない。不愉快もきわまった。

今度の愛知万博でこのようなことは聞かれないところを見ると、さすが、こんなばかばかしい話はないようだが、小生のインドとインドに人に対する印象を払拭し、根底から覆してもらうえることを期待し、インド館のレストランに行って確かめたい気がする。

インドの方々よ、日本には、「食い物の恨みは恐ろしいという」格言があるのですぞ。事実、35年経っても、この不愉快な経験は忘れられないのです。それともインド商法はそんなことものともしないとでも言いますかな。

ちなみに、大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった。偉い皮肉にも聞こえる。

今度の愛知万博は、「愛・地球博」と銘打つだけに、「自然の叡智(えいち)」がテーマだとのこと。

大変読み甲斐(いろいろな意味で)のあるwebページを見つけた。愛知万博推進最高会議懇談会で発表された「愛知万国博のコンセプトとストーリー(骨子)および緊急行動」だそうである。以下その全文:

コンセプト(基本概念)

(1) 万国博覧会は巨大な文化行事である。従って新しい知恵の創造と情報発信活動となり得る企画が必要である。(継続と普及をコンセプトとする公共事業とは対極をなす。地方博には地域サービスと反復性があるので、公共事業的機能が含有される。)

(2) 万国博は「聖なる一回性」の故に、文明の跳躍期には偉大なる効果を発揮し得る。(愛知万国博は、19世紀型の「技術と珍品の万国博」ではないし、戦後型の「人間の万国博」でもない。「知恵と情報の万国博」である。)

(3) この時期には、古いしがらみや、小さな利害、手続き主義を克服し、現状突破の知識と決断が不可欠である。(ことなかれ主義に陥るならば、開催の意義は全くない。)

(4) これから迎える知価社会においては、利便性と日常性を実現した携帯型情報メディアは普及するが、その一方で総合的な感性を意識的に刺激する巨大総合メディアが絶大な人気を集める。
「聖なる一回性」を持つ万国博こそ、その実現に最高の場である。

(5) 高齢化するこれからの日本においては、歩行距離を短縮した快適な観覧システムと、初見客が直ちに対応できる利便性に富んだ案内情報システムが不可欠である。

(6) 自然環境の保護と回復は、これからの人類文明の重要課題である。愛知万国博はその実現に努力する。このために、全国的地球的視野での循環型社会の形成に役立つ事業を展開すると共に、「失われた自然の回復」を重要目標に加える。

(7) 万国博には決定的なグローバル性が必要である。従って全地球的規模での市民参加の組織化が望まれる。

(8) 愛知万国博には地域特性を発揮することが望まれる。開催地の地域特性を代表するものは陶磁器である。(愛知万国博のシンボルとしては、これを利用したい。)

(9) 万国博は膨大な数の初見客を集める大事業である。また多数の国公賓が来場する。このための安全性と利便性を確保しなければならない。

この文章、内容はさておき、小生には何か気持ちよく読めない日本語です。