遠藤興輝

 

ある画家のことで、ほぼ16年おきに、強く印象に残る体験を3回している。
最初は、32年前の1981年頃、LPジャケットの名も知らぬ画家の絵を見て良いなと感動した。
2回目は、その16年後、退職した1997年。秋葉原を歩いていて、この画家の絵のCDを偶然見つけた。
3回目は、その16年後の今年2013年、この画家の展覧会を見た。

そして叔父から、この画家について痛烈な批評を頂いた
画家の名は、アルフォンス・ミュシャ(Alfonse Maria Mucha)。

1981年、親しい友人がアメリカに長期研修出張することになり、彼のLPレコード200余枚を預かることになった。以降、預かったレコードを、休日、ひがな聴いて過ごした。これが、オーディオやレコード鑑賞に凝り始めたきっかけである。

その結果、自らも、雑誌のレコード評などを見ては、毎月あれこれとLP(後にはCD)を買い集めるようになった。その一つに、ロシアの作曲家グラズーノフのバレー音楽「四季」というLPがある。

このLPは、当初2-3回聴いただけで、音楽そのものについては、さほど記憶に残ってないのだが、LPジャケットの絵は強く印象に残った。

4枚一組の絵で、各組それぞれに女性を描き、それが、四季それぞれを象徴するものであろうと想像した。誰の絵なのかは分からないが、何か、すがすがしい気分の絵であった。


LPジャケットの絵

この絵の表題は、「1日の四つの時(朝の目覚め、昼の輝き、夕べの夢想、夜の安らぎ」
レコ−ドの表題は、バレー音楽「四季」
つまりこの絵は、四季とは関係ない
この画家には「四季」と題する別の作品もあるので、ジャケット制作担当者が間違えたのだろう
また、我がCDでは、上の絵の左から一番目と二番目が入れ替わっている
表題から察するに、やはりジャケットの方が間違っているように感じる

それから10数年後、退職をした1997年、秋葉原のある電器店で、ふと、見覚えのある絵のCDカバーが目に入った。それが、上記LPジャケットの絵の原作者の作品をCD化したものだった。すぐそれを買い求めた。当時の値段で5,850円もした。

このCDで画家の名を知った。アルフォンス・マリア・ミュシャ。現在のチェコ出身の画家だった。

当時のパソコンのモニターは、現在ほど解像度が高くない。800x600dpiが普通だったと記憶するが、このCD 1024x768dpi での表示も可能だった。絵画のCDを買うのはこれが初めてだったが、結構楽しめた。

それからまた16年が経った今年、ミュシャの展覧会が開かれ観に行った。本物の大きな画面で見る絵は、やはり印刷物やCDとは異なる印象であった。

美術に大変蘊蓄の深い叔父(今年米寿を迎えた)に、このことを書いて手紙を送ったら、下記のような返事が来た。
                [ミュシャに関連する部分のみ引用。全文はこちら掲載してある]

オキテルさんは、美しく描かれているのが名画と思っていませんか。とりわけミュシャがお気に入りのようですが、それはオキテルさんの自由ですから、それに水を差す気はありませんが、ミュシャの客観的評価も知っておくべきでしょう。

ミュシャはポスター職人としては一流、画家としては三流と評価されています。ポスターは広告媒体であって真の意味での芸術品ではなく、大衆向けの印刷物です。

従って描かれている内容も通俗的で、且つどれも似たような図柄で個性もなく、品格を云々するようなものではありません。

元々、誰が描いたものかも知らず、名が分かっても、初めて聞く名であったゆえ、それほど著名な画家ではないと想像していた。従って、芸術的評価もそれほど高いものとは思ってなかった。

さはあっても、小生には、このすがすがしい、清潔な雰囲気が意に染むものであり、10数年を経てふと、CDのジャケットを見てすぐ、「あれだ!」と気がつく程度には目立つ絵であっただけに、

「通俗的で、且つどれも似たような図柄で個性もなく、品格を云々するようなものではありません」

との断定には、正直、びっくりした。

これを機に、あれこれ調べて知ったことだが、19世紀末から20世紀初めにかけて起こったアールヌボーの代表的グラフィックアートの旗手としてミュシャの名が上がるらしい。アールヌボーは建築、家具、宝飾、絵画、グラフィックアートと多岐の分野に亘る運動だった。

建築のガウディ、ガラス工芸のエミール・ガレなどの名も、この運動の中の芸術家として上がっている。

しかし、アールヌボーの芸術的評価は高くなく、世紀末の退廃的表現だとして美術史上も顧みられなくなっていたのが、1960年代にアメリカでアールヌボーのリバイバルが起こり、再評価が進んでいるという。

叔父は、さらに下記のような助言をしてくれている。

美術には世界共通の評価基準はありません。作品の評価も時代によって変わります。それだけに、美術は奥深く難解です。

それを勉強し始めたばかりのオキテルさんに今すぐ判れと言っても、無理な注文なので、今はミュシャで楽しんでいて、だんだんとレベルを上げていきましょう。

叔父の該博な知識に触発され、美術鑑賞をこれからの趣味として楽しんでいこうと目論んでいるが、その過程で、ミュシャを叔父ほどに蔑むようになれるとは思えない。また、そうなりたいとも思わない。

叔父の言うような評価が、ミュシャの一般的、常識的なものであるとして、この展覧会が、連日1時間待ち、2時間待ちという混雑ぶりだったこととの乖離も埋めかねている。

あれこれ調べているうちに、日本にミュシャ専門の美術館と画廊があることを知った。一つは堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館、もう一つは東京青山のアルフォンス・ミュシャ専門画廊ぎゃらりい自在堂


                                      ミュシャは四季と題する装飾画を二組描いている。その一組                  Wikipediaより