不可説不可説転

巨大な数その2

 

トランプの札52枚の並べ替え方は、52の階乗(52!=52x51x50x・・・3x2x1)通りある。
 

この、52の階乗という数値の大きさを実感させてくれる話として:

地球を、10万粒で1ccの細かな砂粒で埋め尽くすとして、その地球に含まれる砂粒の数だけこの砂粒地球を集めても、砂粒の総数は、52の階乗より小さい!

ということは前に書いた。

 

所で、52の階乗(52!=52x51x50x・・・3x2x1)は次のような数値である。

8065 8175 1709 4387 8571 6606 3685 6403 7669 7528 9505 4408 8327 7824 0000 0000 0000
 ≒ 8x(10の67乗)=8E+67 (と書くことにする。以下同様)

この「天文学的数字より遙かに大きい」68桁の巨大有限数を読み上げることが出来るか調べてみた。

出来る!

8065不可思議8175那由他1709阿僧祇4387恒河沙8571極6606載3685正6403澗7669溝7528穣9505抒4408垓8327京7824兆

と数える。

「兆」の上の単位、「京」は知っていた。その遙か上に、究極の数「無量大数」というのがあるのも知っていた。しかし、それに至るまでにどのような単位があるかは覚えられなかった。

「無量大数」は、上記の巨大数字が、もう一桁増えると現れる。つまり、52の階乗は、最大の数単位にあと一桁の数字だと言うことになる。

「無量大数」の下の単位が「不可思議」というのも傑作だ。

数は誰が考えても、無限で、きりがないから、「もうこれ以上数えません」と打ち切ったのが「無量大数」なのだろう。何となくそれらしく思えるではないか。

 

 

と納得した気でいたが、何と、さらに上がある!

(http://blog.so-net.ne.jp/tureduremini/archive/c131855)

「不可説不可説転」という数で、10進法で表すと

1不可説不可説転=10の3721838388197764444130659787849648128乗.....(下図参照)

つまり、およそ、10の37澗乗。何ともとてつもない数字だ。

一方、「無量大数」は10のたった68乗、「不可説不可説転」に対してはゴミにもならない0に限りなく近い数字に見えてくる!

指数だけで3721838388197764444130659787849648128(3.7E+36)という巨大且つ奇妙な数字の背景は何なのだろう。

「無量大数」とこんな超巨大数との間を埋める単位は、4桁ごとに呼称を変え続ければ、単位(呼称)の数だけで巨大な数になってしまうが、どうなっているのだろうかと疑問が湧いた

そこで、さらに調べたら、あった!(フリー百科事典「ウィキペディア」)

詳しくは、「ウィキペディア」に譲るとして、かいつまんで言うと:

1千万(10の7乗=1E+7)の1千万倍をある単位(呼称)とし(ここではAとする)、AのA倍をBと し、BのB倍をCという風に順次単位(呼称)を上げていく

「不可説不可説転」は、このようにして出来る単位(呼称)の122番目のものだそうだ。

1不可説不可説転=不可説の不可説倍=10の7乗の(2の122乗)乗
 =10の37218383881977644441306597687849648128乗
 ≒10の3.7乗の(10の37乗)乗.....(上図参照)

これは仏教経典「華厳経」に出ているのだそうだ。

この単位(呼称)の決め方は、万 → 億 → 兆 → 京 → ・・・ → 無量大数という4桁ごとに呼称が変わる単位系とは異なる。

それ故、4桁ごとに呼称を変え、膨大な呼称を作るというおどろおどろしさは避けているが、それでも122もの呼称があることになる。前記の単位系では、「無量大数」までの呼称は30個である。

「無量大数」までは覚える気になり覚えた(つもり)。だが、お釈迦様のご託宣とはいえ、「不可説」と「不可説不可説転」以外は覚える気にならない。

それにしても、お釈迦様は何のためにここまで考えたのだろうか。
 

 

これで終わりかと思いきや、未だあった!

1938年に作られたごく新しい数でグーゴル(googol)という数だ。1グーゴルは10の100乗。

さらに10のグーゴル乗をグーゴルプレックス(googolplex)というらしい(下図参照)。

 

 

1グーゴルですら、全宇宙に存在すると想定される素粒子の数より大きいという。

とすれば、先ほどのお釈迦様同様、グーゴルプレックスは何のための数字かということになるが、そもそも、グーゴル自体、ある米国の数学者が九歳のこどもとの会話の中で、こどもの言葉に触発されて思い付いた代物らしいので、要はお遊びということだろう。

もしかすると、東洋にグーゴルよりも遙かに大きな「不可説不可説転」が、二千年以上の昔からあることに対抗したのだろうか。

お暇なことで...

そしてお疲れ様。